今日の長門有希SS
一日の中でも、俺たちが登下校する朝と夜は温度が低くなる。特に冷え込む日であれば、学校に行くのが億劫になるほどだ。
しかしもちろんそんなことで学校を休めるはずもなく、寒さに耐えつつ長いハイキングコースを歩くことになる。それなりに防寒には気を使っているつもりだが、それでも外気に触れる部分はある。
「キョン」
通学途中に知り合いに会うことはそれほど珍しいことではない。聞き慣れた声に振り向くと、あまり見慣れていない姿のハルヒがそこにいた。
「風邪でも引いたのか?」
ハルヒの口と鼻を白いマスクが覆っている。ガーゼではなく紙のような、いわゆる不織布とかいう素材のマスクだ。
「引いてないわ」
「予防か?」
「引かないに越したことはないけど、そこまで神経質じゃないわね。そもそもこんなマスクじゃウィルスを完全に防ぐことなんて不可能だし」
「じゃあ一体なんのためにマスクをしているんだ」
「寒いからよ」
「そうかい」
まあマスクを着ければ外気に触れる面積も減るし、呼吸をする時に取り込まれる空気も多少は温かいものになる。防寒具としての効果はマフラーや手袋などに比べるとそれほどでもないが、ないよりはましだ。
「ん、ずっと見てるけど、もしかして羨ましいの? 残念ね、帰りの一枚しか残ってないから、あんたにあげられるマスクはないわよ。今使ってるのを貸せって言うなら話は別だけど」
「いらん。そもそも羨ましくない」
「やせ我慢は体に毒よ」
寒さを我慢しているのは確かだが、それは普通の我慢であってやせ我慢ではない。
とまあ、そんな風にハルヒと話しながら学校に向かって足を進めていると、見慣れた後ろ姿が目に入った。
「あれ、有希よね」
「そうだろうな」
俺が長門の後ろ姿を見間違えるはずなどない。ハルヒですらそう思うのだから、少し先を歩いているのは間違いなく長門だろう。
走り出した、というほどではないがハルヒの歩く速度が目に見えて上がる。競歩くらいのスピードがあり、しかも上り坂なので足が少し痛くなる。
「有希」
近づいたところでハルヒが声をかけた。
そして振り向いた長門は――顔の下半分をまっ黒の布で覆っていた。最初はマフラーでも巻き付けているのかと思ったが、よく見ると厚手の布で作られたマスクのようだ。
「なにそれ」
「防寒用のマスク」
目的はハルヒと同じだが、それ用に特化されたマスクらしい。
「そんなもん、どこで買ってたんだ」
「スポーツ用品店」
俺と買い物をした時ではない。まあ、俺と長門は交際しているとは言え、常に一緒に行動しているわけではない。一人で買い物に出かけることもあれば、朝倉や喜緑さんなど他の人物と行くこともある。
「スキー用品か何か?」
「そう」
問いかけるハルヒ対し首を縦に振る。
スキー用のものはスキーの時に使うべきではなかろうか。だがまあ、登下校だって坂を上り下りする点では共通しているな。
じっと見ていると長門が俺の顔を見上げてきた。
「あなたも着けたい?」
「いや、いい」
確実に温かくなるだろうが、そんな怪しげな装飾品を身に付ける気にはなれない。
「残念。スペアならあるのに」
「あるのかよ」
「もしもの時のために鞄に入れてある」
どんなことが起きれば今着けているマスクが使えなくなるのかわからないけどな。
「まあ、それをつけたまま銀行や郵便局には行くなよ。あと、夜のコンビニもやめておけ」
「夜の方が防寒が必要」
「いや、寒くてもやめとけ」
「わかった」
ちなみにこの数分後、目出し帽を身に付けた喜緑さんに遭遇することになる。