今日の長門有希SS

「みくるちゃん、ちょっといい?」
「はぁい」
 古泉の横に座って俺たちの対局を眺めていた朝比奈さんは、声をかけたハルヒの手元に視線を送ってから立ち上がり、テーブルのティーポットに手を伸ばす。
「ああ、お代わりじゃないのよ。こっち来てくれる?」
「は、はい」
 不安そうに俺に視線を送ってから、メイド服を翻してハルヒの元に向かう。別に取って食われるわけではないが、俺としても朝比奈さんやハルヒの動向が気になり、ついそちらを目で追ってしまう。
「なんでしょう?」
「今、このへんのってない?」
 ハルヒはそう言ってモニタを指差す。何かを求める時、ハルヒはまず古泉に任せることが多い。少し妙だなと思っていると、正面の古泉もニヤケ面が強ばっていた。
「ええと……残っていたと思います。ちょっと待ってください」
 朝比奈さんはハルヒから離れ、茶筒などが置かれた場所をごそごそと探している。俺もお茶を淹れる機会はあるが、SOS団の専属メイドとなっている朝比奈さんに比べると圧倒的に少なく、お茶の種類などは把握できていない。
「あ、ありましたぁ」
 やがて朝比奈さんは小さな袋を引っ張り出してハルヒの元に戻る。半透明の袋なので中身は見えないが、あそこにあることを考えるとまあお茶なのだろう。
「飲んでみたいけど、いい?」
「わかりました」
 そこで俺たちの視線に気が付いて、朝比奈さんはこちらを向いてにこりと笑みを浮かべる。
「よかったら、みんなも飲みますか?」


 それから数分、俺の前に置かれたティーカップの中では、薄紫色の液体が湯気を立てていた。もちろん俺だけでなく、ハルヒや古泉、読書中の長門の前にも置かれている。
 鼻を近づけるといい香りが漂う。そして俺は火傷をしないように口を付けた。
「ちょっと酸味がありますね」
「ハーブティですから、ちょっと癖があるかも知れません」
 そう、朝比奈さんが淹れたのはハーブティだ。葉――ではなく、この場合は乾燥した花だが、ともかく種類としてはラベンダーである。
 匂いはやはりラベンダーだ。芳香剤などラベンダーの匂いはどちらかと言えば慣れてはいるが、こうして飲む機会はそれほど多くない。
「みくるちゃん、これ、前にも飲んだことがなかったっけ?」
「はい。封が開いていたので、たぶん」
 これだけ長く部室で過ごしているのだから、そういうこともあったのだろう。俺は記憶にないが、そもそもどんなお茶を飲んだかなどいつも覚えているわけではない。
 まあ、朝比奈さんの淹れるお茶はいつも美味いので、そういった意味では「常に美味い」という記憶しかないわけだ。
 しかしながら、このハーブティが美味いかどうかと聞かれると、俺は言葉を濁さざるを得ない。どちらかと言えば、美味い不味いより慣れているかそうでないかと言った基準で考えるべきだ。
「しかしハルヒ、どういう風の吹き回しだ?」
 ハルヒが飲み物の好みを口にすることは特に珍しくないが、今回はわざわざパソコンの画面を見せて朝比奈さんにラベンダーを指定していた。その点がちょっと気になった。
「寝付きがよくなるって言うから気になったのよ」
「……寝れないのか?」
「別に、そこまでじゃないわよ。ただ布団に入ったまま考え事とかしてたら、なかなか寝付けないことってあるじゃない」
「まあな」
 俺だって覚えがないわけじゃない。布団に入ったまま余計なことを考えて寝付けなかったり、ようやくウトウトしてきた時に、ふと何かを思い出して目が覚めるとか。
「お前にもそんなことがあるのか」
「あんたと違って、団長やってると色々考えなきゃいけないことがあるのよ。やりたいこともあるし」
 そのあたりはあまり考えないで欲しいもんだな。ハルヒがそっち方面にがんばり始めると、俺たちが尻ぬぐいに奔走しなければならない。
「うん、まあこのハーブティなかなか美味しいわね。キョンの口には合わなかったみたいだけど」
「すいません」
「みくるちゃんが謝ることはないわよ。ただ、キョンの舌がお子さまだっただけだし」
「ほっとけ」
 見回してみると、長門も古泉もカップが空になっている。長門の場合は仮に口に合わないものでも味覚を調節して飲むことは可能だろうが、古泉の場合は単純に口に合っただけだろう。どちらかというと洒落た印象のあるハーブティを飲み慣れている可能性もある。
「でも、キョンもこれくらい飲めた方がいいんじゃない? 授業中、いつも眠そうにしてるし、あんたも寝不足なんじゃないの?」
「授業が退屈なだけだ。一応、それなりに活動できる程度には寝ている」
「それならいいけど。あ、みくるちゃん、あたしもこのお茶買ってみるから、今度付き合ってくれる?」
「はぁい」


「あなたは寝不足ではあるけれど、どちらかと言えば、寝付きはいい方」
 帰る道すがら、俺にしか聞こえない程度の声で長門が囁く。
「寝る間を惜しんで様々な試みをして、終わるとすぐ寝入ってしまう」
 じっと見上げてくる長門は、どこか非難めいた色を顔に浮かべている。
「……すまん」
 俺は謝ることしかできなかった。