今日の長門有希SS

「……」
 ここは長門のマンション。学校帰りにここに寄ることは珍しくもないが、長門の前に座らされてただ見つめられるのは――少ないとは言わないまでもそれほど多くはない。もっとも、そう言う状況になるのは何らかの遊びの最中であり、長門から浴びせられる冷たい視線により俺が悦楽を得ているのが定番だが、今度ばかりは事情が違う。
 俺たちの間に鎮座するコタツの上には一つの携帯電話が置かれている。そもそも、こうなった状況を生みだした元凶はこれだ。いや、誰か長門の知らない女と電話をしていたわけでも、メールをしていたことが原因ではない。長門の知っている女が相手でもない。ともかく、そう言った異性関係はこの件には何ら関わりを持たない。同性についてももちろんだ。
「……」
 長門は無言で携帯電話を持ち上げ、ぽちぽちと片手で操作する。よく使う女子生徒は両手の指を巧みに使って素早くメールを打つこともあるそうだが、俺も長門もその域には到達していない。
 しばらく操作を終えて、長門は携帯をコタツの上に置く。こつんと固い音が響く。
「これが?」
 携帯のディスプレイに表示されているのは待ち受け画面などではなく、数ヶ月前にダウンロードしたアプリケーションだ。
「そうだ」
「面白さがいまいちわからない」
「最初は確かにそうかも知れないけどな、何度もやってみるとわかるんだよ。まあ、そもそもそれはアプリケーションではなく家庭用ゲーム機で開発されたもので……いや、昔からその手のゲームはパソコンでもあったらしいんだが、ともかくそのシリーズは家庭用ゲーム機……いや、今は携帯用にもなっているな。まあそれはいいんだ。とにかくだな、いきなりアプリをやっても面白いと思えないのは仕方がないんだ。試しに本来の――」
「……」
 長門の視線に気が付き、俺は口をつぐむ。
「いや、俺が悪かった」
 何が問題だったかと言うと、俺がそれをプレイしすぎたのが原因である。いわゆるRPGに属するゲームなのだが、それは何度も繰り返してしまう面白さがあった。
 そして、俺はそれを主にトイレでやっていた。学校などではやらないし、長門が目の前にいる時にもそんな暇はないのだが、トイレに行くと人間は手持ちぶさたになる。少し前までは携帯で配信されるニュースなどを眺めて過ごしていたのだが、かつてダウンロードしたアプリの存在にふと気づいてしまい、何気なく起動してしまったのが原因。
 気が付くと、トイレに入るたびにそのアプリを起動するようになり、しかもトイレで行う本来の用事を終えてもなかなかでなくなり……長門の気が付かれたわけだ。
 いや、長門は別にゲームをすることを悪だと見なしているわけではない。だが、長々とトイレを占領してしまっていたことを問題にしているわけだ。それまで俺と長門が同時にトイレに行くことはあまりなかったのだが、俺が滞在する時間が長くなることにより、最近になってわりと頻繁にトイレのドアをノックされるようになった。アプリを中断させトイレを出ると、そこはもじもじと太股をすりあわせている長門がいるという状況が何度かあり、今回になって「あとで話がある」と言い残してトイレに飛び込んでいった。
 と、言うのが顛末である。どこをどう考えても一方的に俺が悪い。
「これ、消去してもいい?」
「できれば消すのは勘弁して欲しいんだが」
 このゲームは入手したアイテムを持ち帰り蓄積ができるもので、それなりにいい装備は集まっている。そのためにどれだけ時間を費やし、長門とトイレの前でもじもじさせたかを考えると本当に申し訳なく思うのだが、消されてしまうのはさすがにつらい。
「二度とトイレの中じゃやらない。お前だって待たされると困るだろ」
「……」
 長門は携帯を置き、じっと俺を見つめてくる。非難するような目で。
「トイレを待たされるのは問題ではない」
 じゃあ、何が?
「あなたがゲームに夢中になるとわたしと過ごす時間がなくなってしまう」
 どうやら俺は、根本のところを勘違いしていたらしい。
「トイレの中で退屈なら、わたしに考えがある」
 長門は携帯を持ち上げ、口の中で何やら呟く。
「どうしたんだ?」
「わたしとあなたに限り、いつでも通話無料」
 どこぞの電話会社のサービスみたいだな。
「しかもカメラ機能も搭載した。これで用を足す最中でも顔を見て会話することができる」
 いや、さすがに用を足す最中はちょっと……


 などと言いつつ、ある種の楽しみのために俺たちはその機能を活用することになるのだが、それはまた別の話。