今日の長門有希SS

 全ての授業が終わると担任によるホームルームがあり、それが終わると自由な時間がやってくる。この時点ではまだ日も高く、どこかに寄って遊ぶ者もいる時間だが、生憎俺はその自由を満喫できる立場にない。部室に向かって無益な時間を過ごすことはもはや義務となっており、その時間に価値がないとわかっていながらもそこに向かうことしかできない。
 なお、俺にそれを強いているハルヒは掃除当番だ。仏頂面で回転箒を振り回すハルヒを刺激しないよう、鞄を持って教室をこっそり出る。
 毎日通い続けたせいで目を閉じていても間違うことはないだろうというルートを通り、目的地に到着した。既に習慣になっていることが新たな感動を生み出すことはなく、達成感などはない。
 ここで何も考えずに扉を開いてしまうと朝比奈さんの着替えに遭遇してしまう可能性がある。それは退屈な毎日の中での一服の清涼剤となりうるかも知れないが、その後でハルヒに何をされるかわかったものじゃないし、長門の機嫌も損ねてしまうのが確実だ。それに、もちろん朝比奈さんにも悪い。
 ノックをしてしばらく待つが返答はない。
 こういう時、部室の中がどうなっているのか決まっている。朝比奈さんやハルヒや古泉がいる場合は声が返ってくるので、少なくともその三人が来ていないのは明らかだ。ハルヒはまだ教室掃除の最中だから元々来ていないことはわかっているんだけどな。
 だから、今この中は無人であるか、長門一人だけがいるかのどちらかだ。
 これらの予想はSOS団員以外が来ていることを失念してはいるが、ここに来るようなメンツを考えると、ノックに返答をしそうな者ばかりだ。頻度が高い順に鶴屋さん、朝倉、喜緑さん……喜緑さんだけちょっと不安だが、他の二人は間違いなく返事をしてくれるだろう。
 もちろんこれ以外の来客が来ることは考えられるが、無人長門しかいない部室に勝手に入れるような者は思い当たらない。そう言う者は大抵、部室の前で待っているはずだ。
 ともかく、ノックをして返答がなかった今、この部室にいる可能性があるのは長門だけだ。この状況は特に珍しいものではない。
 だから俺は、扉を開けた時、中にいた物を見て思わず声を漏らしてしまった。
ミラバケッソ!」
 そこにいたのはふわふわの毛に覆われた一匹の白い獣。ずんぐりした体に、やたら長い首。頭があるのは俺の胸くらいの高さで、体毛で覆われているせいもあるだろうが、そいつには妙な圧迫感があった。
 これは……なんだ?
「……」
 そいつは無言のままつぶらな瞳でじっと見つめてくる。
 どういうことだ。ノックをして返答がなかったから、ここには長門しかいないはずだった。長門は一体、どこに……
「なに?」
 聞き慣れた声が聞こえた。まさか、この動物は長門……なのか?
「違う」
 そいつの後ろからひょっこりと長門が姿を現した。目の前にいる生き物が巨大すぎて、その後ろにいた長門が見えていなかっただけだ。そりゃそうだよな、俺は一体何を考えていたんだ。
「ところでこの動物は何だ?」
「アルパカ。南米原産の家畜」
 そういや、テレビや雑誌で見かける生き物によく似てるな。教科書にも載っていたような気がする。
「なんでいるんだ?」
「知らない。わたしが来た時点でここにいた」
 で、お前はそれを気にせず奥に回って読書をしていたわけか。
「今日はまだ読書はしていない。もふもふしていた」
 そうかい。
 アルパカの魅力を堪能していた長門はともかく、この状況はあまり喜ばしいことじゃない。おかしな事態を引き起こすのは大抵ハルヒで、それを本人に見せると世界がおかしくなる可能性がある。だから俺たちは、何かが起きるとハルヒから必死に隠さなくてはならないわけだ。
 だが、これが起きた理由はなんだ? ここにアルパカが来るように、ハルヒが望んだというのか? で、ハルヒがそう望んだことにより、長机やパイプ椅子が畳まれて壁際に置かれ、部室のど真ん中にアルパカが鎮座することになった。と……
 なんだそりゃ。
 状況の分析はもういい。起きてしまったことをどうするかが問題だ。
長門ハルヒが来る前にこのアルパカをどうにかできるか?」
「どうにか、とは?」
ハルヒに見つからないような場所に移動させてくれればいい」
「不可能ではない。ただ……」
「ただ?」
「その場合、移動先にはわたしも行く」
 逃げ出したらまた別の騒動になるだろうからな。その監視をするっていうのか?
「そう。あと、もふもふし足りない」
「好きにしてくれ」
「わかった」
 首を縦に振ると、長門はアルパカの首に手を添えた。
「廊下を歩いて連れて行くのか?」
「そう」
 大丈夫なのか、それは。まあSOS団に所属している者なら多少のことなら気にも留められないだろうが、さすがにアルパカを連れて歩いているのはどうだ。部室棟はあまり人が多くはないが、授業が終わったばかりのこの時間は人の出入りがあり、もし誰かに見つかると教師の耳に入る可能性がある。
「ふぇっ!?」
 声が聞こえて振り返ると、開け放たれたドアの向こうで朝比奈さんが尻餅をついていた。外部の人間に見られると問題になるが、身内でよかった。
「な、なんなんですかぁ?」
「アルパカです」
「アル……パカ?」
 そもそも朝比奈さんはこれが何かということを聞きたかったのではなくどうしてこんなものがいるのか聞きたかったと思われるのだが、俺にはそう答えることしかできなかった。長門なら俺とは違った説明ができるだろう。
「アルパカは有蹄類ラクダ科の生物。日本では特定のCMで使われたことにより知名度が上がった」
 いや、そう言う説明でもないと思うぞ?
「俺も長門もこいつがここにいる理由はわかりません。まず間違いなくハルヒが原因だと思いますが」
「あ、もしかしたら……」
「何か心当たりがあるんですか?」
「涼宮さん、昨日お茶を持っていった時にパソコンでアルパカの写真を見てました。触ってみたい、って言ってました」
 だからここに現れたってのか。なんて安直な。
 あまりの状況に何も見なかったことにして帰ってしまいたい心境だが、こいつをこのまま放っておくわけにはいかない。ハルヒが来るのは時間の問題だ。
長門ハルヒが来る前に急いで頼む」
「難しい」
「難しいって、どういうことだ?」
「もう来た」
 直後、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。こうなるともう俺たちには止める手段はない。
「お待たせー、って何よこれ!」
「アルパカだ」
「有蹄類ラクダ科の家畜。アンデス原産」
「それはわかってるわよ!」
 わかってるのかよ。
「なんでそのアルパカがここにいるの!? まさかあたしたちに敵対する何者かが、何かを仕込んだアルパカを送りつけてきた……とか」
 ギリシャ神話の巨大木馬か。さっさと軌道修正しないとあらゆる学校の部室に何かが仕込まれたアルパカが出没するようになりかねない。
 だが、この状況を説明できるようなうまい言い訳は咄嗟には思いつかない。どうすりゃいいんだ。
「とりあえず、触ると気持ちいい」
「そうか」


 それから、言い訳を諦めて全員でアルパカをもふもふしていると、後から来た古泉が「たまたまアルパカを飼っていた知人から借り受けたものだ」と説明したので大事にならずに済んだ。