今日の長門有希SS

 昨日のSSを先に読んだ方が良いです。


 健康な高校生は新陳代謝が活発であるため、昼食が近付くと空腹になるものである。その上、体育がある日などはそれがさらに激しく、四時間目が終わる頃には空腹感で勉強する気がほとんどなくなってしまう。
「なにヘバってんのキョン。朝ごはん食べてるの?」
 後ろからハルヒの呆れたような声が聞こえる。底なしの体力を誇るお前にはわからないかも知れないが、食ってもこうなるもんなんだよ。
「どうせ大して食べてないんでしょ? ちゃんと食べないからそうなるのよ」
 まあ、朝はそれほど食欲無いし、大して食ってないってのは間違っちゃいないけどな。
 ハルヒなんかは、朝から満漢全席でもペロリと平らげそうな気がするな。全くの偏見だが。
 そんな調子でぐだぐだと過ごしていると、ようやくチャイムが鳴り響く。これで腹を満たすことが出来る。
 ハルヒは例によって食堂で食うためにさっさと教室を飛び出していく。ハルヒがあれだけ急いでいるのは、恐らく並びたくないからだろう。
 俺はそれを見送ってから、弁当箱を持って静かに教室を後にする。向かう先はもちろん部室であり、長門との昼食は一日の中でも最ものんびりと過ごせる心休まる時間である。
 そのようなわけで、部室に向かって歩いていると徐々にテンションが高まり、それはこのドアを開けて長門の顔を見るとピークに達する。
「ああ、そういやこんなのもあったな」
 ドアを開けて目に入ったのは床に張り巡らされたビニルテープである。まるで体育館の床のように引かれているラインは、何かのスポーツのためとかではなく、ハルヒが昨日の放課後に制定した陣地であり、ご丁寧にそれは机の上にもチョークで引かれている。
 他人の陣地に入ったら死刑。
 死刑廃止を叫ぶ輩がいたり、死刑を実行しない大臣もいるってのに、SOS団の中じゃ死刑ってのは軽々しく執り行われるものらしい。
 まあでも、今はハルヒの目が無いからどうでもいい。長門は部室の手前の定位置の椅子に腰掛け、何か言いたげに俺の顔を見ている。
「よう、長門。今日もいつも通り――」
「近寄らないで」
 いつの間にか、長門に駆け寄ろうとしていた俺の胸に長門の手が触れている。無音で立ち上がり、一瞬でここまで移動していた。
「なんでだ?」
「わたしの陣地に入る事はあなたの死を意味する」
 まさか、まだあの馬鹿げた規則を遵守せにゃならんのか。
「そう」
 今は朝比奈さんがいないからそれほど気を遣う事はないかも知れないが、これはちょっと問題だな。
 俺はため息をついてから、自分の椅子に座る。
 長門は外側の狭苦しいスペースでお茶を淹れ、自分の席に戻ると俺の湯飲みをスッと滑らせる。
 湯飲みは音もなく机の上を滑り、俺の手元でピタリと止まる。
「弁当が欲しい」
 俺は長門用の弁当の包みを、自分の手が自分の陣地からはみ出ないように注意しつつ、長門の陣地に押し出す。
「ありがとう」
 長門は指を引っかけてそれを引き寄せて、袋から取り出して「いただきます」と言って食べ始める。
 それでようやく食事が開始される。普段は学校にいる時間の中で最も気が休まる時間なのに、妙に精神が張りつめている。それに、長門とは斜め向かいであり、何となく二人で一緒に食ってるって感じがしない配置だ。
 これなら普段から隣同士か向かい合って座っていればよかったな。
「同感」
 もそもそと弁当を食いながら、長門がコクコクと首を縦に振っている。
「同じ椅子でもいい」
 いや、二人きりならともかく、人前でそれはさすがにまずいだろ。
 妙に落ち着かない昼食が終わり、俺は弁当箱を渡した時と同じように湯飲みを預けて、二人分の弁当を片付ける。このふざけたシステムを止めさせない限り、長門と二人でいても妙に気になって気が休まらない。もっと、飯を食いながらちょっかいをかけたりしたいのだ。
「触る?」
 そういう直接的な事じゃなくてだな、いや、別に触りたくないってわけじゃなくてだな、そんな顔をするな、ああ、やわらかいぞ。


「なあ、陣地ってまだ続けるのか?」
 教室に戻ってきたハルヒに問いかける。
「そうね、どれくらいの期間がいいかしら? 一週間……一ヶ月……」
 やめてくれ、そんなにやられたら昼食の時間もそうだが、放課後の朝比奈さんを見ているだけでショック死しそうだ。
「お前はあんまり移動しないからわからないかも知れないが、昨日だけでもけっこう精神的に疲れたんだ。出来ればもうやめないか?」
「……」
 ハルヒ仏頂面で俺の顔を見ている。
「ヨーロッパあたりじゃパスポートなしで行ったり来たり出来るだろ。その方がお互いふれ合ったり出来ていいだろ」
 今のままじゃ、気軽に長門の頭を撫でたりもできないしな。
「ま、あんたがそこまで言うならいいわ。その代わり、今度の週末はあんたのオゴリだからね」
 理不尽極まりない要求だが、どうせ元々奢らされる機会が多いのだ。それでまた平穏な日々が戻ってくるなら安いもんだな。