今日の長門有希SS

 大きめのスーパーにはそれなりに大きめの本屋が入っている事があり、食事の買い物の後に長門がフラフラとそこに吸い込まれる事は決して珍しい事ではない。長門にとって読書というのは重要なものなので、俺もその時間は大切にしてやろうと思う。
 いつもは小説コーナーに直行する長門は、その日は珍しく平積みされた雑誌コーナーで足を止めていた。何を見ているのかと視線の先を追うと、お菓子作りの雑誌があった。
 長門が見ている雑誌の表紙にはケーキなどの焼き菓子が写っている。
 そう言えば以前、長門に何かお菓子を作ってもらったような気がする。確か、プリンか何かだったような気がする。
「気になるのか?」
「……」
 問いかけると、顔の向きはそのままにチラリと視線だけをこちらに向ける。
「少しだけ」
 いつも長門は分厚いハードカバーの小説ばかり読んでいるが、たまには雑誌でも読んだ方がいいだろう。あまり俗っぽい雑誌を読まれるとちょっとアレだが。
「買ったらどうだ?」
「……」
 俺と本の間でしばらく視線を泳がせてから、長門はその雑誌を抱えるとレジに向かって行った。


 俺が夕飯を作る間、長門はキッチンの椅子に座ってパラパラと本を眺めていた。
「……」
 突然、長門は立ち上がり、調味料なんかが入った棚を漁り始める。
「どうした?」
「薄力粉……」
 棚の奥から引っ張り出した長門は、満足げに見えた。
 今作る気なのか?
 冷蔵庫を開けてごそごそと何やら探している。
「今度は何を探しているんだ?」
「生クリーム」
 いや、生クリームなんて普段使わないから買ってないだろ。
「……」
 長門はひどく残念そうだった。
「じゃあ、イチゴ」
 俺の記憶が確かなら、ここ数日でイチゴを買った記憶はない。買っていないはずのモノが入っているとしたら、それはもはやホラーである。
「何が作りたいんだ?」
「ショートケーキ」
 まあ材料から予想は出来ていたが、いきなりそこまで凝ったお菓子を作らなくて良いんじゃないか?
 このキッチンにはオーブンも完備されているが、スポンジケーキを焼くなら容器が必要になる。ケーキはまた今度にした方がいいだろう。
 小麦粉や卵や牛乳などの一般的な材料は揃っているので、特別な器具の必要ないものなら大丈夫だ。
「ちょっと見せてみろ」
 夕飯を作る手をいったん止め、テーブルの上に開いてあった雑誌をパラパラとめくる。特別な調理器具を使わなくていいものは……やっぱり、簡単なものになるよな。
「クッキーとか」
「……」
 なんとなく、嫌そうな空気が伝わってくる。クッキーは定番過ぎるし、簡単すぎてもつまらないって事だろう。
 最初はそれでも良いと思うんだが……まあ、長門が気に入らないのなら仕方がない。
「ラング・ド・シャならどうだ?」
「……」
 沈黙したままだが、興味を持ったような気持ちが伝わってくる。
「それでいい」
 実のところ作り方はクッキーと大差ない。というより、どうやらクッキーの一種らしい。
 しかし、長門が納得してるから問題あるまい。
「じゃあ、飯食ったら作るか」
「それでいい」


 夕飯を食べ終えて再びキッチンに立つ。どうせこれから食器を使うから、食器を洗うのは後回しだ。
「卵とバターと砂糖を出してくれ」
 薄力粉は出しっぱなしだったので、あと必要なものはそれだけだ。
 長門がそれらを用意している間、俺はボールとかを引っ張り出す。もしかしたら無いかも知れないかと思ったが、泡立て器があったのが奇跡的だった。
 長門が泡立て器を使ってバターをボールでかき混ぜ、色が変わったところに俺が砂糖を入れる。最初は俺がかき混ぜようかと思ったが、冷蔵庫から出したばかりのバターはなかなか混ざらなかったので、長門が代わりにやっている。
 ……少しだけ、情けない。
 砂糖が混ざったところで卵と小麦粉を入れ、今度は木ベラを使って混ぜる。
 どうしてここで混ぜる道具を変えるのか理由はわからないが、本でそう指示されているのだから従った方が良いだろう。ハルヒならともかく、余計なことはしないに限る。
 大体混ざったところで、俺は長門に作業を任せてオーブンから角皿を取り出して余熱しておく。
 角皿には、普段あまり使っていないせいで少しだけホコリがついていたので、軽く水洗いしてからキッチンペーパーで拭いて綺麗にする。まあ、この上にアルミホイルを敷くから多少は汚れていても問題はないのだが、その辺はやっぱりちゃんとした方がいいよな。
 ともかく、敷き詰めたアルミホイルに油を塗って、その上に今まで長門が練っていた生地を出していく。
 本当は絞り袋があれば良いということだが、さすがにそんなものは用意してないのでビニール袋で代用する。それなりに薄くのびたので、これで大丈夫だろう。
 余熱が終わったオーブンに角皿を戻し、後は十分ほど待てば完了だ。
「……」
 十分ほどかかると言っているのに、長門はガラス越しにオーブンの中をじっと見つめていた。やれやれとため息をつきながら、椅子に座って俺はそんな長門の横顔を見つめていた。
「ぷくってなった」
 モチじゃあるまいし。
 何の事かと見てみると、プツプツと気泡が出ていた。
 結局、焼き上がるまで長門はオーブンの前にかじり付いていた。
「焦げるか心配だったから」
 いや、お菓子作りって本の通りにやれば余程の事がない限り失敗しないんだけどな。
 ともかく、失敗することもなく本の写真の通りのものが完成し、二人で全部食べた。長門は満足して第二弾を作ろうとしていたが、さすがに食いすぎだからやめさせておいた。