今日の長門有希SS

 どんなに記憶力がよく、しっかりした人間でもど忘れすることはある。例えば部屋でティッシュペーパーやゴミ袋が必要になって取りに行くのだが、たまたまリビングでくつろいでいた家族と居合わせて何か会話をしている間に本来の用事を忘れてしまう……といった経験は誰でも一度ぐらいあるだろう。
 誰にでも起こりうることだが、それでも世の中にはど忘れなんかしないだろうと思われるような者もいる。目標を達成するまでは余計な考えが入ることなく、間違いなく完遂するであろうという人物を俺は何人か知っていた。
 しかし、だ――


「ちょっと有希、なにやってんの?」
 最初にそれに気が付いたのはハルヒだった。パソコンの横から頭をひょいと出して、長門を不思議そうに見ている。
「どうかしたのか?」
「たまたま目に入ったんだけど、有希が本を持って本棚の方に向かったのよ。で、読み終わったから新しい本と交換するのかなーって思ってたら、本を整理してまた座っちゃったの」
 で、渦中の長門はどうしているかと言うと、現在立って本棚の前にいる。
「ひょっとして長門、本を戻すの忘れたのか?」
「……」
 長門はしばらく俺たちを見回し、ゆっくりと首を縦に振った。
「へー、有希にしては珍しいじゃない。考え事でもしていたの?」
「倒れていた本が気になって」
 そっちを直して満足してしまい、本を戻すのを忘れてしまったということだ。で、それに気づいて再び立ち上がったところで、一部始終を目撃したハルヒに声をかけられたことになる。団長は見た、だ。
「有希でもそんなことあるのねえ」
「誰だってあるだろ」
 以前に比べて長門は普通の人間に近くなっている。そんなこともあるだろう。
「お前だってあるだろ?」
「あたし? あたしはあんまりど忘れとかしないわよ」
 運動も学業もスーパーマンのこいつだ。記憶力だって人並み外れていると考えることができる。
 もっとも、ど忘れというのは記憶力より集中力などに左右されるのではないだろうか。飽きっぽいこいつなら忘れっぽくても不思議ではない。
「ちょっとキョン、あんた何考えてんのよ」
「なんでもない」


 そんな会話を繰り広げた数分後。
「あ、キョン
 ハルヒが話しかけてきたので古泉とのジェンガをいったん休止する。
「どうした?」
「えっと……あれよあれ!」
 さっきまでど忘れしないと言っていたくせに、何を言おうとしていたのか忘れてしまったらしい。
「違うわよ! ほら、キョンがあんまり好きじゃなくて……丸くて柔らかくて……」
 はて、こいつは一体何を言いたいんだろうね。丸くて柔らかいものなどいくらでもあるぜ。
「食べ物か?」
「違うわよ! しばらくあんたは黙ってなさい!」
 ど忘れなんかしないと言った手前、意地になってしまっている。しかしこういう状況になってしまえば焦ってしまって余計に思い出せなくなると思うのだが。
 誰かわかる奴がいたら教えて欲しいもんだ。
「特定した」
 ここぞという時に頼りになるのが長門である。あの少ないヒントから答えを導き出したらしい。
「一体なんだ」
「それは恐らく」
 長門はちらりと朝比奈さんに視線を向ける。
「大きな胸」
「え?」
 面と向かってそう言われた朝比奈さんはきょとんとしている。
「な、なんで……胸?」
 ハルヒの言いたかったものとも違うようだ。長門は一体どうして胸だと言ったのやら。
「彼は毎晩、わたしの胸の大きさがいいと言ってくれる」


 この後のことは覚えていない。