今日の長門有希SS

 放課後は、SOS団が占拠状態の文芸部部室に集まって目的もなくダラダラと時間を浪費するのが恒例となっている。たまにハルヒが何かやらかす程度で、変わったことはほとんどない日常。不思議なもの好きのくせに、よくこれで鬱憤が爆発しないもんだ。
「あによ?」
 チラリと見ると、仏頂面のハルヒと目が合った。
「なんか言いたいことでもあんの?」
「別に」
 全くない訳でもないのだが、別に言い争う必要もあるまい。
 ハルヒはしばらく俺の顔を見てから、黙ってパソコンの方に視線を移した。
「あなたの番ですよ」
 ハルヒと話しているうちに、古泉がコマを動かしていたらしい。ええと、何をどうしたんだ?
「ちょっと待て、桂馬がナイトの動きをしてないか?」
「あ、すいません。間違えました」
 そんな滅茶苦茶な取られ方で俺の戦術を崩されてたまるか。
 古泉は自分の移動させていた桂馬を戻し、そこに俺の歩を戻す。それから再び長考。
 さて、こうなると長そうだ。
 退屈なので、何か無いかと部室の中を見回す。ハルヒはパソコンに向かってマウスをカチカチと鳴らし、長門はいつものように分厚いハードカバーをめくっている。朝比奈さんは食器の整理をしている。
 まさしく、いつも通りだ。
 そうそう変わったことなど起きるものではないが、たまには何か変わった事でも起きてくれないかと思っていると、パタンと本の閉じる音が聞こえた。
 それに気付いたのは俺だけらしい。長門の方をチラリと見ると、長門は本を膝に置いてドアを見ていた。
 ……何かあるのか?
 つられてそちらに視線を移すと、ドアノブがガチャリと音を立てた。既にここに団員は揃っているので、ドアを開けようとしているのはそれ以外の誰かという事になる。
 ドアが開くと、
「やっほーっ」
 と、鶴屋さんが顔を出した。
「あら、どうしたの?」
「なんかみくるのお茶が飲みたくなってさっ」
 どうやら、本当にそれだけらしい。鶴屋さんはスタスタと入ってきて、俺の横の椅子に腰掛ける。普段は朝比奈さんの位置だが、今は片づけをしていたので無人だった場所だ。
「ちょっと待ってくださいね」
 朝比奈さんは来客用の湯飲みを出し、鶴屋さん用のお茶を用意し始める。
 俺の横に座った鶴屋さんは俺と古泉の間に置かれている盤面を見て、
「おっやー? 一樹くん、劣勢だねっ」
 俺の方ではなく、古泉の事である。
「いやあ」
 古泉は苦笑し、頭をかいている。
 知的に見えるが、古泉はボードゲームが弱い。最初は接待プレイなのかと思っていたのだが、本当に弱い事は理解している。
「よしっ、お姉さんが助っ人だっ!」
 何だって?


 先ほどまで余裕で押していた戦況は、敵将が交代するや否や、すぐにひっくり返された。
キョンくん、どうするんだいっ?」
 お茶を飲みつつ、朝比奈さんと雑談しながらだというのに、鶴屋さんは的確に俺の痛いところを突いて来る。古泉がその横でじっくりと観察しているが、その戦術を自分のものにできているとは思えない。
「ほーら、王手だよっ」
 このコマを取ることは出来るが、そうするとこっちが……いや、しかし取るか逃げるかしなければならないのだが、そうすると……
 このままでは負けそうだ。別に古泉に負けたわけではないが、何となくシャクである。
 くそ、どうにかしなければ――ん?
「どうした?」
 いつの間にか横に立っていた長門に声をかける。長門は盤面をのぞき込んでいた。
「助っ人」
 そう言うと、長門は俺の座っている椅子をスッと押した。椅子は床との摩擦係数が完全にゼロになったかのようにすべり、長門は今まで俺のいた位置に抱えていた椅子を置いて腰掛けた。
「ふっふーん、長門っちが相手かっ! これは燃えるさねっ!」
 俺相手ではそれほど燃えなかったという事だろうか。少しだけ切ない。
 すぐに逆転するかと思いきや、かなり押されていたせいで長門の腕を持ってしてもなかなかひっくり返せないようだ。鶴屋さんの攻撃をうまく回避しているが、押され気味な事には変わりない。
 しばらく手に汗握る攻防が続いていると、
「王手」
 突然、長門が宣言した。王が囲まれているのは変わっていないのだが、長門もジワジワと鶴屋さんの王の行動範囲を狭めていたらしい。
 まあ、この王手自体は簡単にどうにか出来るものであるが、問題はその後だ。下手すると、ここから防戦一方になる事も考えられる。
「むむっ、これは厳しいねっ」
 アゴに手を添え、鶴屋さんがうーんと考え込む。ここに来て初めての長考だ。
 長門が勝ちそうだなと思っていると、鶴屋さんの肩にぽんと手が置かれた。
鶴屋さん、助っ人いらない?」
 腰に片手を当て、無駄に胸を張ってるハルヒが立っていた。


 ハルヒに交代すると戦いは熾烈を極めた。戦況がめまぐるしく変化し、どちらが勝つのか予想できなくなった。
 そして、元々戦っていた俺と古泉はすっかり蚊帳の外だ。朝比奈さんと一緒に勝負から少し離れた場所に三人で腰掛け、ぼんやりと勝負の行方を見ながらお茶をすすっている。
 しかし、元々アレは俺と古泉だったはずだが……もはやあれは代理戦争の様相を呈しており、さながら東西の冷戦構造のようである。


 結局、日が暮れてしまったので勝負はそこで終了という事になった。ハルヒはメモ用紙に何やら書き付けてから封筒に入れ、開けないようにと朝比奈さんに渡していた。
 それから数日、ハルヒ長門が放課後に将棋を続けていたのは言うまでもないことだろう。