今日の長門有希SS

 その日は昼頃に出かけた母親が夜まで帰って来ないとかで、俺が台所に立つ事になった。材料は冷蔵庫に揃っており、あとは指示された通りの料理を作るだけだ。
 なんだかんだで長門の部屋で飯を作るようになってけっこう長いので、食事を作る事には慣れている。最近じゃ交代制でやっているが、一時期はずっと俺が作っていたしな。
キョンくん、すごーい」
 皮むき器で手早く野菜の皮を剥く俺を、椅子に座った妹が興味津々で見ていた。
 なあ妹よ。小学生とは言えお前もレディなんだから、手伝ってみないか? 料理が出来ると将来モテるかも知れないぞ。
「まるで、週に五回くらいごはん作ってる人みたいだよ」
 その週五という妙にリアルな数字がどこから出てきたのか聞きたいが、出所がはっきりしてしまうとアレだからスルーして置いた方が良いだろう。
 すっかり皮がきれいに無くなったニンジンをまな板の上に置いて包丁を当てる。
「ん?」
 少々固いニンジンだ。いつもより力を入れて包丁を引くと切ることが出来るが、なんとなく引っかかるような感じがする。
キョンくん、どうしたの?」
「いや、ちょっとニンジンが固いかも知れないけど残すなよ」
「えー」
 ぶーっと妹が頬を膨らませてテーブルにべったりと体を預ける。まあ、食う前から野菜が固いと言われたら良い気分はしないか。
 ニンジンを切り終わり、次はゴボウ――と、これも固いな。切る野菜がどれもこれも固い。ついでに言うと、肉まで固い。こりゃ一体、どういう事だ?
 不思議に思いながら、それらをいつぞやの調理実習で習った通りにだし汁に放り込んで煮込み、味噌を入れる。作っているのは豚汁だ。
 今日のメインは豚汁だ。これを「ぶたじる」と読むか「とんじる」と読むか地方によって違うらしい。まあ、どうだって良いことだけどな。
 豚汁が肉や野菜盛りだくさんなので、今日はこれとサラダだけだ。サラダのためのキャベツすら固かったのは、ちょっとやりすぎだと誰かに文句を言いたい気分だ。
 料理が完成し、妹と向かい合って夕食。
「別に固くないよ?」
 ぱくぱくと食べる妹。お世辞を覚えたのかと苦笑して俺も料理に手を付けると、確かに普通だ。
 野菜が固くないとなると、考えられるのは一つ。
「包丁が原因か」
 長門の部屋で料理をしていて食材が固いと思った事はなかったので、そんな簡単な事が思いつかなかった。包丁が鈍っていたのだろうか。
 いや、油断してはいけない、長門の持っている包丁なのだ。もしかすると特別な素材や特殊な技術が使われているのかも知れない。例えば、高振動粒子で形成された刃により、接触する物質を分子レベルで分離する事で切断するとか、そんなのだ。
 ともかく、味にも不満はなかったのか、妹は出された料理をきれいに平らげた。おかわりしてくれたのがちょっと嬉しかった。
 しかし、手伝ってくれてもいいよな、と茶碗を洗いながら思った。


 その翌日、長門の部屋に行った俺は、台所に直行して普段使っている包丁を観察する。
「どうかした?」
 カバンも置かずに台所で包丁を眺める俺に、長門は不思議そうに首を傾げていた。冷静に考えると、ちょっと尋常じゃないな。
「いや、昨日の事なんだけどな」
 夕飯を作った時に思っていた件を説明。家で飯を作った事自体は教えていたが、包丁の件は言い忘れていた。
「で、この包丁って何か特殊なモンなのか?」
「そんな事はない」
 長門はふるふると首を横に振って否定。
「それは一般的な包丁」
「とすると……テレビショッピングでやってるようなやつか?」
「ショッピングセンターで買った」
 なんだ、刃を逆さにしてトマトを落として、トマトが重力だけで真っ二つになるような包丁ではないのか。
「じゃあ、いつも切れ味がいいのはどうしてだ?」
 俺はこの包丁を研いだ記憶がない。それに、この部屋で研ぎ石を見たような記憶もないのだが。
朝倉涼子が」
「ああ……」
 なんとなく、納得した。
「彼女は定期的に研石を持ってやって来る」
 詳しく話を聞くと、三年前から朝倉はたまに包丁を研ぎにやって来ていたらしい。独自のこだわりがあるらしく、人造砥石ではなく今は貴重になった天然素材の砥石をわざわざ京都から取り寄せたらしい。そして、包丁自体はショッピングセンターで売ってるような安物だが、朝倉が定期的にその砥石でメンテナンスをし続けたせいで妙に切れ味が鋭くなっているとか。
 そして、ブランクはあったものの朝倉の包丁研ぎは未だに継続しているらしい。最近は平日の朝に料理を作りに来てついでに研いだり、俺達がパトロールのために部屋を空けている間にやってきて勝手に包丁を研いで行く事もあるそうだ。
 どこぞの妖怪みたいな奴だな、あいつは。
「今度、うちの包丁もお願いしたいくらいだな」
 軽い気持ちでそんな事を言うと、
「……」
 なぜか神妙な面もちで長門が俺の顔を見つめていた。
「彼女をあなたの家に入れるつもり?」
 表情こそ変わらぬものの、無言の圧力がかかる。
 その時、俺は「ああ地雷を踏んでしまったな」と理解した。