穴埋め小説「ムービーパラダイス」56

 破棄された地下鉄のホーム。明かりはついているが、それは弱々しく薄暗い。不自由があるわけではないが、なんとなく破棄されたものの持つ虚無感を感じられる。
 そんな中、俺の目の前に着物を着た少女が座っている。白に近い薄桃色。牛乳に少量の血を混ぜたような、綺麗な色。
 死神のような存在であるさくらは、乱れてしまった黒髪を櫛でとかし、同じく乱れている衣服を整えている。
 下を向いて髪をとかすさくらは、どことなく艶っぽさを感じさせる。
「それでですね」
 髪をとかしながら、ちらりと俺を見上げるさくら。
「その状態でも、ものを触ることができるんですよ」
 忘れていたが、そう言えばそんな話もあった気がする。
 しかし……
「物って、これとか触れてるけどな……」
 と、俺は懐から真っ黒な首輪をとりだす。大型犬用の首輪に見えるが、大型犬用のそれと違って特別な薬品などが塗られていない。どうして塗られていないかというと、これが犬のためのそれではないからである。
「あ――そ、それは――あの――」
 びくりと体を硬直させる。表情は怯え、普通に話すこともできなくなっている。
 話せなくなっても困るので、俺は首輪をしまう。さくらはほっと胸をなで下ろすが、まだ完全には落ち着いていないようだ。
「先ほどの、く……首輪はですね、霊体になった時に持っていたために霊体なんですよ」
 そう言えば、俺は自分自身の今の状態がよくわかっていない。
「ええと……ご主人様は今、霊体という状態なんですよ」
 俺の考えを見透かすように、説明を始めるさくら。以心伝心である。
「人間は肉体だけではなく、魂が宿っているわけですが、肉体と霊魂を繋ぐ時に霊体というものがその橋渡しをしているわけです」
 どういう事かいまいちわからない。
「霊魂というものは肉体とは全く違う形と属性をしているから、霊魂が直接肉体を動かすのは難しいんです。そこで、肉体と同じ形で、霊魂と属性の近い霊体を動かす事で、肉体を動かすわけです」
「肉体は着ぐるみみたいなものか。で、霊体は中に入ってる人と」
「そうですね……それに近い状態かも知れません。まあ、霊魂だけでなく、肉体自身も神経によって動いているから違いますけど」
「じゃあ、肉体は霊とかに憑かれて暴れてる人として、霊体というのは操ってる霊みたいなもんか」
「例えが微妙ですが……そんな感じかも……」
 まあ、そのあたりの事を詳しく知る事はそれほど必要でも無いか。
「で、どうやったら動かせるんだ?」
「あ、はい。霊体は肉体に近いって言いましたよね?」
「ああ」
「霊体は肉体に近い感覚で動かせるため、肉体に近い属性に変える事ができるんですよ。霊体である事を認識しながら、その事実を忘れるというか、当然触る事ができると心の中で思うんです」
 ややこしい。
「とりあえず……」
 と、さくらは周囲を見回して、ホームの隅っこにぽつんと落ちていた空き缶を指さす。
「あの空き缶、持ち上げてみてくれますか?」
「ああ」
 俺はそこまで歩いていって、その空き缶を持ち上げた。
 ――否。俺の手は空き缶を素通りして、何も持ち上げていなかった。
 まあ、予想通りである。
「慣れればこれを持てるようになるのか」
「はい。ただ、慣れなければあまり多くの面積の属性を変える事は難しいので、持ち上げるまではできないかも知れませんけどね」
「お前はどれくらいできるんだ?」
「あ、わたしは全身の属性を変えられますよ。普通の人ができる事ならだいたいできます」
 そう言う存在ですから、と苦笑する。
「とりあえず、どうしたらいいんだ?」
「あまり触るとか意識しないで、肉体があった頃のような気持ちで何度か触ろうとしてみて下さい」
 難しそうだが、とりあえず言われたように始めてみる。