今日の長門有希SS

「おかわりが欲しい」
 放課後の部室、例によって古泉とトランプをしながら過ごしていると、長門の声が耳に入る。特別大きな声を出したわけではなかったのだが、俺と古泉の雑談も途切れ、たまたま静かになっていたタイミングだった。
「あ、はぁい」
 朝比奈さんが返事をして立ち上がり、急須を確認して「ちょっと待ってくださいね」と長門に声をかける。
 長門が示しているのは湯飲みだ。そもそも、俺たちは別に何かを食っているわけでないし、おかわりという単語が指し示すものはそれくらいしかない。
「わかった」
 触れていた手を湯飲みから外し、長門はその手を机の上から下ろす。読書をしているわけでなく、両手は太股の上にでものせられているのだろう。湯飲みの横には先ほどまで読んでいたはずの文庫本が置かれている。
 長門だって、常に本を読み続けているというわけではない。本を読みながら食べるには厳しいお茶菓子などが用意されている場合、長門は読書よりそちらを優先する。
 しかし、こうして朝比奈さんがお湯を沸かしているのを待つ間に、本を開いていないのはなんだか珍しいように思える。
「読まないのか?」
「一休み。少し、疲れたから」
「へえ」
 俺の頭では少々理解しがたい小説をすらすらと読んでいる長門だが、そんなこともあるのか。
「どうしたんだ?」
「登場人物の中に、少し嫌なキャラクターがいた」
 様々な本を読んでいればそんなこともあるだろう。そもそも、主人公に敵対する存在というのは、定番と言ってもいい。多くの物語では主人公が挫折したりピンチに見舞われるものだ。
「敵対するわけではない。ただ、なんとなく読んでいて不愉快なキャラクターだった」
「そうか」
 まあ、そんなこともあるのだろう。全ての登場人物が万人に好かれるような性格とは限らないのだ。もっとも、それで読者に嫌な印象を与えるのはどうかと思わなくもないが。
「どうぞ」
「……」
 朝比奈さんがお茶を注ぐと、長門は無言のままわずかにアゴを引く。それからゆっくりした動作で口に運び、湯飲みを傾ける。口から離して一息吐いてから、もう一度口を付ける。
「……」
 長門はすっと立ち上がり、本棚から新たな一冊を取り出して、それをめくり始めた。先ほどの本は机の上に置いたままだ。
 一服して気分転換し、そのまま読む本まで変えてしまったらしい。中断した本をいつ読むのかわからないが、長門のペースなら今読んでいる分もすぐ読み終わって、またすぐに再開するのだろう。
「ねえ有希」
 と、そこでハルヒが横から口を挟む。部室の中が静かだったので、俺たちの会話が聞こえていたらしい。
「その本、読まないならあたしが読んでもいい?」
「かまわない。ただし図書館から借りたものだから、一週間程度で返して欲しい」
「まあ、そんなに厚くないみたいだし、明日か明後日には返してあげるわ」
 本来は又貸しはよろしくない行為だと思うが、ハルヒなら大丈夫だろう。


 その翌朝。
「……よう」
 登校した俺は、ハルヒの顔を見て声をかけるのがためらわれたが、放置した方が後で面倒だとわかっているので渋々声をかけた。
「おはよう」
 不機嫌そうに、ハルヒは本から顔を上げる。
「どうしたんだ?」
「有希の言ってたことわかったわ。ムカつくキャラがいるのよ」
「ああ、昨日借りた本か」
「そう。帰ってからちょっと読んで、なんかウザいからすぐ閉じちゃったのよね。で、学校来てから読んでみてるんだけど、いちいちシャクに触るキャラなのよ」
「そういうのって、後からやられてすっきりするって展開じゃないのか?」
「味方側のポジションなのよ。あたし的にはあっさり死んでくれてもいいキャラなんだけど、そんな重い話じゃなさそうだし」
 はあ、と溜息を吐く。
「そんなにイライラしてんなら読まないで長門に返せばいいじゃないか」
「途中まで読んじゃったし、読むわよ」
 それで例の閉鎖空間でも発生させていたら問題があるが、そうなったら古泉がそれとなくハルヒの読書を止めるか、もしくはなんとかするだろう。俺は「そうかい」と答えて椅子に座った。


 それから数日後、本を返したハルヒと、返された本を読み終えた長門がそのムカつくキャラクターについてどうでもいい話題を繰り広げることになるのだが、それは本当にどうでもいいことだった。