今日の長門有希SS

 緊張の糸が切れるという言葉がある。切れるところまで一つの言葉で、緊張の糸が切れなかったというような使い方はあまりされない。切れることにしか存在意義のない不思議な言葉である。
 緊張の糸とやらは安心や油断した時に切れるのが定番らしい。ほっとして、それまで我慢できていたことができなくなってしまう、とか。
 俺にとって、最もそれが発生しやすいタイミングは長門の部屋を訪れた時だ。ドアを開けて中に入ると、自宅に帰ったような安心感がある。外では俺たちが交際している事実をあまり大っぴらにはできないが、このドアをくぐった瞬間にそれから解放されるというのもあるだろう。
 ともかく、俺は長門の部屋に入ると安心する。ほっとする。緊張の糸が切れ、ついトイレに足が向く。
 自宅のドアが近づくと尿意が高まる。誰もが一度はそんな経験をしているはずだ。俺の場合、自宅でなくてもそうなるようになってしまった。別に悪いことじゃないけどな。
 だが、部屋に入った瞬間にトイレに駆け込むわけにもいかない。俺たちの手には食料品が入った袋が握られており、できるだけ早く冷蔵庫に入れなければならないものもある。尿意を我慢して袋から生鮮食品を取り出し、冷蔵庫に収納していく。肉はチルド室、野菜は野菜室。飲み物はドアポケットが基本だが、入りきらなければ横にして空いたところへ。
 二人の方が手早くできる。お互いの体が邪魔をするので半分の時間とまではいかないが、一人よりは確実に早く終わるはずだ。
「よし」
 袋の中を調べ、冷蔵や冷凍しなければならないものがもう入っていないことを確認する。これでトイレに行っても問題ない。
 一足先にキッチンを後にした長門に続き、トイレの方へ。
長門、どこに行くんだ」
 コタツに入るのかと思いきや、そちらではなく俺の前を歩いている長門に声をかける。
「トイレ」
「ちょっと待ってくれ、俺も限界なんだ」
「わたしも限界」
 人体の構造的に、男性より女性の方が尿意を我慢できないらしい。管が長さの違いだそうだ。
「急いで済ませることはできるか?」
「……」
 長門は困ったように俺の顔を見上げてくる。男にとって排尿をサッと済ませるのは簡単だが、女はそうはいかない。
「先に入ってもいいか?」
「ダメ」
 とんとんと音が聞こえる。見ると、長門は小さく足踏みをしていた。
 排泄が迫っている時、立ち止まることは禁物である。だから長門は俺と話しながらも足を動かし続けている。
 ……意識すると尿意が迫ってきた。長門に倣い、俺も足踏みを始める。
「じゃあ長門、できるだけ早く済ませてくれ」
 とんとん。
「難しい」
 とんとん。
「どうして」
 とんとん。
「大きい方」
 とんとん。
「じゃんけんをしよう」
 とんとん。
「了解した」


 結局、先に長門が入って俺は廊下を往復しながら待つことになった。そもそもあんなやりとりをしないでさっさと入ってもらった方がよかったと気づいたのは、長門と入れ違いにトイレに駆け込んだ後だった。