今日の長門有希SS

 放課後の時間、俺たちは部室でいつものように過ごしている。俺と古泉はどうでもいいボードゲームをしていて、朝比奈さんはそんな俺たちににこやかな天使のスマイルでお茶を淹れ、ハルヒ仏頂面でパソコンのモニタを睨み、長門は静かに手元の本に視線を落とす。普段通りの光景……のはずだが、少しだけ違和感があった。
「どうかなさいましたか?」
「いや、別に」
 気のせいだろうか。古泉が動かした桂馬の上に歩を重ね、俺は改めて部室を見回す。
「あ、お茶ですか?」
 見つめた朝比奈さんが勘違いしてしまう。まだ半分ほど残っていたのだが、ティーポットを持って近づいてくる朝比奈さんに辞退するのも悪いので、俺は慌ててカップの中身を喉に流し込む。
 お茶を注がれるのを横目に部室を見回し、俺はそれに気が付いた。
 長門だ。
 普段と同じように椅子に座り、首を下に傾けている。視線の先にあるのは分厚いハードカバー。
 それは同じなのだが、少しだけ違う。長門の顔に表情が浮かぶことは俺の知る限りほとんどなく、今だってそれは変わっていない。
 長門の顔つき、具体的には目が違う。長門をよく見ている俺だから長門の違いを察知できるのだろう。何しろ俺は、他の誰にも見せることのないような長門の姿を日常的に見ているのだから。
長門さん、今日はどうしたんだろう」
 朝比奈さんがぼそりと呟く。まあ、SOS団に所属していればそういうこともあるだろう。
 長門の態度が違うというのは、何かが起きる前触れであることが多い。
 だが、何か問題があれば伝えてくるのだろうが、長門はまだ俺たちに何も言ってこない。ハルヒがいるから言えないという解釈ができなくもないが、俺にはそう言うことではないように感じられた。
 恐らく俺たちに言うほどのことではないのだろう。多少の問題があっても、長門なら一人で解決することができるのだから。
 だが、お節介なのだろうか。俺はつい口を開いてしまった。
長門、どうかしたのか?」
「……」
 本を開いたまま、長門はこちらに顔を向けて沈黙する。
 言うか言わないか、迷っているかのようだ。口にしづらいようなことなのだろうか。
「有希、なんかあったの?」
 問いかけたハルヒに顔を向けてから、改めてこちらに顔を向け、長門は口を開いた。
「この本は図書館で借りたもの」
「そいつがどうかしたのか?」
「ある学校の生徒が引率の教員と共に田舎に出かけ、そこで人が死ぬタイプの作品」
 いわゆる推理小説ってやつか。
「そして、ある生徒の名前に赤ペンで線が引いてあって、そこにはこう書いてあった」
 すっと顔を伏せる。
「こいつが犯人」
 それは……何という極悪人だ。書いた奴は他人を不幸にすることしか考えていない。
 もし、俺がそんなものを見てしまえば読むことを止めてしまうだろう。もし自分の物であれば、破り捨てたくなるくらいだ。
 だが、長門はその本を読んでいたはずだが……
「その生徒は二人目に死んだ」
「なんだって?」
「死んだように見せかけて実は犯人、という可能性はありえない。そんな死に方だった」
 どういうことだろう。そいつは、間違って別のキャラクターに線を引いたのだろうか。
「そして、その生徒が死んだページで、別のキャラクターに線が引いてあった。こいつは最後まで生き残る、と書いてある」
「そいつはどうなったんだ?」
「三人目の死者だった。そして、そのページには、二本の線が引かれていた。引率の教師と、地元に住んでいた女の子」
 果たしてそこには、何が書いてあったというのか。
「犯人」
 ここまで来ると、そいつらが犯人だとは思えない。一体、何がしたいのだろう。
「わたしは今、ストーリーからだけでなくまた別の推理を続けている。果たしてこのペンで書かれた記述は本当なのか、と」
「そうか」
 本来なら長門なら推理小説の先の展開など予想の範疇だろう。だが、今回はその落書きにより推理力を乱されている。
 逆に、よかったのだろうか。
「まあ、がんばって推理して見ろ」
「してみる」
 と言うと、長門は再び本に視線を落とした。


「引率の教師が犯人だった」
 そうか。
 帰り道、気になって聞いてみた俺に長門はそう言った。二本のうちの片方は本物だったようだが、既に信頼性がないからそれを見てしまっても何の意味もないだろう。むしろ疑心暗鬼になって、怪しい記述があればあるほど疑ってしまうくらいだ。
「書いた奴はどんな意図だったんだろうな」
「読み終わってからインクを調べてみた」
「インク?」
「真犯人を示していたものと、それ以外の全ての記述に使われたペンは違うものだった。半減期により、真犯人だけが少し早い時期に書かれたことがわかる」
「どういうことだ?」
「真犯人に線を書いた人物と、それ以外に書いたのは別人。二人目が線を引くまで、あの本には真犯人だけに印がついていたことがわかる」
 その時期に読んだ奴には真犯人がわかってしまう状態だった、ということか?
「そう。話にのめり込み、そこから面白くなると言う場面だった。その時点で犯人を知ってしまえば、その後の展開を楽しめない」
 つまり、二人目が線を書いたのは、それを防ぐためってことか。
「そう言うことになる」
 木を隠すなら森の中、という言葉がある。それと同じようなものだ。
 ともかく、誰かは知らないがそいつのおかげで長門推理小説を普通とはまた違った状態でだが楽しめたらしい、感謝しておこう。
「返却までまだ日数がある。あなたも読む?」
「ああ」
 そんなに長門が楽しめたのなら、俺だってきっと楽しめるだろう。長門が鞄から出した推理小説を俺は鞄に入れた。


 この話の流れで真犯人を知ってしまったことを思い出したのは、その二本の線が書かれたページを見た時だった。