今日の長門有希SS

 長門の家に通うようになって、それ以前に比べて家事をやる機会が増えた。自宅ではいつの間にか親がやっているようなこと、例えば掃除などは俺か長門のどちらかがやらなければいつまで経っても終わらない。まあ、たまに遊びにくる朝倉が勝手にトイレや廊下を綺麗にしていることもあるが、そういうのは例外と言っていい。
 そもそも俺が長門の家に入り浸るようになったのは、長門の食生活を懸念してのことだ。長門は美味い物が嫌いではないが、手間をかけてまでいいものを食べようとしない。放っておけばコンビニの弁当やレトルト食品で食事を済ませてしまう。
 そうなってしまったのは、高校に入った頃まで朝倉が世話を焼いていたせいだ。過保護にされた子供のように、長門は自分から動こうとしない性格になってしまったのだろう。俺が服を脱がせたり着せたりすることもある。いや、それは半分は遊びの一環だが。
 そういった事情であるが故、俺が長門の部屋で行う家事の大部分は炊事である。料理を作り、食器を洗う。慣れていなかった頃はともかく、ある程度慣れてしまうと料理も楽なものだ。学校の帰りに長門と二人でスーパーに寄り、それなりにバランスが取れるように買い物をして帰る。そして、あまり凝ったものではない料理をする。大抵の食材は炒めてしまえばそれらしき料理になるので、肉類と野菜を炒めた物という、明確な料理名のないものが食卓に並ぶことが多い。
 どちらかと言うと、食事を作るよりも片づけるほうが面倒である。食器洗いは二人でやったからといって時間が半分に短縮されるわけではない。長門と喋りながら食器を洗うのは、時間短縮より退屈しのぎといったほうが適切だ。効率を考えると、交代制にして一人でやったほうがいい。
 数回分をまとめて洗うことで総計の時間を短くする方法もあるが、一回あたりの食器洗いにかかる時間が相当長くなるのでうんざりしてしまう。食器を洗う時間を短くするには、単純に使う食器を減らせばいい。
 だから、料理をする時は洗い物を増やさないことを頭の片隅においている。おかずなどは取り分けないで大皿に入れて出せばいい。自宅では小皿に取り分けて食べているが、ここでは皿から直接食べることも多い。
 今日の食事は、ご飯とメインとなる野菜炒めだ。使っている食器は茶碗と箸と大皿。まな板や包丁は俺が炒め物をしている横で長門が洗っていたので、台所にある洗い物はフライパンと鍋。あとは菜箸やお玉なんかもあるが、それほど多くはない。
 俺は茶碗の上に箸を置いて、麦茶の入ったコップに手を伸ばす。一般的な家庭ではあまり箸置き使わないだろう。俺の家でも長門の家でもそうだ。
 カラン。
 箸が食卓に落ちて、更に転がる。俺の手はコップを握っているので、手を伸ばすことができない。箸はそのまま転がり、床に落ちた。
「……」
 床から箸を拾いながら、食卓の上に視線を戻す。残っているのはご飯が少々。おかわりをするつもりはなかったので、これを食べれば終わりだ。
 しかし、箸は一本が床に落ちてしまっている。
 落ちてしまった箸を洗うか、新しい箸を出すか。どちらにしてもなんとなく負けてしまった気がする。残る一本でどうにかご飯を食べることができないだろうか。手を使うのはマナーが悪すぎるよな。
「はい」
 ふと、目の前に野菜炒めを掴んだ箸が突き出された。長門が俺の顔を見ている。
「ええと」
「あーん、する」
「いや、それは」
 俺は思わず戸惑ってしまう。いくら長門の部屋にいるからって――
「あーん」
「……あーん」
 押し切られるように、長門の箸で運ばれた野菜炒めを口に入れる。続いて長門は、身を乗り出して俺の茶碗に箸をつっこみ、残っていたご飯を俺の口に向ける。
「あーん」
「……あーん」
 ご飯を食べて、お茶で流し込む。これで俺の食事は終わりだ。
「これでいい?」
「あ、ああ」
 長門は俺の表情から考えたことを察して、食器を洗わなくて済む方法を選んでくれたのだろう。その点で、俺は長門に感謝すべきなのかも知れないが、一つだけ問題がある。
「わたしがいるんだけど」
 呆れたように朝倉が呟いた。

今日の長門有希SS

 前回の続きです。


「待たせたわね」
 女性陣が戻ってきたのは、俺たちがトランプを始めて二十分ほど経ってからだった。
「じゃあ始めるのか」
「焦るんじゃないわよ。まだ準備があるの」
「そうそう、もうちょろっと待ってくれるかなっ?」
 準備? 既に布団が敷かれて枕も十分にあるから、十分だと思うが。
「髪を乾かすから待てってのか?」
「違うわよ。どうせ汗かくからまたお風呂入るし」
 それなら、そもそも風呂に入る前にやるべきだったんじゃないだろうか。
 準備とは何なのかと思いきや、新たに枕が運び込まれてきた。
「様々な素材を用意したよっ。今あるのは綿が入った枕だけど、そばがらとかウレタンとか小豆とか」
 運び込まれた枕の一つを持ち上げてみる。俺が手に取ったのは小豆だったようで、少々重くざらざらと固い。
 ……ハルヒには持たせたくない品だな。
「そろそろ枕投げを始めるわよ!」
 声と同時に、頭に衝撃があった。スポンジの枕なので痛みはないが、不意打ちだったせいかむち打ちになりそうだった。もちろん投げた犯人は言うまでもない。
「このっ」
 振り返った俺はハルヒに向かって持っていた枕を投げつける。
「ふぎゃっ」
 小豆の枕は攻撃力が高かったのか、ハルヒは顔に枕をくっつけたままひっくり返る。小豆入り枕は細長く中身が不定形なので、顔に絡みつくような状態だ。
「……」
 そのままぴくりともしない。まさか、気を失っていたりしないだろうな。様子を見ようと近づくと――
「おりゃ!」
 顔にへばりついていた枕を投げつけてきやがった。のぞき込むようにしていたので、避けることはできず頭にぶつかる。
 なるほど、これは重くて痛い。
 ぶつかった枕はそのまま落ちていき、再びハルヒがそれを拾う。またぶつけられては痛いので俺は素早く振り返って駆け出す。背中に枕がぶつかったようだが、逆方向に走っていたおかげかそれほどダメージはない。
 ハルヒの近くにいるのは危険だ。布団の上を走り、足下にあった枕を拾って、近くにいた誰かに投げようと顔を上げる。
「ふえっ」
 朝比奈さんはやめておこう。ハルヒほど耐久力が高くない。
 振り返ってみると、ハルヒ鶴屋さんが中心となって激しく枕を投げ合っており、長門や古泉もそれなりに投げている。朝比奈さんは人が集中しているあたりに向かって遠くから山なりに放り投げてはいるが、誰かに到達するまでにぽすっと落ちる。
 さて、どうしたものか。このまま遠巻きに眺めているのをハルヒに見つかれば、絶対に文句を言われる。というか、下手をすれば集中攻撃の対象になりかねない。あいつはそういう奴だ。
 と言うわけで、俺も枕を拾いつつ前線に復帰する。飛び交う枕は布団にセットされていた標準の綿枕だけでなく、先ほど俺も投げた小豆の枕もあって危険だ。マイルドな攻撃力なのはそばがらだろうか。
「戻ってきたわね、キョン!」
 そう言ってハルヒが大きな枕を投げつけてきた。アニメキャラの描かれた、人の身長ほどもある巨大なものだ。
「なんだそれは!」
 ボディアタックのように飛んできたそれをしゃがんで回避する。
「抱き枕よ!」
 再びアニメキャラが飛んできた。今度は半裸だ。
 既に身をかがめていたせいか、俺の顔にそれが衝突した。入っている素材は綿のようで痛みはないが、サイズだけは大きいせいで頭を後ろに引っ張られたように後ろに転がってしまう。
「このエロキョン! なんで裸だけぶつかるのよ!」
 誤解だ。
 起きあがり、落ちていた半裸の抱き枕を投げつけるが、細長いせいか狙いがうまく定まらない。ハルヒではなく、近くにいた鶴屋さんにぶつかってしまう。
「おっ、キョンくんもやる気じゃないかっ!」
 と言って、鶴屋さんはウレタン素材そのものといった低反発枕を投げつけてきた。特有のカーブを描いた枕が、重力から解放されたように真っ直ぐ俺に飛んでくる。
 めこ。
 胸部に密着し、ずっしりとした衝撃がある。枕は跳ね返らない。さすが低反発。
「では僕も」
 続いて古泉が妙な形の物を投げてくる。肌色の塊に、俺たちの高校で採用されている制服のスカートがくっついたものだ。よく見れば、肌色の部分は人の足のような形をしており、黒いソックスまで履いている。まるでそれは人間の下半身のような、というか下半身そのものだった。
 ぼふ、と当たる。
「これは何だ」
「ひざまくらです」
 再び下半身が飛んでくる。なるほど、ひざまくらか。面白い商品があったものだ。というか、鶴屋さんの家にはなぜこのような面白グッズが大量に保存されているのだろうか。
 下半身を投げ返すと、今度は等身大が飛んでくる。気が付けば、普通の枕ではなくひざまくらと抱き枕が飛び交う不気味な場になっていた。
「えい」
 長門の声が耳に入った。顔を上げると、浴衣姿の長門のプリントされた抱き枕が――
 どすんと大きな衝撃があった。抱き枕ではなく、長門そのものだった。
「何をやっているんだ、お前は」
「つい」
「ついでボディアタックをするなよ」
「あなたにとってわたしは抱き枕のようなもの」
 そりゃまあ、否定はしないが。
「有希、面白いことやってるじゃない。わたしも行くわよ!」
 今度はハルヒボディアタックをしてくる。俺と長門が素早く回避したので、ハルヒはそのままどすんと布団に落ちてごろごろと転がっている。
「避けることないじゃない!」
 再び飛んできた。


 と、そういうわけで、俺たちは小一時間ほど動き回り、再び風呂に入るのであった。

今日の長門有希SS

「枕投げをしたいわね」
 涼宮ハルヒは唐突だ。
 放課後、いつものように大したことをするわけでもなく時間を潰していた最中、マウスをいじりまわしていたハルヒがそう発言をしたわけだ。
 枕投げとは、今さら説明するものでもないと思うが、修学旅行や部活の遠征など、泊まりがけでどこかに行った際に行われる遊びだ。とにかく枕をお互いぶつけあうというドッジボールに似たものだが、明確な勝ち負けも、そもそもチーム分けといったものも曖昧だ。誰でもいいからぶつける、というサバイバルじみたものだとも言える。
 そういったわけで、明確な競技時間も決まっていない。飽きるか教師に怒鳴られるかして終わるのがお約束。
「で、なんでまた枕投げなんだ」
「あんたウィキペディアって知ってる?」
「名前を聞いた覚えはあるが、よくわからんな」
「それは知らないって言うのよ」
「わたしは知っている」
 長門が本から顔を上げて視線をこちらに向けていた。
ウィキペディアとはインターネットで提供されている辞書のようなサービス。複数のユーザーによって編集されているので間違いもあるが、基本的には正確な情報が載せられている。日本ではアニメ声優の情報が最も充実していると言われている」
「詳しいな」
「わたしもたまに見る」
 そこで長門は、どこか遠くを見るような目をする。
「ちょっとした調べもののつもりで見た項目から、別の項目に飛んで、そこからまた違う項目を見始めてしまう。気が付けば一時間や二時間は平気で経過している」
 長門にもそういった経験があるのだろうか。
「まあそれはともかく、そのウィキペディアとやらがどうした」
「そこの枕投げの項目を見ていたらやりたくなったわけ」
 ひどく単純な理由だ。ハルヒはどちらかというと影響されやすいところがあるが、暇つぶしにネットをやっていて興味を持ってしまったのだろう。
ウィキペディア上の枕投げの項目は尋常ではないほど充実している」
 うんうんと長門は首を縦に振っている。よくわからないが、ハルヒ長門の間で通じるものがあるらしい。
 しかし、枕投げとはそもそも単体で執り行うものではない。先に述べたように宿泊を伴った行事の夜になんとなくやるものだ。枕投げを目的としてどこかに行くなんて話は聞いたことがない。
「別にいいじゃない、どっかにやりに行きましょう」
 そういうとハルヒは、ポケットから携帯を取り出す。
「あ、もしもし? 今夜、枕投げをしたいんだけど、いい場所ないかしら? え? 家でやってもいい? わかった、助かるわ」
 ピ、と携帯を切る。
「それじゃあ、鶴屋さんの家に行くわよ!」
 いつものことだが、この行動力を世の中の役に立つような事に生かしてくれればいいと思う。


 改めて述べることでもないと思うが、枕投げをするのは枕があるシチュエーションである。修学旅行であれば、ホテルや旅館について食事を終え、色々とあってから消灯時間になってから。つまり寝る時だ。
 しかし、俺たちが鶴屋さんの家に到着したのは夕方だった。まだ寝るには早い。
「あたしは別に今から寝るまでずっと枕投げをするのもいいと思うのよね。枕投げは寝る前じゃなきゃダメだって誰が決めたのよ」
 なんて無茶苦茶なことを言い出したが、突然の話だったので鶴屋さんの方が用意できていなかった。俺たちは枕投げのスタンバイができるまで、食事をしたり風呂に入ったりして待つことになった。鶴屋さんの家はちょっとした旅館並の大きさがあり、俺たちが過ごす部屋も大広間なので、ちょっとした旅行気分というか、本当に修学旅行のようだった。
 俺と古泉が風呂から戻ると、広間には布団が敷かれていた。俺たちSOS団の他に鶴屋さんをあわせて六人だが、明らかに人数分以上の布団がある。
「やる気のようですね」
「そうみたいだな」
 元々畳敷きの部屋だから危険は少ないが、これだけ布団が敷き詰められていれば転倒しても怪我はしない。なおかつ枕の数も多いので、思う存分枕投げができるわけだ。
 しかし、ハルヒたちの姿はない。一概には言えないが、どちらかと言えば男より女の方が入浴にかかる時間は長い。もう少しかかるのだろう。
「ババ抜きでもやるか」
「そうですね」
 テーブルや荷物は広間の隅に寄せられており、そこで夕飯前にやっていたトランプを見つけた。二人のババ抜きは正直面白くはないが、あまり長く待たされることはないだろうし、適当に時間が潰せればいい。
「しかし、不思議なものですね」
「何がだ?」
「枕投げをするために時間を潰すなんて、そうそうできる体験ではありません」
「そうだな」
 そもそも、枕投げがメインになっている時点で間違っていると思うのだが、今さらそれを言っても仕方がない。

今日の長門有希SS

 今さら言うまでもないことだが、俺とハルヒは同じクラスである。どちらも掃除の当番ではなく、特に何事もなければ連れ立って教室を出ることもある。
「あら有希」
 と、そこで長門に出くわした。俺たちと長門の教室は隣なので、こういったこともまた起こりうる話だ。俺たちは教室を出るまで少々話し込んではいたのだが、長門のほうも教室を出るまで時間がかかったらしい。
「お前ももう行けるのか?」
「大丈夫」
 その手には鞄が握られている。もちろん行き先は言うまでもなく、文芸部の部室。まあ文芸部というのは名ばかりで、実際はSOS団が不法占拠しているわけだが、とにかく俺たちの目的はそこだ。
「さすがに古泉くんはいないわね」
「みたいだな」
 ひょっとしたらと思ったが、廊下に古泉の姿はない。教室の中をのぞき込んでいるハルヒの言葉を信じるなら、そこにもいないのだろう。
「あたしたちより遅かったら、どこかでサボっていたってことになるのかしら。ほら、営業中のサラリーマンが公園でぼーっとしているみたいな」
「教室以外を掃除しているのかも知れないだろ。アホなこと言ってないでさっさと行くぞ」
掲示物を見て古泉一樹が当番かどうか確認する?」
「しなくていい」
 廊下から見ても長門なら本当に調べることができるだろう。しかし、仮に古泉がどこかで骨休めをしていたとしたらそれを暴いてしまうことになりかねないし、もしかしたら『機関』の方と連絡を取っていてハルヒに知られるとまずいかも知れない。
 ともかく、俺たちは三人でぞろぞろと部室棟に移動し、部室の前に到着した。
「おっ待たせー!」
 そう言ってハルヒがノックもせずにドアノブを回す。朝比奈さんが着替えているとまずいので、俺は慌てて中が見えない場所に移動した。
「あれ、古泉くん何してんの?」
 古泉がいるなら朝比奈さんが着替え中ということはないだろう。部室の中をのぞきこむと、古泉は椅子に座ってファンシーな鏡をのぞき込んでいた。その横には朝比奈さんが立っている。
「なんだ古泉、お前はそんなに自分の顔が好きなのか?」
「いえ、そういうわけではありません。ちょっと鼻にニキビができてしまいまして、確認していただけです」
 ありがとうございます、と古泉は鏡を朝比奈さんに手渡す。それを受け取った朝比奈さんは、ぱたぱたと折り畳んで自分の鞄にしまっている。どうやら朝比奈さんのものだったようだ。
「どれどれ」
 向かい側に腰掛けながら見てみると、古泉の鼻がうっすらと赤くなっている。言われてみなければわからない程度だ。
「今まで僕自身も気付いていませんでした」
 まあ、自分の顔なんてまじまじと見ないしな。家を出る前に身だしなみを整える時くらいだ。
「触ってみると少々痛みがあります」
「ニキビはあんまりいじらない方がいいわよ。原因は……まあ、キョンと違ってちゃんと洗顔とかしてそうだから、寝不足とかストレスとか食生活とか。古泉くん、バレンタインにもらったチョコがまだなくなってないとか」
「ははっ、それほど頂けたら素晴らしいことですね」
 古泉がどういった私生活を送っているのかはわからないが、ハルヒと関わってるだけでストレスはいくらでも貯まりそうだ。
「跡になるからよくないけど、潰して汁を出すとすっきりするのよね」
 ハルヒはオモチャを前にした猫のような顔で古泉の鼻を見つめている。
「いじるとよくないんだろ?」
「そうね。でも、男の子なら傷の一つや二つあってもかっこいいと思わない?」
「思わないな」
 顔に傷とかどう考えてもカタギじゃないだろう。というか、ニキビを潰した跡はどう考えてもかっこよくはない。
キョンには男のロマンがわからないのね」
「お前は女だろう」
「じゃあ女のロマンよ」
「そんな言葉はない」
 少なくとも俺は聞いたことがない。
「わたしもニキビがある」
 と、話が一段落したところで長門が口を開いた。
「なに、潰していいの?」
 古泉もあれだが、長門の顔にニキビの跡が残ったらなおよくないだろう。
「ないじゃない?」
 まじまじと長門の顔をのぞき込んだハルヒは不満そうだ。
「顔ではない」
 まあ顔の場合が目立つが、他の部分に出ることもある。
「どこにあるの?」
「乳房」
「胸にできてるの?」
「左右の乳房の先端にそれぞれ赤い突起が一つずつ」
「それは乳首でしょ」
「その可能性も考えられる」
 断定しろ。


 話が一段落した後で、長門は本棚に向かう途中で俺の横を通る。
「絞ると白い汁が出る」
 ぼそりと長門の声が聞こえた。
「それは母乳だ」
 ちょっと待て。
「なんで母乳が出るんだ」
 長門はそれには答えず、本棚で新しい本を取って椅子に戻る。
 読んでいるのは珍しく小説ではなく雑誌で、たまごクラブだった。

今日の長門有希SS

「女が電気を消してくれと言うのは、恥ずかしいってよりも、仰向けになった時に眩しいからなんだ」
 授業の合間の休憩時間。教室移動やトイレに行く用事がなければ、基本的に暇である。次の授業のための準備時間ではあるが、教科書やノート、場合によっては辞書などを用意するのは、それほど時間がかかるものではない。
 というわけで、俺たちはクラスメイトと話して時間を潰すことになる。席が近いハルヒに話しかけられ、気が付けば次の授業の予鈴が鳴ることも少なくはないが、谷口や国木田など男友達と会話して過ごす場合も多い。
 本日の話題は「なぜモテる男は間接照明を導入するか」といったもので、結論は冒頭に谷口が述べた通り。要するに、天井から吊す一般的な蛍光灯などでは、女性と性的な行為をする際に眩しく感じさせてしまう、とのことだ。
 間接照明とは一度何かに反射させて部屋を照らすものであり、光源が露出しているような照明に比べると眩しくはない。天井から吊すタイプもあり、それは天井に光を照射し、その反射光で部屋を照らすとか。
 ともかく、谷口の説によると、部屋の明かりを間接照明にしてしまえば女性の顔や体を存分に見ることができる、という話だ。
 先にも述べたように、今は授業の合間の休み時間である。俺たちが会話をしているのは教室で、教室には当然のごとくクラスメイトもいる。人類の半分は女性であるという言葉はあるが、クラスの半分も女性である。つまり、俺たちの周囲には女子生徒も多く、やや熱を帯びた谷口はやや大声になっており、会話している内容はけっこうな人数に聞こえているだろう。
「……」
 太めの眉をしかめる委員長なんかもいる。もしここがアメリカだったら、谷口はセクハラの容疑で訴訟を起こされていてもおかしくはない。そして恐らく敗訴するだろう。証人はこんなにいるんだ。
「ところで谷口、眩しいのは女の子に限らないと思うんだけど」
「……どういうことだ?」
「いや、どっちが仰向けになるか決まってないじゃない」
「……ん? あ、ああ、そういうことか」
 百戦錬磨で今まで数多くの女性と浮き名を流したことで知られる谷口だが、咄嗟には国木田の言っている言葉の意味がわからなかったようだ。
「おいおい、教室でそんな品のないことを言うなよ」
 突然生真面目な顔になった谷口がそう口走る。どちらかと言えば谷口の方が品がなかったように思うんだが、こういった下世話基準というのは人によって違うものなので、谷口的には自分の口にしていた内容はセーフでも国木田のはアウトだったということだろう。
 とまあ、そんなどうでもいい話をしているうちに予鈴が鳴り、俺は自分の席に戻る。
「教室でエロい話してんじゃないわよ」
 聞こえていたらしい。不機嫌そうなハルヒが俺を見ていた。
「俺は何も言っていなかったと思うが」
「話に加わっていたら一緒よ」
 はあと呆れたように溜息を吐く。
「全く、あんたのせいでSOS団が変な目で見られるでしょ。自覚してんの?」
 そもそも、SOS団がおかしな存在として認識されているのはハルヒのせいだと思うんだが。こいつこそそれを自覚しているのだろうか。
「ちゃんと聞いてんの?」
「へいへい」


「で、お前も眩しいと思ったことはあるのか?」
「ないこともない」
 二人きりになった時に、谷口が話していた内容を思い出して話を振ってみると、長門は首を縦に振って肯定した。
「しかし、瞳孔の大きさを変えることで光量を調整することができる。些細なこと」
「猫みたいだな」
「原理は同じ」
 猫の場合は光を多く取り入れることで暗い中でも物をみることが出来るようにするのであって、やっていることは逆になるが。
「でも、俺はそういう人間離れした能力は持っていないな」
「サングラスをかければいい」
 想像してみる。
「特殊なAVか何かみたいだな」
「わたしもどうかと思う」

今日の長門有希SS

 前回の続きです。


 最初はどこかに向かって歩き出したハルヒだったが、特にいい案を思いつかなかったのか「各自、食べたい物を買ってきましょう」なんて言い出した。
 千円を四人で割ると二百五十円。それを俺以外の四人に分け、いったん別れて買い物をすることになった。まるで遠足に持っていくおやつの買い物のようだ。
 ちなみに俺は、ハルヒの宣言通り金を渡されることなく、一人で待たされることになっている。集合場所になった公園でぼんやりと過ごす。
「戻った」
 気が付くと目の前に長門がいた。解散してまだそれほど経っていない。
「早かったな」
「そこで買った」
 ここから見えているコンビニを指差す。持っている袋には、何か小さなカップ状のものが入っているのが形でわかる。そういえば、コンビニで二百円くらいのデザートがよく売っているが、そういうのを買ったのだろう。
「何を買ったんだ?」
「後のお楽しみ」
「わかったよ」
 それからそうかからないうちに、他の三人も戻ってくる。やたら大きな袋を持っているハルヒが最後だった。
「駄菓子を買ってきたのよ」
「本当に遠足みたいな奴だな」
「色々と食べられていいじゃない」
 まあ否定はしない。
 台やテーブルがないので、ハルヒはベンチの上に中身を出していく。袋からは数種類の棒が……って、そればかりだな。
「安くて量がある方がお得じゃない」
 結局、ハルヒが買ってきたのは十本ほどの棒と、十円や二十円くらいの駄菓子がいくつか。一人分で買った金額だが、少々量が多い。
「ちょっと買い過ぎちゃったし、特別にあんたにも分けてあげるわよ」
 どうせ使い切らないと損だと思って、二百五十円フルに使ってきたのだろう。小遣いを与えられた小学生のようだ。
「他のみんなは?」
「えっとぉ、あたしはクッキーを買いました」
 朝比奈さんが取り出したのは、透明なビニール袋に入ってリボンでラッピングされたクッキーだ。どこかの洋菓子店で買ったのだろうか、ハルヒの駄菓子に比べると高級感がある。
「僕はお茶と紙コップを」
 ハルヒほどではないが妙な袋を持っていると思いきや、古泉はそういうのを買っていたらしい。どうせハルヒや朝比奈さんがこういった「みんなで食べられるもの」を買うであろうと予想していたのだろう。
「有希は」
「これ」
 長門がコンビニ袋から取り出したのは、他の商品より小さいのに倍くらいの値段がすることで有名なカップのアイスだった。
「この時期にアイス?」
 ハルヒが首を傾げるのも無理はない。温かくなってきたとはいえ、まだ涼しい日だってある。というか、今日はどちらかと言えば寒い部類に入る。
「ちょうどいい値段だったから」
 確かに二百円オーバーの商品だ。
「まあいいわ、せっかくだからみんなで食べましょう」
 というわけで、俺たちはベンチを囲み、お茶を飲んで駄菓子やクッキーをつまむ。朝比奈さんのはともかく、ハルヒの買ってきた駄菓子はいちいちハルヒに「食ってもいいか」と伺いを立てた上で許可を得なければならない。面倒だ。
「わたしのも食べていい」
 と、一人でカップアイスを食べていた長門ハルヒにスプーンを突きだしている。
「そう、ありがとう」
「どういたしまして」
 長門はなんとなく楽しそうだ。まあ、一人で食べるようなものを買ってきたが、わいわいやってみたくなったのだろう。
「あなたも」
「ああ」
 差し出されたスプーンに口を開ける。手元が狂ったのか、長門の持っていたスプーンは俺の唇にくっつき――て、妙に冷たい。そして外れない。
「なんだこれは」
「唇にアイスが貼り付いてしまったらしい。濡れた手で氷を触った時にくっつくのと同じ原理」
「え、そんなに冷たかったっけ?」
 先に食べていたハルヒが首を傾げる。
「海外では、舌を冷やそうとして冷凍庫の内側を舐めて貼り付き、凍傷になった事例がある。この状態は危険」
 なんだそのバカな事件は。
「直す方法はわたしが知っている。わたしに任せて」
「ああ」
 俺が答えた矢先、長門が俺の手を引く。
「ちょっと有希、あたしも」
「これをお願い」
 アイスのカップを預けられ、ハルヒは「あ、うん」と答えながら足を止めた。
 そして俺たちが向かったのは水飲み場だった。
「水で溶かすのか?」
 この時期ならまだ水道水も冷たいだろうが、少なくとも凍っているアイスより水の方が温度は高い。
「もっといい方法がある」
「俺としてはどっちでもいいな。問題がないなら」
「そう」
 長門はすっと、俺に顔を近づけて、ぺろりと舐めた。
「こちらの方が温度が高い」
「あ、ああ」
「あと美味しい」
「そうか」
 とまあ、そういったことはあったが、基本的にはまったりとした時間を過ごす休日だった。

今日の長門有希SS

 休日に、俺たちSOS団は街を徘徊する。何度も繰り返されており、もはや恒例行事となっているので学校に行くのと大して変わらない気分になっている。慣れとは恐ろしいものだ。
 この集まりの目的は不思議な何かを探すことだが、誰も本気で探していない。言い出したハルヒですら、休日に集まるということそのものがメインになっているのではないかと思うほどだ。
 とまあ、そういったわけで、不思議なことなど見つけられるわけもなく、俺たちは青春の無駄な時間を浪費しているわけだ。何かが起きるよりも、何も起きない方が圧倒的に多い。部室で過ごす時間と大差ない。
 というわけで、ここのところ大きなことは起きておらず、午前の時間は何もなく終わった。メンバーは朝比奈さんと古泉。この組合せで歩いていると、何やら俺がひどく場違いに思えてくるので少々居心地が悪い。もちろん二人が悪いわけではないのだが。
 待ち合わせ場所に戻り、ハルヒ長門をぼんやりと待つ。比較対照になってしまうのがしゃくなので、俺は談笑する二人から離れて待つ。しかし、こうして客観的に見ていると、本当に美男美女の組合せだ。私服だとそれがより感じられる。
「お待たせー!」
 満面の笑みを浮かべたハルヒが走ってくる。後ろ手で長門の腕を掴んでの爆走だ。仮にあれが長門でなければ、足がもつれているに違いない。
「おやおや、ご機嫌ですね涼宮さん。何かありましたか?」
 そう問いかける古泉の顔がわずかに引きつっている。ハルヒはどちらかと言えばテンションが高い方だが、トップギアに入っている状態はそれほど多くはない。そして今がその珍しい状態だ。
「聞いてよ古泉くん、見つけたのよ!」
 何をだ。
「……」
 まず俺はハルヒの後ろに立つ顔を向けるが、ちらりと見返してきただけで反応を見せない。ごそごそとポケットをまさぐっているハルヒより、俺は長門に注視していた。
 心配しなくていい。長門の口がそんな風に動いたように見えた。しかし長門は「今日は大丈夫」と言って大丈夫じゃないこともあるので、本当に心配しなくてもいいのか判別できない。
「お金拾ったのよ!」
 そう言って、ハルヒは誇らしげに千円札を取り出した。
「それはそれは素晴らしいですね」
 古泉は本当に嬉しそうに答える。まあ実際、その程度のことで済んでよかったと思っているのだろう。俺だってそうだ。長門の「心配しなくていい」は本当だったようだな。
 しかし、千円でここまで喜んでいるとは、まるで小学生のようだ。
「さっそくなんか買うわよ!」
「なんの躊躇もなくネコババするのか」
「バカね、キョン。警察に届けたって落とし主なんて出てこないわよ。数ヶ月後にあたしのものになるって決まってるなら、今から使っても問題ないわ」
「遺失物は、三ヶ月以内に持ち主が出てこない場合、届けた者に所有権が移る」
「じゃあ使っていいわよね」
 何がどう「じゃあ」なのかはわからないが、どうせ持ち主は出ないだろうというのは同意できなくもない。財布ならともかく金そのものなら誰の持ち物かわからない。
 警察犬が犯人の遺留品から逃亡先を捜すというのをドラマなどで見かけるが、お金でもそういうことができるのだろうか。
「難しいけど不可能ではない」
 いつの間にか横に来ていた長門がぼそりと呟いた。
「できるのか?」
「紙幣には持ち主の匂いが付着する。ただし、最新の一人とは限らない」
「どういうことだ」
「今まで流通の際に触れてきた全ての人物の匂いが多かれ少なかれ残留する。もちろん、古いものは薄れている。しかし、長期間所有していた者がいれば、多少それが古くても最も強く残っていることもある」
「つまり、可能性はあるがそれほど高くないってわけか」
「そう」
「やらなくてもいいぞ」
 仮に匂いを特定したとしても、そいつを探すのが大変だろうし、根拠を言っても相手に信じてもらえないだろう。
「わかった」
「それじゃ、なんか食べ物でも買いに行くわよ! キョンネコババしちゃダメとか言ってたから、四人で山分けよ!」
 なんて言ってハルヒが歩き出す。五人で割れば二百円だから大した金額ではないのだが、一人だけ仲間はずれになると思うと少しだけ残念なのはなぜだろうか。
「大丈夫、わたしの分をわける」
「ありがとよ」
「ほらキョン! 早くしなさいよ!」
「はいはい」
 こうして俺たちは、テンションの高いハルヒの後に続いて歩き始めるのだった。