今日の長門有希SS

「……」
 人混みの中、手を握った俺の顔を長門が見上げてきた。
 いやその、別に深い意味はないんだぞ。こうも人が多いとはぐれちまったら大変だ。だからだな……いや、まあいい。
 長門の手が俺の手をきゅっと握り返してきたところで、なんだかどうでもよくなった。
 ある休日、俺と長門はいつも買い物するスーパーではなく、少し離れたところにある大型ショッピングセンターに来ていた。
 それというのも、食器を片付けていた時に俺が長門がいつも使っていた湯飲みを割ってしまったのが原因だ。長門は「再構成する」とか言っていたが、普段世話になってる事もあって俺が新しいのをプレゼントする事になった。そもそも割ったのは俺だしな。
 あまりの人の多さに、休日くらいもっと観光地的な場所に行けと言いたい。ほらほらそこの家族、たまの休みくらい子供を遊園地にでも連れて行けばいいだろう。
 なんだ?
 しばらく歩いていると、長門の手を握っている方の腕に抵抗を感じた。
 長門は本屋の方を見ていた。気になるものでもあるのか、無意識に歩くスピードが遅くなっているらしい。
 別に急ぐわけじゃないんだ、ちょっと見ていこう。
「……」
 俺がそちらに方向転換すると、長門はしばらく俺の顔を見つめていたが、意図に気付いたらしく俺の手を離して小説の新刊コーナーにふらふらと向かっていった。無表情で本を眺めている長門だが、俺にはどことなく楽しそうに見えた。
 しばらく雑誌などを立ち読みして時間を潰していると、上着の裾がくいっと引っ張られた。
「……」
 小さな紙袋を小脇に抱えた長門が俺を見上げていた。
「もういいのか?」
 ミリ単位で首を振る。
「それじゃあ行くか」
 棚に本を置いて歩き出すが、長門は立ち止まったままだ。
 どうしたのかと思って振り返ると、長門はじーっと俺の顔を見つめていた。何か言いたいことでもあるのだろうか。
 ああ、そうか。
 軽く持ち上げられていた手を掴むと、ようやく長門はトコトコと歩き出した。


 食器売り場に到着。
 長門は陳列されている湯飲みを手に取ると、ひっくり返したりしつつ俺の顔をちらちらと見てくる。
 何をしているのかと思いきや、どうやら値段を確認しているようだ。いや、別に金のことは気にしなくてもいいぞ。
 手持ちぶさたになり、近くにあった湯飲みを見る。シンプルなデザインだが、どれどれ……
 ああすまん長門、前言撤回だ。万単位のはさすがに勘弁してくれよ。
 結局長門が選んだのは前まで使っていたのと似たような湯飲みで、値段も手頃だった。今までのと代わり映えがしないので別のが良いんじゃないかとも思ったが、本人が満足しているのなら良いだろう。
「ついでに夕飯の買い物もしていくか」
 コクリと首を振る。
 でかい店だから、当然のように食料品を売ってる場所もでかい。ついつい余計な物まで買いすぎてしまったが、冷蔵庫に入りきれば大丈夫だろう。
 さて、どうしたものか。
 自転車置き場で途方に暮れる。買いすぎだ、明らかにかごに入りきる量ではない。
「大丈夫」
 長門が自分の持っていたものを絶妙なバランスでかごに詰め込むと、俺に向かって両手を差し出す。
 ええと、抱きしめればいいのだろうか。でも俺の持ってる袋が邪魔だな。
「……違う。荷物」
 と言うと、俺の両手から袋を奪い取る。
「乗って」
 長門に促され、俺は自転車にまたがる。
「あなたは運転に集中すればいい」
 両手に荷物を持ったまま、ちょこんと荷台に横座りをした。かといって長門の座った方に重みがかかるということはない。これなら問題なく帰れそうだ。
 いやまあ、俺達は大丈夫なんだが、これハタ目には曲芸にしか見えないんだろうな。


 長門の部屋について、俺が冷蔵庫に食料品を詰め込んでいると、長門は部屋の隅に置いてあった袋を持ってきた。ガチャガチャと音を鳴らしているそれは、俺が割ってしまった湯飲みの残骸だった。
 ああ、捨てるのか?
「……」
 長門は無言で新しく買ってきた湯飲みの横にそれを置く。
 そして長門の口からテープを早回しにしたような音が漏れたかと思うと、湯飲みの残骸がぐにゃりと解けると、変形して――買ってきたのと微妙に色違いで、一回り大きい湯飲みになった。
 えーと、だな。作り直すなら、俺が買ってきたのが意味無くなってしまうんだが……
 俺がどう言ったものか途方に暮れていると、長門はその作り直した湯飲みをスッと俺の目の前に突き出す。
 とりあえず受け取ると、表面がでこぼこしている事に気がついた。
「あなた専用」
 湯飲みの表面には俺の名前がアルファベットで刻まれていた。純和風の湯飲みには似つかわしくないが、長門はそんな事には気付いていないだろう。


 それから、お茶を飲む際には必ずその夫婦湯飲みが使われる事になった。