今日の長門有希SS

 長門のマンション、コタツ机を挟んで向かい合わせに座る俺たちはそれぞれ本を開いている。と言っても、二人とも読書をしているわけではない。長門は例のごとく分厚いハードカバーに目線を落としていたが、俺は開いた本にシャープペンシルを向けていた。
 縦横それぞれ九マス。合計八十一マスの正方形の中に、転々と数字が入っている。元々印刷されていたのもあるが、そのうちの何割かは俺が書き込んだものだ。
 いわゆるナンプレとか言う、数字を使ったパズルだ。八十一マスを更に九マスずつ分けた中には同じ数字が一度しか使えないとか、縦横に同じ数字が入ってはいけないとか、言葉で説明すると非常に面倒くさいがやってみると簡単なゲームである。
 この本は長門と古本屋に出かけた時に買ったものだ。こういった書き込むタイプの物はあまり中古では買いたくないものだが、値段が安く、最初の数ページしか書き込まれていなかったのでつい買ってしまった。あまり期待していなかったのだが、やってみるとなかなか熱中してしまうもので、暇があればつい開いてしまうようになった。
 しかし、少し前から俺の手は止まっていた。こういうのは最初のうちはスラスラと埋めていくことができるが、中盤になると決まって進まなくなる。ぱっと見てわかるようなものを書き終えてしまったので、後はじっくり絞り込まなければならないのだ。
 しかも、ちょうど本の中で難易度が上がったところで今までより難しい。初級から中級らしい。確かに、最初の時点で印刷されている文字の数が全然違った。
 少し疲れてしまった。ペンを持ったまま、俺は顔を上げる。
「……」
 視線を感じたのか、長門の顔がゆっくりと持ち上がる。何か用でもあるのかと言いたげに首を傾けた。
「いや、別に用事があるわけじゃない」
「そう」
 また本に視線を落とす。
 長門なら、どのマスに何を書き込めばいいのかすぐにわかるだろう。問題文を解いて単語を書き込んでいくクロスワードと違い、これはルールに従って数字を入れていくものだ。機械的な処理でも解くことができるもので、なんとなく長門は得意そうだ。
 と、こうしていても仕方ない。再び本に目を落として空いたマスと数字の入ったマスをじっくりと見比べる。だが、この方法では限界があるようなので、俺はマスの片隅に小さく数字を書き込んでいく。
 何をしているかと言うと、特定のマスに入りうる数字をリストアップしているだけだ。一つに絞り込めなくても、二つの数字くらいまで特定できるマスはけっこうあり、そこに書き込まれた数字を使って推測する方法はある。
 あるマスに特定の数字が入っていることにして、矛盾があるかどうか調べる方法もある。仮に二つまで絞り込めたマスで片方の数字が入らないとわかれば、答えが出るからな。
 問題があるとすれば、小さい文字を書くと見栄えが悪くなることだ。いちいち消しゴムで消すのも面倒なのでそのままにしているが、たまにごちゃごちゃして見づらくなることもある。


「よし」
 空欄は全て埋まった。中盤こそ苦戦したが、そさえ乗り切るとあとは簡単だった。一マス埋まると立て続けに他のマスが埋まったりもしたしな。
 ペンを挟み、パラパラとページをめくる。この本は後半に回答があるので、そこと見比べる。このゲームは滅多に間違うことはないが、たまに同じ数字をかぶって書き込んでしまったりすると、それから先はほとんど間違っているなんてこともある。
 目的のページにたどり着き――
「嘘だろ」
 俺は思わず本を閉じて突っ伏してしまった。
「どうかした?」
 顔を上げると長門が不思議そうに俺をのぞき込んでいる。
「見てくれよ」
 開いた本を逆にして、長門に差し出す。
「どういうこと?」
「回答が消されているんだ」
「ああ」
 長門に示したページには回答が掲載されているのだが、その上から黒く塗りつぶされていた。サインペンか何かで塗りつぶされているせいで、それはただ単に黒い正方形があるだけだった。
「ここもか」
 残りのページをめくっていると、その問題以降全ての回答が塗り潰されているようだった。まさかこんなことをする奴がいるなどとは思っていなかったので確認を怠っていた。
 一気にやる気をそがれてしまった。わざわざ途中から塗りつぶすとは、これを売った奴はなんて恐ろしいことを考えるのだろう。難しくなると共に面白くなってきたところでこの仕打ちはあんまりだ。
「見せて」
「ああ」
 長門は最初からパラパラとめくってペンの挟まっていたページを開き、上から下へと視線を動かす。
「合っている」
「本当か?」
「一から九まで縦横同じ列に重なっている数字はない。正解とみなしても問題ない」
「ルールを知ってたのか?」
「確認した」
 最初の方をめくっていたのはそういうことだったのか。
 何はともあれ、これでナンプレが嫌いにならずにすんだ。トラウマになるところだった。
「ありがとな」
「いい」
 本を開いて顔を落とす長門が、少しだけ誇らしげに俺には見えた。


 その後日のことである。
キョン、何やってんの?」
 珍しく早く教室に到着した朝、特に話す相手もいなかったのでナンプレを解いていると、登校してきたハルヒが俺の手元をのぞき込んできた。
「あー、それか。ちまちまちまちまめんどくさいのよね」
「お前はこういう細かいパズルはやらなそうだな」
「細かいのがイヤなのよ。四段同時に消したり連鎖するみたいに、解いた瞬間に爽快感がないと」
 そういうのはコンピューターゲームに求めてくれ。
「あたしもそんな感じの本買ったことあるんだけどさ、最初だけやってムカついたから答え塗りつぶして売っぱらってやったわ!」
「お前かよ!」
 思わず殴ってしまったわけだが、仕方がないよな。