今日の長門有希SS

 風邪が流行っているらしい。
 らしい、ってのは俺や家族は至って健康そのもので、欠席の数も学級閉鎖になる程度ではないからである。それでもパラパラと空席が目立ち、谷口の姿が見えないせいで妙に静かだ。
「みんな軟弱ねえ」
 俺の後ろでふんぞり返っているハルヒはいつも通り元気だ。こいつはウィルスが体内に入ってきても全て殺してしまうんじゃなかろうか。
「さっき隣のクラスを見たけど、有希いなかったわ。休みかしら」
「みたいだな」
「知ってたの?」
「ああ、俺も見た」
 いやまあ、実際は昨日のうちに「明日は休む」とメールを受けたからだ。
「ふーん……」
 何故か、じろじろと俺の顔を見てくる。
「心配じゃないの?」
「大丈夫だろ」
 実際、長門は身体的には問題はない。付き合い始める前、長門は風邪を引かないと聞いたことがあったので、一度も欠席しないと怪しまれるぞと助言した事がある。
 それで、欠席者の多い時に休むと決めていたのを、今日にしただけだろう。そもそも、長門なら欠席しても学力的には全く問題ない。
「なーんかみくるちゃんもいないし、今日は活動なしにしようかしら」
「朝比奈さんが欠席?」
「そうよ。風邪で休むってメールがあったわ」
 律儀にハルヒに連絡するとは、さすが朝比奈さんだ。
「あんた、みくるちゃんの話は食いつきがいいのね。やっぱり時代は巨乳かしら」
 朝っぱらから巨乳とか言うな。しかも教室だぞ。
「いいじゃない、別に」
 でれーっと机に突っ伏す。団員が二人も欠席ということで、やる気がなくなってるのだろうか。ハルヒがこんなだと精神衛生上あまりよろしくない。
 朝比奈さんが欠席するってわかっていれば、長門には他の日にするように連絡できたのだが……まあ、仕方ないか。
「やっぱ、今日は活動は休みにするわ。各自、体調を壊さないように自宅待機。キョン、あんたも風邪をひいたら死刑だからね」
 へいへい。


 その日はアンニュイなハルヒにつられて俺もずっと気分が良くなかった。古泉には今日の活動がない事を伝えてあるので、俺は帰る事にした。
 珍しく一人で歩いていると、校門のところにもたれかかっている見慣れた女生徒が目に付いた。
 その横を素通りすると、
「もう、挨拶くらいしてよ。冷たいなあ」
 ふわりと髪をなびかせて、朝倉は俺の横に並んで歩き出した。
 今まで同じクラスにいたんだ、改めて挨拶することも無いだろう。
キョン君、一緒に帰ろうよ。寄って行くんでしょ?」
 まるで恋人同士にでも誤解されそうな言い方だな。
 しかも、周りの生徒に聞こえるか聞こえないかって声の大きさで話しているところが悪質だ。きっと、誰にも聞き取れないんだろうが。
 マンション前までは行き先が同じなので、断っても仕方ない。俺はため息をひとつついて、朝倉と並んで歩くことにした。
長門さんは」
 クラスの事だとかテレビの事だとか他愛のない事を話していた朝倉だったが、周りに誰もいなくなったころにぽつりと呟いた。
「しばらく見ない内に、すっごく変わったよね」
 チラリと意味深に俺を見る。
 ああ、少なからず俺の影響はあるさ。それは自覚してる。
「本当にわかってる?」
 朝倉がピタリと足を止めた。
「自分がどれだけ長門さんを変えたか、本当にわかってる?」
 一瞬、朝倉が苛立っているように見えたが、朝倉の表情はいつも通りの笑顔だった。
「わたしがいなくなる前はね」
 何もなかったように、朝倉は歩き出した。
「彼女、女の子の日がなかったの。必要ないからって理由でね」
「え?」
 入り浸るようになって、長門がそのためのものを買って保管しているのを何度か見かけた。
「わたしがいない間にわざわざ申請を通して、その機能を獲得してたみたい。だから今の彼女には、生理用品が必要なの」
 朝倉は、口元をニヤっと歪めて、
「たまーに、何日か遅らせてる事もあるみたいだけどね」
 意味深にクスクスと笑う。
 すいませんでした。
長門さんは普通になりたいみたい」


 俺のあの言葉に、ボウっと見上げて来た長門の表情がフラッシュバックした。


「今回のも、だからなのね」
 ん? 今回って……なんだ?
「あれ? 行くんでしょ、長門さんのところ」
 いや、そうだが……
「お見舞いに行くんじゃないの?」
 長門は、仮病……だよな?
「風邪引いて寝込んでるわよ? だって、生理と一緒に病気になるように――」
 俺は朝倉の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
 何故かって? そりゃ全力疾走をしていたからだ。


 マンションの前に到着し、しばらく文字盤と格闘した。俺も暗証番号は知っているのだが、いつも長門に任せている事と、焦っているので妙に時間がかかってしまった。
 合い鍵を出す時にも手間取ってから、長門の部屋に駆け込む。
「……」
 長門は布団をかぶってほんのりと顔を上気させ、驚いたような目を俺に向けていた。
「息切れ」
 ああ、走ったからな。風邪引いてるなら早く教えてくれてもいいじゃないか。
「メール」
 前に風邪を引かないと言ってたから、仮病だと思いこんでた。悪かった。
「そう」
 長門の額に手をのせると、いつもより高い体温が伝わってくる。重病ってほどじゃないが、少し高めかも知れない。
「ちゃんと飯食ってるか?」
「今朝、朝倉涼子が朝と昼の分の雑炊を作ってくれた」
 勝手に勘違いしていた自分にため息が出る。朝倉がいてくれて良かった、と本気で思った。
「夕飯は俺が作る。長門はゆっくり寝ててくれ」
「いい」
 そこで少し間を空けて、
「材料がない。彼女が食材を買って来て、作ってくれる事になっている」
 自己嫌悪に陥る。
「俺が作るより、朝倉の方が良いのか?」
「あなたは作らなくていい」
 絶望的だ。思わず肩を落としてしまう。
「……」
 上着がきゅっと掴まれた。
「それよりも、あなたには側にいて欲しい」