今日の長門有希SS

 掃除当番があって、普段より少し遅く部室に行く。ドアを開いた俺が見たのは、少々珍しい光景だった。
 まず、俺の定位置に朝比奈さんが座っている。向かい側には古泉が座り、その間には将棋盤がある。
 頻繁に見かける光景ではないが、そこまでは珍しいと言うほどではない。妙なのはその後ろだ。朝比奈さんの後ろには長門が、古泉の後ろにはハルヒが立ち「その歩をこっちに」などと指で差して指示をしている。
「何をやってるんだ」
「見てわかんないの、将棋よ」
 いや、その部分に疑問を持ったわけじゃないんだけどな。盤面の状態から挟み将棋やまわり将棋をやっていないことはわかる。いや、そのどちらも将棋と言う名前を冠してはいるので将棋ではあるのだが、ともかく、古泉と朝比奈さんがやっているのは普通の将棋である。
 聞きたいのは、対局している二人の後ろに長門ハルヒが立っていることだ。ただ単に後ろから見ているだけでなく、指示を出しているのは一見してわかる。
「お前と長門はなんだ? アドバイザーか何かか」
「そんな感じ」
 ぼそりと長門が呟く。
 こう言ってはなんだが、古泉は人より弱い。人並み程度の俺に対しても勝率が悪いのだから、その実力は推して知るべし。対する朝比奈さんもあまりボードゲームがお得意ではない。優しい性格上、卑怯な手を使うこともないというか、そもそもそう言う手を思いつきもしないだろう。
 とにかく、前に出ている二人より後ろの二人の方が確実に強い。こういう構図になる場合は指導をしているとも見えるが、長門ハルヒも他人に教えることには向いちゃいないし、本気を出した二人のゲームから朝比奈さんや古泉が何かを得られるとはとても思えない。長門ハルヒの思考パターンは朝比奈さんと古泉には――もちろん俺にもだが、到底理解できるものではない。
「これをこちらか、これをこちら」
 しばらく見ていると、長門から妙な指示が飛び出した。二者択一。どちらの手でも大差ないと思えなくもないが、長門なら最善の手を考えられるはずだし、そこで朝比奈さんに委ねるのは妙だ。
「えっとぉ……」
 盤面を見回し、朝比奈さんはうんうんと唸っている。今やっているのが果たして誰と誰の将棋ということになるのかはわからないが、この決断によって勝敗が左右される可能性があるわけで、慎重にならざるを得ないだろう。
「こっちにしますぅ」
「そう来たのね。じゃあ古泉くん、桂馬で歩を取って成るか、ここに金を置くかどっちかよ」
「わかりました」
 こちらも二択だ。
 古泉も即断することはできず、いつものニヤケ面に少しだけ生真面目そうな色をにじませ、盤面を見回す。
 朝比奈さんが将棋に熱中しておられるようなので、お茶は我慢して対局を見守る。しばらく様子をうかがっていると、数手ごとに長門ハルヒは選択式の指示を出しているようだ。
「で、何をしているんだ?」
 この時点で、俺は単にハルヒ長門の代理戦争を二人が演じているわけではないことがわかっていた。時折出てくる二択が、定期的に――具体的に言えば四回に一度現れていることに気が付いたのがその理由だ。
「将棋よ」
 そいつは最初に聞いた。話をループさせるつもりはない。
「正直、有希はかなり強いわ。あたしでもハンデがないと厳しいくらい」
 プロの棋士は百手ほど先を読むと言われているが、長門ならそれ以上先のことだって予想できるに違いない。相手が一手目を打った時点で勝敗がわかったと言われても、俺はさほど驚かない。
 ハルヒだってかなりのものだと知っているが、それでも普通にやったら勝てないと言っているわけだ。本人が言うのならその通りなのだろう。
「でも、駒を落として戦うのもなんか違うのよね。のびのびできないっていうか、なんか違うのよ」
 ハルヒの気持ちはわからなくもない。俺も本気の長門と対局する場合はかなりの駒を減らしてもらう必要があるだろうが、それで勝ったとしてもしっくりこない。ルール上で定められたハンデだったとしてもだ。
「そこであたしは考えたわけ。あたしと有希は手加減なしで戦う、でも四回に一回は最善だと思う手とそうでない手を提示して、そしてみくるちゃんと古泉くんが選ぶ。こうすれば、あたしと有希の実力差だけで勝負が決まらないってわけ」
「お前と長門は将棋をやっているが、朝比奈さんと古泉はゲームをやっているようなもんだな」
「そう言うこと」
 二者択一で後の展開にどれほど差が出るのかわからないが、これなら長門が本気を出したとしても朝比奈さんの選択でひっくり返ることもあり得る。
 たまに選択をするだけの朝比奈さんと古泉が楽しいのかどうか参加していない俺にはよくわからないが、必死に盤面を見回す二人を見ている限り、つまらなくはないのだろう。四人が楽しんでいるなら俺に口を出すことはない。
「……って、俺だけ暇になるわけだな」
「じゃあ、どっちが勝つか賭ける? 当たったら今日一日はあんたの言うことを聞いてあげるけど、外したら言うこと聞いてもらうわよ。で、どっちにする?」
 参加すると言った覚えはないが、ハルヒの口振りからすると選ばないという選択肢は残っていないようだ。やれやれ。
長門の方に賭ける。優勢みたいだしな」
「ふうん、見てなさいよ。ここから挽回するわよ!」


 その十分後、お茶を淹れて回る俺の姿があった。着替えさせられることはなかったが、お茶を淹れる以外にもハルヒの肩を揉まされたり、ボードゲームを整理させられたりと、まあ単なる雑用係と言えばそれまでだが妙に忙しい。
 ハルヒは上機嫌だし、珍しく勝利を味わった古泉もニヤケ面に胡散臭さが少なく感じられる。それ自体は悪いことではないが、負けた上に雑用を押し付ける形になった朝比奈さんが恐縮していることだけはなんとかしたいものだ。
 そして、同じく敗北した長門は、いつものように読書をしている。その湯飲みが空になっていたのでお茶を注ぎつつ、なんとなく「楽しかったか?」と聞くと、長門はわずかに首肯して目を細めた。
 たまにはこんな日があってもいいかもな。
キョン、お茶」
「はいはい」