今日の長門有希SS

 ふと、ジュースを飲みたくなった。
 今は放課後で、相も変わらず文芸部の部室で過ごしている。目の前には朝比奈さんの入れてくれた紅茶があり、飲み物に不満があるわけではない。この学校には朝比奈さんに好意を持つ者は多く、その彼女がいれてくれたお茶を残してまでジュースを買うという行動はそれらの者にとっては正気の沙汰とは思えないだろうが、飲みたくなってしまったものは仕方がない。
キョン、どこ行くのよ」
 ハルヒが声をかけてくる。今までも部室にいる最中にトイレに行くためなど席を立ったことはあるが、財布を持っていたから気になったのだろうか。
「飲み物でも買おうと思ってな」
「ちょっと待って」
 言いながらハルヒは足下の鞄に手を入れる。
「お前の分も買ってきてくれってのか?」
 悲しいかな俺は使いっ走りをすることに慣れている。ハルヒが自分の財布から金を出そうとするだけましだ。
「そうじゃなくて、えっと……あったわ」
 ハルヒが鞄から出したのは丸くて小さいプラスチック製の何かだった。赤と白の二色に分かれていて、中央に液晶の画面がある。
「なんだ、それは」
「万歩計みたいなもんよ。歩数がカウントされるの」
「俺が持ってどうするんだ」
 一日一万歩歩くべきだなどと誰がいいだしたのかはさておき、万歩計とは歩いた数をカウントする道具だ。計測するべきなのは持ち主の歩いた数だけで、不特定多数の人間の歩数を調べたところで意味はないどころか、むしろ健康管理の妨げになると胃っていい。
「数字を増やした方がいいことあるのよ」
 なんだそりゃ。
「なるほど、ポケウォーカーですか」
 横から口を挟んできたのは古泉だった。固有名詞らしきものを口にしたところから、どうやら古泉にはこの正体がわかっているらしい。
「どういうものなんだ?」
 俺は古泉に顔を向けた。最初から説明することを拒否しているようなハルヒに比べれば、多少回りくどい話し方をしても古泉に聞いた方がいい。
「たまごっちをご存じですか?」
「まあな」
 ハルヒが持っているのと同じくらい小さなゲーム機の中で、生き物を育てるとかいう設定のゲームだったはずだ。流行したのは昔のことで、実物に触れたことはない。
「あれとは少々違いますが、そのポケウォーカーにも生き物が入っているんですよ。ちょっと前に出たゲームから移動させたモンスターをそこで育てるというような設定になっています」
「なるほどな」
「一緒に出歩くことでモンスターが成長したり、懐いたりもするわけです」
 大体読めてきた。確かにこの機械には万歩計と同じように歩数をカウントする機能がついているから、ハルヒが言った『万歩計のようなもの』との表現は間違いない。
 だが、健康管理のために持っているわけではない。数字さえ増えればいいから、部室を出ていく俺に持たせようってわけか。
「で、どうすんの?」
「ポケットにでも入れればいいのか?」
 ハルヒから受け取ったそれは大きくも重くもない。別に持っていたからって問題が生じるわけじゃない。
「それでしたら、僕のもお願いできますか?」
 どうやらそのゲームをやっているのはハルヒだけではないらしい。一個が二個に増えたところで、別に構わないさ。
「で、これどうやって見分けるんだ」
 古泉から受け取ったポケウォーカーとやらをポケットに入れようとして手を止める。ストラップなどの目印が付いているわけじゃないから判別は困難だ。よく見れば細かい傷があるのかも知れないが、わざわざそんなものを探すのも面倒だ。
「別のポケットに入れればいいでしょ。古泉くんのは反対側とか」
「忘れるかも知れないから、どっかにメモしとけ」
「あんたはニワトリ? それくらい覚えときなさいよ」
 言いながらもハルヒはホワイトボードの前に立ち、マーカーをすらすらと走らせる。そこには文字ではなく非常に簡略化された俺の絵が描かれており、左右のポケットにそれぞれハルヒと古泉の名前が書かれている。
「あ、あのぅ」
「どうしたの、みくるちゃん?」
 ハルヒが問いかけると、朝比奈さんはもじもじと体をよじらせてから、申し訳なさそうにそれを俺の前に差し出した。
「あたしのもいいですか?」


 かくして、俺の体には三カ所のポケウォーカーとやらが仕込まれていた。ブレザーはポケットが多く、こういうときに役に立つ。
 ちなみにハルヒから渡されたのはポケウォーカーだけでない。余っていたポケットでじゃらじゃら言っている小銭もそうで「ついでにあたしにも買ってきてよ。あんたが美味しいと思うチョイスで」とのことだった。もしまずかったら、このポケウォーカーの中に入っているキョンと名付けられたモンスターがとても恐ろしい目にあうそうだ。
 心底どうでもいい。
 部室を出て少し歩くと、後ろから足音が近づいてきた。ぺたぺたという音で、俺にはその正体が誰かわかる。
「お前も何か買ってきて欲しかったのか?」
「……」
 振り返ると、すぐ後ろに長門の姿があった。
「これ」
 差し出した手には小銭ではなく、これまたポケウォーカーがある。
「持って行ければいいのか?」
 今さら一個くらい増えたところで違いはない。受け取ろうとすると、長門はさっと手を引いてポケットに突っ込んだ。
「わたしも行く。何か飲み物が欲しくなった」
「そうか」
 三人分くらいなら持ち運べただろうけどな。
「いい。一緒に歩いた方が親密度が上がる」
 そう言うと、長門は俺のすぐ横に並んで歩き始めた。