今日の長門有希SS

「どうぞ」
 放課後は毎日恒例となっているSOS団の活動であり、俺は教室からこの文芸部部室に直行してそのドアを叩いたわけであるが、そのノックに返ってきたのはいつもはあまり聞かない声だった。
「どうかなさいましたか」
 そんな事を考えていたせいでノックをしてからしばらく硬直してしまっていた。ガチャリとドアが開き、声の主が顔を現す。
「お前だけか」
「そうです」
 と答えるのはいつもの営業スマイルを浮かべたSOS団が誇る超能力者の古泉である。しかし、超能力者とは言っても手を触れずにスプーンを曲げたり磁界を操って方位磁針を狂わせるようなわかりやすいものではなく、確かに一般人には無い能力ではあるが果たして超能力と呼称して良いのかよくわからぬ能力を持った男である。
 ともかく、その超能力者であるところの古泉が顔を引っ込めてしまい、こうして突っ立っていても仕方がないので部室の中に入る。定位置に腰掛ける古泉の前にはコマの並べられた将棋盤と一冊の本。
「詰め将棋をしていました」
 誰もいない一人の部室で本を見ながら詰め将棋。超能力者の、いや、そうでもなくてもスポーツ万能で校内でも五本の指に入るであろうハンサム野郎の放課後の過ごし方としてはいささか似合わないものである。こんな怪しげな団体に所属せず、そしてハルヒの妙な能力に振り回されていなければ恐らくはこのような根暗そうな行為で時間を潰す事も無かったであろうが、それもまた一つの運命というものなのだろう。
 いや、別に古泉が一人で詰め将棋をする運命だったというわけではないのだが。
「非生産的だな」
「それでは、少しだけ生産的にしていただけませんか?」
 古泉は営業スマイルのまま並んでいたコマの配列を無造作に崩し、よく見る配置に並べていく。自分の手前に王将を置き、その両端に金銀と、つまりは普通の将棋をするための配列である。
 どちらも生産的でない事にはさほど変わりはないのだが、少なくとも一人で詰め将棋をやらせているよりはなんぼかましだろう。俺は古泉の向かい――つまりは俺の定位置――に腰掛けてコマを並べていく。
 並べ終わったところでジャンケンをして古泉が先攻となった。公式なルールでは先攻後攻の決定方法はどう考えてもジャンケンでは無いと思われるが、別に厳密なルールでやっているわけではないのでどうでもいい事だ。
「なあ」
 しばらく古泉と向かい合って将棋を指していて、何となく静寂に耐えきれなくなった俺は口を開いた。普段は特に会話などしなくても気にならないのだが、俺達以外に誰もいない部室で黙って顔を付き合わせているのも何となく居心地が悪かったのだ。
「なんですか?」
ハルヒは最近どうだ?」
「僕よりはあなたの方がご存じかと思いますが」
 確かにハルヒとは朝から夕方まで至近距離で過ごしており、古泉よりは知っていてもおかしくない。しかし、今回聞きたかったのはそう言う事ではない。こいつの能力に関係した事だ。
「そんな顔をなさらないでください。そうですね、僕がこのような冗談を言えるくらいだと言っておきましょうか」
 回りくどい言い方ではあるが、俺が危惧するような事はないと言う事だろう。ハルヒの機嫌がよろしくないのは俺やSOS団、はたまた世界そのものの存亡に関わるので今の状況は喜ばしいと言えよう。
不定期なバイトは恐らくまだしばらくは続きますが、それはそれでやりがいのある事ですから」
 ふと視線を上げるが、ニヤケた顔からは感情を読み取る事が出来ない。冷静沈着でクールな二枚目キャラを装うこいつは、こうしてハルヒのいない状況でもその仮面を崩さない。いや、装わなくても二枚目は二枚目なんだが。
 あまり情報を知らされずにSOS団に所属して振り回されている朝比奈さんと、使命はあるもののわりと好き勝手に読書をして俺と過ごしている長門と違い、こいつは明確な意志を持って今の役割を演じて立ち回っている。
「クラスに友達はいるのか?」
「客観的に見れば友人と呼ぶ事の出来る関係の人物は何人かいます。ですが、真の意味で友人と呼べるかどうかは少々難しいですね」
 社交性のあるこいつならそれなりにクラスでもうまく立ち回っているのだろうが、腹を割って話せる相手などいないって事か。社交的なキャラを演じる事も意図的にやっている事なのかと考えると、何となく俺はその生活がひどく息苦しいものに思えた。
「そう考えると、僕にとっての唯一の友人とは、秘密を共有しているあなたなのかも知れませんね」
 ニヤケたまま、いや、いつもの営業スマイルとはどこか違う笑みで俺を見つめる。
「気色悪い奴だな」
 率直に口にすると古泉は軽く握った拳を額に当てて「いやはや」と苦笑する。
 さて、そんなこんなですっかり手を止めて会話していたわけだが、ガチャリと聞こえたドアノブの音で中断される。
「……」
 ドアを開けた長門は俺達を見回して少しだけ止まる。
「なあ長門
「……なに」
 ドアの前に立ったまま、長門は不思議そうに俺の方に視線を向ける。
「お前にとって古泉は友達か?」
「……」
 俺の言いたい事がよくわからないのか、しばらく視線を俺と古泉の間で行ったり来たりさせていたが、
「恐らくは」
 と口にする。
 そうさ、クラスじゃ腹を割って話せる奴はいないだろうが、このSOS団には他にいるじゃないか。いや、もちろんハルヒに話せるわけではないので、長門と朝比奈さんを合わせて三人……まあ、あまり多くはないが俺だけしかいないと言うよりはましだろう。
「友達? なんの話してんの?」
 と、開けっ放しになっていたドアから顔を出したのはハルヒである。遅れてきたと言うのに同じタイミングで来たのか、その後に朝比奈さんも続きゾロゾロと三人が入ってきた。
「彼と友情の話をしていたんです。僕にとってはこのSOS団での時間が濃密なもので、クラスメイトよりもSOS団の団員の方が友人に相応しいとの話です」
 秘密云々をうまくぼかしてよく口が回るもんだな。今回ばかりはそれに感謝するが。
「ふうん……有希だけじゃなくてあたしだって古泉くんの友達よ。みくるちゃんもそうでしょ?」
「あ、は、はい」
 長門なら性別云々を気にせずドライに友人と断言できるが、朝比奈さんはそうはいかないのだろう。
「何そんな顔で見てるのよ。あんたもみくるちゃんにとってずっと友達よ」
 半ば強要するように見つめるハルヒに促され「はあ」と答える朝比奈さん。ハルヒはどうやら俺の視線を誤解していたようだ。
「有希もそうでしょ?」
「違う」
 即答で否定する長門ハルヒは一瞬面食らったような顔をしてから「うわ可愛そう」と哀れむような視線を向ける。しかし俺はハルヒとは別の意味で顔を硬直させているのが自分でもわかった。
 長門は続けて、
「遊びではなく本気。セックスフレンドではない」
 と発言した。


 この先の事はご想像にお任せする。