消失の長門有希 サンプル 第二章 その3(「涼宮ハルヒの消失」ネタバレご注意)

 先に第一章第二章 その1第二章 その2をお読みください。
 消失のネタバレがあるため読んでない方はご注意を。


「やれやれ」
 言葉を漏らしながら湯飲みに口を付けるが、やはり味はいまいちだ。俺はどうして叩き出される時に湯飲みなんて持って出たのだろうか。読もうとしていた本を持ってきていれば暇つぶしになったというのに。
 しかしメイド服、ね。昨日部室で朝比奈さんのことを重点的に話したので、恐らくそれで思いついたのだろう。
 一日しか経ってないのにどこから手に入れてきたのやら。行動力はこっちのハルヒも変わらない。
 ハルヒが新たな衣装を持ってきた時、部室の中からはよく朝比奈さんの悲鳴が聞こえていたような記憶があるが、今日は静かなものだ。長門がメイド服なんて着るはずもないし、ただ単にハルヒが着替えているだけだから騒がしくないのは当然だが。
「……」
 ちらりと見ると、古泉はやや固い薄ら笑いを顔に貼り付けたまま壁に背中をもたれかけていた。あっちの古泉もそうだったが、こっちの古泉はより何を考えているのか読めない。
 何か声をかけようかと思ったが、結局何も思いつかぬまま時間だけが過ぎていく。
 そして、ぬるかった湯飲みが冷たくなった頃、
「お待たせしました」
 ドアの向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
 お待たせ、しました?
 ほんの少しの違和感を持ったままドアを開け、俺はその場に立ちつくすことになる。
「お帰りなさいませ……ご主人様」
 銀色のトレイを胸に抱えた小さなメイドさんがそこにいた。真っ赤に染まった顔を伏せ、小刻みに体を震わせてはいるが、メイド姿の朝比奈さんを見慣れた俺にとっても完成度の高いメイドさんと言わざるを得ないものだった。
 朝比奈さんの時もそうだったが、ハルヒのセンスには脱帽する。まさかこんな素晴らしいメイドに化けてしまうなんて。
長門……」
 眼鏡の奥でまぶたがきゅっと閉じられる。照れくさいのだろう、まつげまで震わせてしまっている。
 恥じらいのあるメイドさんか……これはこれは、なんと素晴らしい……
「どうよジョン、会心の出来だと思わない? もしこんなメイドさんに『おやめ下さい、ご主人様』とか言われたら、ミサイルのボタンを押すのだって躊躇するわね」
 ハルヒがご主人様にどのような層を想定しているのか甚だ疑問だが、確かにこんな可愛らしいメイドさんばかりなら世界が平和になるかも知れないな。
「それより早く入って来なさいよ」
「あ、ああ」
「どうぞ、ご主人様」
 消え入りそうな声で呟く長門の後ろについて歩く。まるで夢遊病患者のように、ただ俺は長門に促されるままに足を進めているだけだ。
「お座り下さい」
「ああ」
 長門の引いた椅子に腰掛ける。
「……」
 俺の横に待機している長門は、はあふうと小さな呼吸を繰り返している。そんな様子が新鮮でついつい見上げていると長門はゆっくりと顔をそらしてしまった。
「有希、それじゃあ次はお茶よ」
「……はい」
 ハルヒの指示を受け、長門は俺の横から離れる。
 今度は俺が深呼吸する番だった。気が付けば、しばらく呼吸をしていなかったらしい。
「……」
 かちゃかちゃを音を立て、長門がお茶の用意をしている。急須には俺が先ほどお茶を淹れた時の葉っぱがまだ残っているはずだが、長門はポットからそこにお湯を注ぎ入れる。
 俺と長門の分で湯飲みは既に二つ使っている。長門は三つをお盆の上に並べ、お茶を注いでから持ってきた。
 まずハルヒに、続いて古泉、そして最後は俺に。
「どうぞ」
「ああ」
 お茶を置くと、長門はそこから動かず俺をじっと見つめてくる。そんなにまじまじと見られていると飲みづらいのだが。
 しかし長門が俺の横から離れる様子はない。俺は慎重に湯飲みを持ち上げ、口に運ぶ。
 もし科学的にデータをとって調べれば、それは恐らく普通のお茶だっただろう。味自体は特筆すべき物はない。
 だが、俺にはなぜかそのお茶が妙に美味く感じられた。衣装のせいだろうか。もしそうなら高級なお茶の葉などは値段相当の価値がないものだと言わざるを得ない。
「どうですか?」
「美味いな」
 不安げに見下ろしてくる長門にそう即答してやる。
「そう」
 すると長門は、安心したようにふうと長い息を吐いた。
「……そうかしら。あたしはそんなに美味しいと思わないけど」
 横から口を挟んできたのはハルヒだ。頬を膨らませ、窓の方に顔を向けている。
「そんな言い方はないだろ」
「だって本当だもん。これなら昨日あんたが淹れたお茶の方がましね」
 不機嫌そうな顔のまま、俺の方に向き直る。
「ねえジョン、またお茶淹れてよ」
 そう言うハルヒの湯飲みには、まだ半分以上お茶が残っている。
「お前、わざわざ長門にメイドの格好までさせておいてそれはないだろ。いくらなんでも横暴じゃないか」
「……バカ」
「何だって?」
「ジョンのバカ! もういいわよ!」
 突然立ち上がると、ハルヒはどかどかと足音を鳴らして部室を出て行ってしまった。
 こうなってしまうと、残されたのはメイド服姿の長門に俺と古泉だけ。居なくなったハルヒの席では、残された湯飲みから湯気がのぼっている。
 ……どうしろってんだよ、おい。