今日の長門有希SS

 私服OKの学校ならともかく、一般的な高校生は制服で過ごす。学ランやセーラーやブレザーなどその学校によって違いはあるが、その格好で登下校することになる。運動部の奴などはジャージで登下校している場合もあるが、それは例外的なものだ。
 しかしながら、それ以上に特別な格好をするのが俺たちSOS団だ。と言っても、着替えるのは基本的に朝比奈さんだけで、特別なことがなければ他の者は制服のままだ。
「どうも」
 いつの間に来ていたのか、ゼロ円スマイル野郎がすぐ横にいた。
 俺たちがいるのは部室の外の廊下だ。俺や古泉がこのように過ごす時、中に入れない事情がある。長門が少しだけ羨ましくなる瞬間だ。
 いや、別にそれを見たいわけじゃない。ただ廊下で待たされるには寒い季節になってきただけだ。
「もういいわよ」
 声が聞こえてドアが開かれた。
「おや、これはどういうことでしょうか」
 古泉がその場で立ちつくし、顔に張り付いた笑みを強ばらせる理由はわからなくもない。
 そこにいるのが、メイド服に身を包んだハルヒだったからだ。


 話は数分前にさかのぼる。
「どうぞ」
 寒い廊下を歩いてきて、部室に到着した俺を出迎えたのは朝比奈さんの淹れてくれたお茶だった。
「ありがとうございます」
 言いながら俺は鞄を置いてそれに口を付ける。
 まだ古泉は来ていない。俺は何もすることなく、ただそのお茶を喉に流し込んだ。
「ごちそうさまです。いつもながら美味しいですよ」
「ありがとうございますぅ」
 お茶を飲んで、冷え切っていた体が芯から温められたように感じられる。できればもう一杯いただきたいところだ。
「ふん、鼻の下のばしちゃって」
 そんな言葉が耳に飛び込んできた。いつもの定位置に座るハルヒは、机に両肘をついて俺をじっとりとした視線を向けている。
「実際、朝比奈さんのお茶は美味いだろ」
「そんなことくらい、あたしだってできるわよ」
「そんなこと?」
 誰かの声が聞こえたような気がした。
「どうだか。ま、お前だってお茶を淹れる手順くらいわかるだろうが、味がいいかどうかは別問題だ」
「バカにするんじゃないわよ! 見てなさい、みくるちゃんより美味しいお茶を淹れてみせるから!」


「と、いうわけだ」
「そうでしたか」
 ことの顛末を聞かせてやると、目の前のニヤケ野郎はハルヒの方に顔を向ける。メイド服を身につけたハルヒはコンロでお湯をわかし、そのすぐ横に制服姿の朝比奈さんが立っている。
 朝比奈さんの顔は真剣で、まるで初めて料理をしている我が子を見守る母親のようにも見える。
「こんなもんかしら」
 ハルヒは用意していた急須にお湯を入れ、しばらく置いてから湯飲みに注ぐ。
「ほらキョン
 トン、と俺の目の前に湯飲みが置かれた。
「俺だけか?」
「いちゃもんつけたのはあんたでしょ。ほら、飲んでみなさいよ」
 ハルヒだけでなく、部室中の視線が俺に注がれていた。長門は別――と言いたかったが、顔をこちらに向けて様子をうかがっている。
 こう注目されると落ち着いて飲めないが、俺はその湯飲みを持ち上げて口を付ける。
「ど、どう?」
「まあ悪くはないんじゃないのか」
 お茶の味に詳しいというわけでもないのだが、自分で入れるよりはましだと思う。朝比奈さんには劣るが、それは比較するのが間違っている。
「ほら、あたしにもできてるでしょ」
「いいえ、ダメです」
「え?」
 予想外の言葉に、ハルヒだけでなく俺も声をもらしそうになった。
「ええと、みくるちゃん?」
「涼宮さん、お茶を淹れるには大切なことがあるんです」
 諭すように言う朝比奈さんの声には妙な威圧感があった。口調自体はおっとりとしたもので、表情もやわらかいのだが、言葉の奥底に何か固い芯のようなものを感じる。
「一人分の葉っぱの量とか、温度とか、美味しく淹れるためには方法があるんです」
「で、でもみくるちゃんも普段は温度とか測ってないわよね」
「新しい葉っぱを買った時とかは測ります。でも、いつものお茶を淹れる時だったら、どれくらいの時間で最適な温度になるかわかるんです」
 なんとなく長門に視線を向けると、長門はゆっくりと首を縦に振った。
「実際、朝比奈みくるが淹れたお茶は温度の差がほとんどない」
 長門が言うならば、その通りなのだろう。
「それに、涼宮さんには一番大切な物が欠けています」
「な、なに?」
「愛情です」
「え、それは、その……体液とか?」
「それは愛情ではなく愛液」
長門、つっこまなくていいぞ」
「水以外の不純物が混じると温度調整が難しくなりますし、味も悪くなります」
「じゃ、じゃあ体液とか入れないでどうやって愛情を?」
「真心を込めるんです。相手のことを思って、美味しいお茶を飲ませてあげたいと思わなければ、いいお茶にはなりません」
 具体的な方法ではなく精神論になってしまったが、そもそもハルヒのような常識外れの存在がいる状態ではそれも大切な要素なのではないかと思えてしまう。実際、ハルヒが本気で願えば美味いお茶ができるだろう。
「わかったわ……あたしが甘かったのね。みくるちゃん、今日はあたしを指導してちょうだい!」
「わかりましたぁ!」
朝比奈みくる
 いつの間にか立ち上がっていた長門が、朝比奈さんの横に立っていた。
長門さん、なんですか」
「わたしもお茶の淹れ方を学びたい」
 爽やかな光景だった。まるで昭和の学園ドラマを見ているかのようだった。
 長門の気持ちもわからなくはない。朝比奈さんの言葉を聞いていると、俺まで美味いお茶を淹れたくなってしまった。
「そうですね、それでは長門さんもメイド服に……」
「あ、有希にあうサイズはないわ。また今度ね」
「……そう」


 後日、長門の体に合うメイド服をハルヒ仕入れてくることになるのだが、それはまた別のお話だ。