今日の長門有希SS

 10/0710/17の続きです。


『爆笑! ドラえもんゲーム』とは、参加者の中からドラえもん役となる一人を決めて行うゲームである。ドラえもんに選ばれたものは、まず今まで履いていた靴下を脱いで両手に装着し、その状態で握り拳を作って手首を靴下の上から結束バンドで結ばれることになる。
 と、ここまでが今のところわかっているルールであり、ドラえもん役に任命された古泉が受けている所業である。
「指が使えません」
 中で何やら指を動かしているようだが、炭酸飲料の表面のようにわずかながらでこぼことうごめくだけだ。よほどきっちりと結束バンドで留められたらしい。
 白い握り拳と青いブレザーの組合せはドラえもんじみているのでここまででタイトルの大部分は達成されているが、全てではない。
 爆笑、の部分が残っている。
「ええと――これで準備は完成しました、残りのメンバーでドラえもんを爆笑させるのが目的です。制限時間は五分間。手段は問いません」
 問わないのか。
 俺は、やはりドラえもん役にならなくてよかったと改めて安堵した。手段を問わないという注意書きがなくても、元々手段を問いそうにない奴がいる。
「なお、ドラえもん役の人が笑ってしまった場合、罰ゲームとして日付が変わるまで結束バンドを付けたまま過ごしてください――と、これで説明は終わりみたいね」
 恐ろしい補足があった。さすがの古泉の笑顔も凍り付いている。
 ドラえもん状態の古泉は、靴下の中で両手が握り拳の状態で固定されてしまっているらしい。この状態では箸はおろかスプーンを持つことだって難しいだろう。
 いや、問題はそれだけではない。この状態のまま下校しなければいけないのだ。不便なだけでなく、見た目からして怪しい。
 まあ古泉の場合は『機関』の仲間に助けを求めることはできるだろうが、それ以前に携帯を使って連絡を取れるかは謎だ。
 と、そこで俺は思い出す。そもそもこの『爆笑! ドラえもんゲーム』は古泉が持ってきたもので、出所はその『機関』だろう。一体何を考えて古泉にこれを託したんだ。
「なあ古泉、このゲームは誰の発案なんだ」
「森さんが飲み会の席でニコニコ笑いながら渡してくれました」
 酔っていたのか素なのかわからないが、どちらにせよ恐ろしい話だ。
「ちょっと二人とも、こそこそしゃべってんじゃないわよ。五分にタイマーがセットできたし、始めるわよ」
 何やらいじっていた携帯をテーブルに置くと、ハルヒは両手をわきわきと動かしながら古泉ににじり寄っていく。
「とりゃー!」
 妙な雄叫びと共に、まるでどこかの怪盗の三代目のようにジャンプして古泉に飛びかかり、マウントポジションを取り、その状態で古泉のワキを両手でまさぐる。
「うっ……くくっ……」
 顔を歪ませて、ハルヒに馬乗りになられたまま古泉がのたうつ。しかし体の上に乗っているハルヒを怪我させるわけにもいかないのか、力任せにはね除けるようなことはできないようだ。
「ちょっと、みくるちゃんも笑わせようとしなさいよ」
「は、はい!」
 メイド服をなびかせて右往左往していた朝比奈さんだったが、ハルヒの指示でびくんと体を震わせて、部室の中をキョロキョロと見回し……その視線が一カ所で止まった。
 朝比奈さんは棚に置いてあったそれを取りだし、机の上に広げて、棒状の物を取り出す。
 さて、朝比奈さんはSOS団に無理やり加入させられる前、ある部活動に所属していた。そう、それは書道部だ。
 だから、朝比奈さんの手元にあったのは、書道用の筆だった。筆を持った朝比奈さんは、古泉の足の方に周り、靴下を脱いだせいで剥き出しになった足の裏に筆を当てた。
「……」
 朝比奈さんは無言のまま、足首を掴んで古泉の足に筆を這わせる。何か文字を書いているのか、不規則な動きをしている。
「うっ!」
 それにより、古泉の体がそれまで以上にビクビクと跳ねる。朝比奈さんはそれを確認し「うふふ」と口元に笑みを浮かべた。
 特殊な性癖を持つ者なら喜びそうな状況だが、とりあえず俺はそういった状況で快楽を覚えるようなことはない。いや、相手が長門ならありえなくもないが、不特定多数の相手に欲情するほど節操がないわけではないのだ。
 と、そこで俺は長門の方に顔を向ける。とりあえずドラえもん役の古泉を笑わせようとしているのはハルヒと朝比奈さんで、俺と長門は今のところ傍観している状況だ。
「……」
 顔を上げた長門は、俺が見ていることに気が付いてわずかに首を傾げてから、読んでいた本を閉じて机に置く。そして、立ち上がって本棚に向かい、そこから一冊の本を取りだして椅子に戻る。
 参加する気はさらさらないのだろうと思ったが、長門の持っている本のタイトルが目に入って、俺は自分の考えが間違っていることを知る。
 その表紙には『彦一とんちばなし』と書かれていた。
「彦一兄弟」
 長門はその本の音読を始めた。

今日の長門有希SS

 前回の続きです。


「『爆笑! ドラえもんゲーム』を行う際は、先に説明の書かれている紙だけを取り出し、手順に従って行動してください」
 ハルヒが封筒の表面に書かれていた文章を読み上げる。先ほどのハルヒの言葉によると、他にも何か固い物が入っているらしい。
 ごそごそと封筒の中を探り、ハルヒは紙を取り出した。同じ方向に折り畳んだものらしく、妙に細長い。そして可愛らしいシールで留められて開かないようになっている。
「なんか、説明の区切りごとに折られてるらしいわ」
 言いながらハルヒは丁寧にシールを外し、折り畳まれている最初の部分を開く。
「なになに……まず最初に、ドラえもん役を決めて下さい?」
 紙から顔を上げ、ハルヒは俺たちを見回す。
ドラえもん……ねえ」
 ゲームの名前から内容が全く予想できないだけに、ドラえもん役になるのがいいことなのか悪いことなのか判断できない。封筒を持ってきた古泉自身も中身を読んでいないらしいので、この場でそれがわかるのは誰もいない。
 俺たちを見回すハルヒに、それぞれの顔を見合わせる俺たち。
 未来から来た存在であることを考えると、まず朝比奈さんに軍配が上がる。しかし朝比奈さんは特殊なアイテムを出すことはないので、その点では長門の方がドラえもん要素は強い。
 しかし、ちらちらとこちらに向けられる朝比奈さんや古泉の視線を見ると、選ばれるのは俺だろうと思っているふしがあるようだ。俺には他のメンバーほどドラえもん的要素がないはずだが、こういう時に人柱になるのは大抵俺なので、そう思われる理由もわからなくはない。
 ちなみに長門はこの時点でも本に視線を落としているので俺の方に目を向けていないが、考えていることは他の二人と同様だろう。
「古泉くんかしら」
 しかし、意外にもハルヒの口から出た名前は俺ではなかった。
「僕ですか?」
「そう。ほら、何か物が必要になった時は色々と持ってきてくれるし」
 ハルヒにしてみればそうかも知れないな。朝比奈さんや長門ドラえもん要素は、ハルヒには知られないようにしていることだ。
「じゃあドラえもん役は古泉くんで、次の説明は……ドラえもん役に選ばれた人は、靴下を脱いで下さい……?」
「靴下?」
 思わず聞き返してしまう。
「読み間違いじゃないよな」
「靴下って書いてあるわ。よくわからないけど、そう言う指示なのよ」
 ハルヒに向けられた説明書きには、確かにハルヒが口にした通りの文言が書かれている。
 このあたりで、俺はドラえもん役の雲行きが怪しくなってきたように感じていた。
「ああ、そう言えばドラえもんって靴とか履いてなかったわね」
 妙なところに感心したように、ハルヒはうんうんと頷いている。それを言ってしまえば、あいつは常に全裸でポケット一丁だった気がするのだが、それを口にすると古泉がそう言うスタイルにされてしまう可能性がある。
「脱ぎました」
 いつの間にやら古泉は動いていたらしく、その足下には揃えて置かれた上靴があり、その左右の靴に一つずつ白い靴下が押し込まれている。
「で、次は……その靴下を手袋のように両手にはめて下さい……だそうよ」
「ええっ?」
 さすがの古泉も素っ頓狂な声を出す。履いていた靴下というのは自分の物でもあまり綺麗だとは感じられないもので、それを手にはめるというのはあまり喜ばしいことではない。
「本当にやるんですか?」
「まあ、そう言う指示だしお願いね」
「はあ」
 笑みを引きつらせながらも古泉は指示の通り両手に靴下をはめていく。
「なんか……その状態だと確かにドラえもんっぽいかも……」
 ハルヒの言う通り、青いブレザーで両手が白くなっているとドラえもん的ではある。しかもネクタイは赤で、中に着ているシャツは白。カラーリング的には申し分ない。
「次の指示は、封筒に入っているものを取り出して……ん?」
 ハルヒは封筒の中に手を入れて、白くて細長い紐のようなものを取り出した。素材はプラスチックのように見える。
「結束バンド」
 ぽつりとその名前が耳に入る。長門の視線は、手元の本ではなくハルヒの持っているものに向けられている。
「パソコンのケーブルをまとめる時などによく使われているものだから、隣の部室でもよく見かけることがある」
「ああ」
 長い電源コードの家電製品なんかは、まとめられるように途中にそういうのが付けられていることがあるな。
「で、ドラえもん役の人が靴下の中で両手を握り拳にした状態で、その手首を結束バンドできっちりと留めて下さい――だってさ」
 この時点で俺は、ドラえもん役に選ばれるのはとてもよろしくないことだと確信した。

今日の長門有希SS

「たまには面白いことでもしたいわねぇ」
 ハルヒのその言葉は、俺たちの平穏な日常を脅かすサインだ。ここのところずっと大人しくしていたので安心していたのだが、どうやらため込んでいたらしい。
 顔を上げると、将棋盤を挟んで座っている古泉の営業スマイルもやや引きつっていた。朝比奈さんもそれと同様だが、長門ハルヒの声が聞こえなかったかのようにいつも通り本を読んでいる。緊急に対処しなければならないことが起きた時はちゃんと対処するが、そうでもない時はほとんど反応しないのが長門だ。
 改めて述べるまでもないことだが、ハルヒは無意識のうちに願望を叶えようと世界をこねくりまわしてしまう能力を持っており、特別なことをする時には俺たちが予想もできないような異変が巻き起こる可能性を伴う。もちろん、何も起こらず平穏に終わるのが大半なのだが、たまに何かが起きるので心構えをしておく必要はある。心構えをしていたところで意味はないかも知れないが、そのへんは気の持ちようだ。
「面白いこと、ですか」
 しばらくの沈黙の後、最初に反応したのは古泉だ。ハルヒの口にした「面白いこと」というのはひどく曖昧であり、何らかのイベントを引き起こすつもりなのか、暇つぶしをしたいだけなのかわからない。その辺の意図を掴みたいのだろう。
「なんか暇なのよ」
 どうやら、ただ単に退屈を感じているだけのようだ。それならハルヒも参加できるようなゲームを見つけてやればいい。
「ウノでもやるか?」
「それもなんかねえ。ここにあるゲームは変わり映えしないものばかりだし」
 ハルヒが言うほど平凡なゲームばかりではなく、部室に用意されているボードゲームはどこで手に入れたかわからないような珍しいものも混じっているのだが、一通りやってしまっているのでハルヒがそう思うのも仕方がない。
 基本的には俺と古泉が二人でやっていることが多いが、たまに他のメンバーも参加することがあり、その少ない機会でやり尽くしてしまったわけだ。果たして俺たちはこの部室にどれだけ無駄な時間を過ごしてきたのかと考え出すと頭が痛くなりそうなので、それについては気にしないことにする。
「では、目新しいゲームならいいわけですね」
「まあそうなるかしら。でも、面白くないのは駄目よ」
「ご安心下さい。実は知人から爆笑確実のゲームを教わって来ました」
 爆笑確実とはいかにもうさんくさいが、ここで俺がつっこみを入れることにより、ハルヒの興味を損ねる可能性があるので、俺はあえて口を挟まない。
「爆笑確実とついて本当に爆笑できるものはそれほど多くはない」
 ぽつりと呟きが耳に入る。顔を向けると、長門は先ほど見た時と同じように本に視線を落としたままで、何かを発言したとは全く感じさせない。というか、なぜこう言う時だけ反応する。
「有希の言うことももっともね。古泉くん、それ本当に面白いの?」
「面白いはずです」
 訝しげなハルヒに、答える古泉の顔はやや引きつっている。
「名前はなんて言うんですか?」
 と、朝比奈さんが口を開く。このままでは始める前から終わりかねないなと思っていたが、名前によっては要素があればハルヒの興味も引けるだろう。
「『爆笑! ドラえもんゲーム』という名前らしいです」
「らしい、ってどういうこと?」
「実は僕もまだ具体的な内容を知らないんですよ」
 首を傾げたハルヒに、古泉は堂々とそう言ってのけた。
 教わったんじゃなかったのかよ。
「この中にルールが書いてあります」
 古泉は鞄を素早く開けると、封筒を取り出した。何の変哲もない、普通郵便を送る時に使うような白い封筒だが、毛筆で書かれたらしき『爆笑! ドラえもんゲーム』の文字列が異彩を放っていた。
「あら?」
 古泉が差し出した封筒を受け取ったハルヒは、中身を探るように指でなぞる。
「中に何か固い物が入っているみたいね」
「ゲームに必要な物もちゃんと入っているとのことです」
「ふーん……気になるわね。それじゃあ、やってみましょうか」


 というわけで、俺たちは『爆笑! ドラえもんゲーム』をしてその日の放課後の時間を潰すことになった。

今日の長門有希SS

 7/227/24の続きです。


 SOS団にツイッターが導入されて数日が経過した。当初、ハルヒに「今やっていることを逐一報告するように」と言われ、長門と同じタイミングでカレーを食べていることを書いてしまいハルヒに疑問を持たれたりしたものの、たまたま朝比奈さんもその日の夕食がカレーだったこともあり「みんなカレー食べ過ぎなう」なんて反応をされるだけで済んだ。なうの使い方は恐らく間違っている。
 他にも朝比奈さんのアイコンをバニーガール姿にしてハルヒがフォロー申請を片っ端から出しまくったせいでスパムアカウント扱いされるとか、長門の部屋に入り浸ってることがばれそうになるなど大小様々なピンチはあったが、特に大きなトラブルにはならず時間が経過し――
ツイッターもあんまり面白くないわね」
 ある日の放課後、ハルヒがそんな言葉を呟いた。三日坊主ではなかったが、熱しやすく冷めやすいタチのこいつが長続きするとは思っていなかったので、こういうのも予想通りだ。
「どのあたりが面白くないのでしょうか」
 口を開いたのは俺の正面に座る古泉だ。ツイッターを始めるために、古泉とこいつが所属している『機関』が俺たちに新型のスマートフォンを支給しており、金額的にもそれほど小さい物ではなかったはずだ。
「何か発言しても反応がないのよ。ブログを書いていた時もそうだったけど、何も反応がないと実は誰も見ていないんじゃないかって思うわ」
「まあ、お前だってフォローしてる相手の呟きを全部読んでるわけじゃないだろ?」
「そうだけど、フォローしてくれてる人数が多いんだから、一人くらいは何かコメントしてくれてもいいじゃない」
 俺の言葉に、ハルヒはふてくされたように口を尖らせる。
「多いって、一体どれくらいだ?」
 ちなみに俺は、団員や知り合いが中心なので、フォローしているのもされているのも二十人前後。これが芸能人などの有名人だと、だとフォローされている人数が千や万の単位になるというから恐ろしい。
「五百ちょっとよ」
「なんでそんなにいるんだよ」
 時折ヘビーなユーザーでそれくらいフォローされている者もいるようだが、一般人としてはかなり多い方だ。ハルヒが一般人かどうかはさておき、特に面白い呟きをしているわけでもないし、そんな人数からフォローされる理由は見当がつかない。
「どうしてそんなに増えたんだ?」
「知らないわよ。てか、始めた日にそれくらい増えてそのままだけど、そういうもんじゃないの?」
 始めた日?
 俺の場合は、SOS団のメンバーだけなので初日は四人だけだった。それからたまに知り合いに声をかけて徐々に増えていって、ようやく今の人数に至っている。
 五百という人数だけでなく、その増え方も異常だった。
「あ……」
 小さく漏れた声を俺は聞き逃さなかった。正面に座っている古泉の顔に貼り付いた笑顔は、いつもにも増して軽薄なものになっている。
「反応ないし、そもそも書くことなんてあんまりないし……まあ、とりあえず今はキョンと古泉くんのボードゲーム棋譜とかメモってるわ」
「ブログの時と変わってないじゃねえか」
「でさ、メモってて思ったんだけど、古泉くん最近将棋とかオセロとか上達してない?」
「そういや……」
 古泉はボードゲームをやろうともちかけてくるわりにあまり上手ではないというか下手だったのだが、言われてみれば最近はそれなりに勝負になっているような印象だ。
ツイッターやってるせいで俺の集中力が落ちてるとかじゃないのか?」
「それはないわね。キョンもまああんまり強い方じゃないけど前とあんまり変わってないみたいだし、そもそも熱中するほどツイッターやってないでしょ」
「そうだな」
 最初の頃はハルヒがうるさかったので小さなことでも呟くようにしていたが、今はそうでもないのでツイッターの存在をそれほど気にしてはいない。
「……古泉くん、なんか焦ってない?」
「いえ、なんでもありませんよ」
 などと言いながら、古泉は机の上に置いていたアイフォンをさっとポケットに入れた。今まで放置していたようだが、明らかに怪しい。
「古泉くん、今ポケットに入れたものを出して」
 まるで万引きGメンのようなハルヒ。他人の携帯を見るのは一般常識から外れていると思うのだが、SOS団内でハルヒに逆らえる者などいない。古泉は諦めたようにポケットに入れたアイフォンを取り出し、ハルヒがそれを確認する。
「古泉くん、この次の手をアドバイスしてくれてるソノウって人、何者? あたしをフォローしてる中にいたような気がするんだけど」
 ああ、とそれで俺は納得した。確かそれは古泉の所属する『機関』のメンバーである森さんの下の名前だ。そもそもツイッターを始める機材を調達したのが『機関』なのだから、ハルヒツイッターを始めるのも当然知っている。そして、監視のためにハルヒをフォローしたのだろう。
 俺のアイフォンを操作して調べてみると、ハルヒをフォローしている名前には見覚えがあるものが混じっている。古泉の関係者だけではなく、喜緑さんや朝倉もフォローしているようだ。どうやらハルヒをフォローしているのは、どちらかというとそう言う監視目的の者が多いらしい。
「僕の知り合いに、もっと涼宮さんの発言に答えるように言っておきます」
 と、よくわからない方向で話が終わった。限度というものがあるので無駄にレスポンスが増えるのもどうかと思うが、まあ、その辺は古泉たちの方でうまくやるだろう。


「お前はけっこう活用してるみたいだな」
 帰り道、歩道を歩きながらアイフォンをいじっていた長門に声をかける。
「それなりに」
 長門は俺の方に顔を向けたまま、タッチパネルを素早く指でなぞる動きは止めない。画面を見なくても大丈夫なのだろう。
 長門は本の感想を書き込んでいるようで、本を読むと必ずと言っていいほどツイッターに発言している。しかし、ちらりと見えたディスプレイはツイッターの入力画面ではなかった。
「それは?」
「読んだ本の感想などを記録するホームページ。他のユーザーの感想なども見れるので、なかなか便利。人気のある本もわかる。そこに書き込むと、ツイッターに自動的に投稿される」
「なるほどな」
 それで、長門が本の感想を書き込む時は何やらアドレスなどが一緒に投稿されていたのか。俺は利用していないが、ツイッターと連動しているサービスはけっこうあるらしい。
 ともかく、あまり読書の習慣がない俺にとっては、縁のないサービスである。
「普段、お前が読んでるような本って読者の数は多いのか?」
「それほどでもない」
 まあ、そうだろうな。
「でも、読んだ人数に対する感想の量はなかなか多い。特に長文でじっくりと考察をする者がいたり、たまにわたしの感想に対してメッセージが来ることがある」
「へえ、どんな感じだ?」
「『あなたはこの部分をこのように解釈していたようですが、わたしは違います』とか『ここの宇宙人同士の対立は人類の国家間のメタファーで――』とか」
「……」
 なかなか面倒そうな手合いだな。
「あなたの感想など興味ない、と返すと二度とメッセージを送ってこないのでそう言う時はそう返すことにしている」
「そうかい」
 何にせよ、長門も満喫しているようなので、別に俺が気にすることはないだろう。


 後日、やっぱり飽きたハルヒから「ツイッターをやっていると会話が減るから部室での活動中と不思議探索の間はツイッター禁止」と言い渡されるのだが、実はヘビーに使っていた朝比奈さん意外はそれほど使っていなかったので、特に困ることはなかった。

長門有希の置換 本文サンプル プロローグ


   side A


 コタツの向かい側に座っている少女が、口を開いた。
「宇宙は広い。この地球はその中ではちっぽけな存在。地球を取り巻く太陽系、そしてこの太陽系を取り巻くこの銀河系も、宇宙全体から見ればそれほど大きな存在ではない」
 急須の蓋を横に置いて、ポットからお湯を注ぐ。
「この銀河系の中だけでも太陽以外の恒星が存在する。宇宙にはいくつのも銀河系が存在し、そこにも多数の恒星が存在する。恒星から適切な距離を保ち、人類が生存しうる環境を備えた惑星は地球だけに限らない」
 こちらに顔を向けたまま少女は話を続ける。
「宇宙の広さを考慮すると、生命が存在する惑星があること自体は全く不思議ではない。太陽と同じ大きさの恒星が存在し、地球と太陽の距離と全く同じ距離に、地球と全く同じ大きさの惑星が存在する可能性は、それほど低いものではない」
 こちらが話を理解した意思を込めて首を縦に振ると、少女は満足したように続ける。
「だから、そんな惑星がこの地球と全く同じであっても驚くべきことではない。例えば窓の外に見えるあの月と同じ大きさの衛星が存在し、今は沈んでいる太陽と全く同じ大きさの恒星が存在し、その恒星を取り巻く惑星も全て同じ。そして、周囲を取り巻く環境だけでなく、表面上も全く地球と同じ惑星が存在することもまた、あり得なくはない。海と陸地の覆う割合、陸地の形、海底の形、それぞれに生息する動植物。それらの構成が今のこの地球と全く同じ物になる。それがごく低い可能性だとしても、宇宙が無限に匹敵するほど広さを備えているのなら、起こりうる事態」
 少女の言いたいことが、理解できた。
「動植物とは」
「あなたの考えている通り。人類も含む」
 先回りするように言って首を縦に振る。
「つまり、その表面に存在する人類の存在も含めて、この地球を全く同じである惑星が存在することも、その惑星がそこに生息する人類に『地球』と呼ばれることも、あり得る」
「地球と全く同じ存在」
「そう。この地球と、全く区別のできない惑星。地球と同じ時に誕生し、地球と同じように生命が進化し、地球と同じように人類が誕生し、地球と同じように文明が成長し、地球と同じように国が分かれる。つまり、地球と全く同じ存在」
 そこで少女は、急須を傾けて二つの湯飲みにお茶を注ぐ。
 青い模様に覆われた湯飲みと、紅色の上薬が塗られた湯飲み。
「ここに選択肢がある。赤を飲むか、青を飲むか」
 両方が天板の上をスライドし、目の前で止まる。
「その二つは」
「何も変わらない。入っている量も全く同じ」
 思った通りの言葉を口にした。
「どちらを飲んでも結果は同じ。体内に取り入れられる水分量も全く」
 恐らくは、含まれる成分も同じ。
「でも、これは選択肢。赤か青か」
 赤い湯飲みにそっと手を伸ばして口を開く。
「ここで赤を選んでも、青を選んでも、結果は変わらない」
「そう。ここでどちらか一方を選んだかという違いがあるだけ」
 恐らくは、もう一つの世界と。
「今回の選択肢はどちらを選んでも結果が同じ。でも、結果が違う選択肢も、もちろん存在する。そうすると、全く同じだった世界が、少しだけ違う世界になる」
パラレルワールド
「その言葉は必ずしも正しくはない。でも、そう解釈しても問題はない。そもそも、必ずしも具体的なことを理解する必要はない」
「……」
 赤い選択肢に触れながら、沈黙して言葉の続きを待つ。
「今回、同じだった世界で別の道を選んだのは、涼宮ハルヒ
涼宮ハルヒ
「そう。涼宮ハルヒの選択によって、世界はあなたが知っているのとは違う物になっている」
 これは種明かし、と彼女は呟く。
「世界が、分岐した」
「分岐という概念は正しくはない。よく似た二つの世界があって、たまたまその瞬間に別の選択肢が選ばれた、と考えるべき」
「……」
「でも、先ほども述べたように、それを理解する必要はない。ただ、ここがあなたの知っていた世界とは違っていることだけわかっていればいい」
「違いとは」
「一言では説明できない。選択肢は、そのお茶のように結果が全く同じになるものでない限り、選ばれてから時間が経てば経つほど、世界の違いも大きな物になる。今回の場合、その選択肢による違いは、それなりに大きな物になっている」
「具体的には?」
「説明する」
 そうして、彼女は二つの世界の違いについて説明を始める。その内容は突拍子もないものだったけど、彼女が嘘を言っているようには思えなかった。

「頭に入った?」
 話を終えて、彼女はじっと顔を見つめてくる。
「一応」
「そう。可能な限り、記憶に留めておいて欲しい。その知識はこれからしばらくの間は必要になる」
「どうすればいい?」
「あなたは何もしなくていい。全てが終わるまで、周囲の者になるべく気づかれないようにして欲しい」
「わかった」
「では、そのことに気を付けて、日常生活を送って欲しい。仮に。気が付かれても致命的な問題ではない。でも、可能な限り、気が付かれないに越したことはない」
「できるだけ」
 首を縦に振ると、目の前の少女は立ち上がった。
「お願い」
 最後にこちらの顔をじっと見つめてから、少女は姿を消した。
 こうして彼女の姿が部屋からなくなってしまうと、この数分間の出来事は夢だったのではないかと思えるけれど、目の前に置かれた選択肢が現実だったことを証明している。
 ひょっとすると、どちらを選んでも意味がなく、そもそも話の流れ上それほど重要な意味のなかった選択肢を作り出したのは、今この瞬間のためだったのかも知れない。もし彼女がいたことを証明する物が何も残っていなかったら、あんな突拍子もない話なんて白昼夢だったのではないかと思って、眠りに就いていただろう。
「今は夜だけど」
 ぼそりと呟く。静かな部屋では、その声は思いの外大きく響いた。
「……」
 沈黙して、目の前にある、まだ選ばれていない選択肢に向き直る。
 赤か、青か。どちらを選んだところで意味はない。この後の展開に何も影響を与えることはない。
 でも彼女は、本当にそう思っているのだろうか。
 もしここと全く同じ世界で、今と同じシチュエーションで同じ問答が行われていて、それぞれの世界で二つの湯飲みがあったとする。両方の世界の両方の湯飲み、つまり四つの湯飲みに入っている中身は全く同じものとする。
 この世界で赤が選ばれて、仮にもう一つ存在すると仮定する世界で青が選ばれるとする。これならば、結果は変わらない。目を閉じた状態で選んでしまえば、どちらを選んだかという自覚すら存在しないことになる。
 でも、必ずしも片方を選ばなければならないと強要されているわけでもないので、ここで両方の湯飲みのお茶を飲んでしまうことだってできるし、両方を飲まずに捨ててしまうことだってできる。
 最初に選んだとおりに、赤い湯飲みに口を付け、それを一気に喉の奥に流し込む。もし青を選んでいた世界があれば、同じようにしているだろう。
「……」
 お茶はすっかり冷めてしまっていた。正直なところ、あまり美味しくはない。
 二杯目をわざわざ飲む気にはなれず、もう片方の中身は流しに捨ててしまうことにした。もし青を選んでいた世界があれば、同じようにしているだろう。
「……」
 これからのことを考えながら、窓にそっと触れる。部屋の中と外気は温度差があり、窓はとても冷たかった。
「雪」
 声が漏れる。窓の外を、ひらひらと白い粒が舞っていた。思わず窓に顔を近づけると、吐息のかかった窓は白く染まって視界を覆い隠す。
 でも、すぐに透明に戻る。そして、その窓ガラスに焦点があった。
 雪の降る真っ暗な外の世界ではなく、ぼんやりと窓に映る自分自身の姿に。
「……」
 虚像の自分がじっと見つめ返してくる。
「有希」
 もう一度呟いた。
 先ほどまで部屋にいた少女の名前、そして、窓に映る自分の名前。
 彼女との違いは、服装と眼鏡の有無だけ。
「……」
 そっと眼鏡を外す。パジャマを脱いで、制服を着てしまえば、もうそれで見分けることはできないはずだ。
「……」
 もう眠るか、それともこのまま起きているか。少し考えてから、わたしはリビングから寝室に移動して、布団に潜り込む。
 これからのことを考える。わたしの知る世界とこの世界の違い。まるで悪い冗談のようなこの世界の有り様。そして、こちらの世界での、わたしを取り巻く人々。
「……」
 うまくやれるだろうか。少しだけ不安になる。
 でも、彼女は「絶対に気づかれてはいけない」とは言っていなかった。もしわたしが何かしくじったとしても、彼女ならきっとなんとかできるだろう。
 そもそも、なんとかする必要もないらしい。彼女の話に登場したあの人に気が付かれない限り、それほど問題はないはずだし、それなら、むしろ皆に正体を話してしまった方がいいのだろう。
「……」
 少し考えてから、わたしはそうしないことにした。彼女に言われた通り、とりあえず隠しておこう。もし青を選んでいた世界があっても、同じようにしているだろう。
「きっと、そんな世界なんて、どこにも存在しないだろうけど」
 宇宙がどれだけ広かったとしても、きっと、同じ惑星なんてない。そもそも、わたしがいたところと、わたしがいるところが、同じ宇宙に存在する遠い世界だなんて、彼女は明言していない。あれはただ、たとえ話をしただけにすぎない。わたしに本当のことを伝えないために。
彼女は優しい。
 わたしは目を閉じた。
 でも、彼女なら、わたしがそれに気が付いてしまうことだって、わかっているに違いない。基本的な性能は違ったとしても、彼女はわたしだし、わたしは彼女なのだから。
「……」
 それほど優しくないのかも知れない。

今日の長門有希SS

 前回の続きです。


「待たせたわね」
 そんな言葉を口にしつつ、部室に入ってくるハルヒ。別に俺たちはハルヒの到来を待っていたわけではないが、どこで何をしているのかと頭の片隅に引っかかっていたので、目の届く範囲にいたほうが精神衛生上は好ましい。
 ハルヒの背後には背後霊のように古泉が付き従っている。もっとも、あれほどにこやかな背後霊など見たことがない。いや、背後霊自体見たことないが。
 その古泉は、椅子に座りつつ手に持っていた紙袋を床に置いている。遅くなった理由がその紙袋の中身である火を見るより明らかだ。
 顔を上げた古泉と目が合う。何か言ってやろうかと思ったが、ちらりとハルヒに視線を向けてから曖昧に笑う様子を見て俺は口をつぐむ。
 放っておいてもあいつが説明してくれるってことか。俺たちが望む望まないに関係なく。
「じゃあ、いいかしら」
 朝比奈さんが置いたお茶を口に運び、こほんとわざとらしく咳払いをしてからハルヒが口を開く。
 ハルヒが何か言い出すのはわかっていたので、もちろん俺たちは聞く心構えはできている。オセロ盤を片づけてから新しいボードゲームも出していないくらいだ。
「今回は一体何をさせようってんだ?」
「あたしたちSOS団は、ツイッターに参入するわよ!」
ツイッター?」
 ここのところテレビなどで耳にする言葉だが、詳しいことはよく知らない。
 携帯やパソコンでやるものらしいが、ただでさえエンゲル係数の高くなりがちな俺は携帯のパケットにあまり金をかけていられないし、個人用のパソコンは持っていない。興味があっても縁のない世界だ。
「相変わらずシケたこと言ってるわね」
 誰のせいだと思っているんだ。
「まあキョンがそういう反応をするってのはわかっていたけどね。古泉くん、あれを出して」
「了解しました」
 言われて動いた古泉は紙袋に入っていたものを机の上に置いていく。出てきたのは小さな箱が五つ。俺たちSOS団は五人だから、一人一つということだろう。
 俺たちが見守る中、ハルヒが箱の一つを開けて中身を取り出す。片面が液晶パネルになった携帯電話、いわゆるスマートフォンというものだろうか。
「これを使うから通信費は気にしなくていいのよ。思う存分つぶやいちゃえるわよ」
 どこかで見たような機械を手の中でもてあそぶハルヒから視線をずらし、俺は古泉を見据える。
「もしかして、わざわざ作ったのか?」
 俺がそう思ったのは、裏側には見覚えのあるSOS団のロゴが刻まれているからだ。古泉のバックにいる『機関』ならばそういうことをやりかねない。
「ええ、まあ」
 予想通りというか、古泉はあっさりとそう白状する。携帯型の端末まで用意するとは、一体どこまで無駄遣いすれば気が済むんだ。
キョンが変な誤解してるみたいだけど、物自体は単なるアイフォンよ。シールは作ってもらったけど。でも、古泉くんの親戚がそっち関係の仕事をしてて、モニターになって欲しいって貸してくれたからタダで使えるのよね?」
「はい。そういうことです」
 まあそれも違うのだろう。
 最初に俺が考えた「端末を作る」というのに比べると遥かにスケールダウンしたが、それでも五人分の電話代を負担し続けるとそれなりの金額になるだろう。ハルヒは今まで、どれだけの金を自覚しないで食いつぶしてきたのだろう。
「とにかく、お金の面でも問題ないわけだし、今日から始めるわ。いいわね」
「別に文句はないが、なんでわざわざそんなことをするんだ?」
「最近じゃ企業だってツイッターを取り入れてるのよ、SOS団の宣伝にもなるはずよ。何年か前にセカンドライフってのがプチブレイクしてすぐに別の意味でブレイクしたけど、今回のは長続きしそうだし」
「宣伝って一体何をやらせる気だ。世界を大いに盛り上げる俺をよろしくとでも言えばいいのか」
「う……ん? まあ、別に、普通にやってりゃいいわよ。ツイッターがはやり初めた頃だけど、どっかの店の人が普通に雑談してたら客が増えたって話よ。だから、それぞれの団員が好き勝手につぶやいてれば、それで興味を持ってくれる人がいるかも知れないし、それであたしたちに不思議なものを見つけたって報告してくれる人がいるかも」
 俺たちとしては、いない方が助かるなそんな奴。
「つーか、宣伝だけならブログとかでもよかったんじゃないか?」
「もうやってるわよ。ただ、最近あんま書くことなかったから、あんたと古泉くんの将棋の勝敗とか棋譜をメモったりする程度になってたけど」
 どこの誰が見たいんだそんな微妙なブログ。
「とにかく、ブログ書くのもめんどいし、五人でツイッターやるのよ! いいわね!」
 どうやらそっちが本音だったらしい。もちろん俺たちに反対できるわけもなく、アイフォンがそれぞれの手に押し付けられる。
 いち早く使い方を覚えた……というより、一目見ただけでわかっていたぽい長門に他のメンバーが色々と聞いたりして、その日は解散となった。

今日の長門有希SS

 放課後の部室、例によって俺は活動終了までの時間を潰すべく朝比奈さんに淹れてもらったありがたいお茶を堪能しつつ、オセロに興じていた。しかし、普段と違うのは、対戦相手がいかにもボードゲームなどの知的遊戯が得意そうな顔をしてその実からっきしの実力を持つニヤケた超能力者ではなく、読書好きの宇宙人だったからだ。
 もちろん俺が長門ボードゲームのような頭を使う勝負に勝てる可能性は低い。いや、まともにやれば絶無と言っても過言ではない。ゲームのコンピューターのようにベリーイージーモードにしてもらうことも可能だが、それでは長門にとっては手を抜きすぎた勝負になるので面白くないだろう。そういったわけで、今回は四隅の角を最初から俺が取った状態で始めるというハンデ戦を行うことになった。
 俺としてみれば、長門に手を抜かれるのもハンデをもらうのも大した違いはないのだが、長門にとってはこちらの方が楽しめるらしい。とは言え、それには「どちらかと言えば」という接頭語が付き、どれほどの差があるのか俺にはわからない。
 オセロは角を取るのが重要なゲームであり、中盤はいかに相手に角を取らせないようにして自分が取るか、といった方向性で進めていくことになる。あまりにも角に固執しすぎると角は取ったけど負けてしまうので角を取ったから必ずしも勝てるわけではないが、ともかく、最初から角を所有している俺は、そういった余計なことに頭を悩ませる必要がなくなるわけで、単純に多く相手の石をひっくり返すことだけに集中すればいい。
 そのおかげか、勝負は意外なことに序盤から俺が有利に進める運びとなった。長門の白い石は内側に何個かあるだけで、それを黒い石が包み込むようにしている。このままじわりじわりと数を減らしていけば、俺の勝利だ。
「ん?」
 そこで俺の手が止まる。オセロは必ず相手を挟むことのできる位置にしか置けないのだが、長門が内側に集中しすぎているせいか、置く場所がないのだ。仕方がないので俺はパスをする。まあ、オセロはパスをしても自分の番が飛ばされるだけでペナルティはないのだが。
「ここ」
 ぱたぱたと黒い石が白くなっていく。今度こそひっくり返そうと盤上を見回すが、またも俺に打つ手はない。
「仕方がないな、またパスだ」
「そう」
 俺の顔を見ていた長門は、盤上に視線を落とし、ぽつりと口を開いた。
「ずっとわたしのターン」


 それから数分、あれよあれよと言う間に戦況はひっくり返り、勝負が決まった時には俺の石が過半数を割っていた。つまりあれだけハンデをもらっておいたのに負けたわけだ。
「オセロは相手の石を取りすぎると逆に不利になることもある」
 おかわりをして朝比奈さんが淹れたばかりのお茶をずずっとすすりながら長門が言う。途中まで俺は調子に乗りすぎていたということらしい。考えてみれば、ハンデとして四隅を俺が占拠していたとは言え、序盤は角が関係ないのだ。その時点で圧倒していた時点で、おかしいと気が付くべきだったのだろう。
 わかっていたところで、長門に勝てるとは思えないんだけどな。
「オセロには定石も存在する。それを覚えるとまた勝率が上がる」
 長い歴史のある将棋や囲碁に定石というか決まった打ち方があるのは有名だが、比較的歴史の浅いオセロにもそういったものがあるとは少しだけ意外だな。
「まあ、そこまで極める気はないからいいんだ」
 どうせ相手をするのは主に古泉だ。定石ってのは相手がこちらの打ち筋に対してちゃんとした対処をしてきて初めて成立するものだが、古泉にそれは期待できない。
「そう」
 長門は少しだけ残念そうな声を出し、向きを揃えながら石を収納していく。
 もしかすると、長門としては俺が強くなってそれなりの勝負ができるようになって欲しかったのだろうか。
「なあ長門、やっぱり――」
 と、そこで部室のドアがばたんと勢いよく開き、我らが団長様が現れた。
 その顔に浮かんでいる表情を見るだけで俺はまた何か妙なことがあるのだろうと確信し、溜息を吐いてからオセロ盤を片づけるのだった。