今日の長門有希SS 「長門有希の転換」サンプル

第一章 その一 その二 その三 その四
第二章 その一 その二 その三 その四


   第三章 その一


 普通、自転車通学と言えば学校まで行くものだと思うが、わたしたちの場合はそうはいかない。駅から高校まではなだらかな坂道になっており、しかも距離が長い。確かに帰りは楽になるかも知れないが、ここから自転車で登り切るのはあまりにも無謀である。電動アシスト自転車でもあればいいのだが、あんな高級品に手が出るはずもないし、そもそも学校まで行くことは許可されていない。
 というわけで、自転車は駅の近くに設置された駐輪場に置いて歩きで登ることになる。体格に合っていなかった自転車でここまで来たため、自転車を降りたというのにどこなく違和感が残っているようだ。
 駅から同じくらいの年代の者がぞろぞろと出て来て同じ方向に向かって歩いていく。客観的に動物の群のようだなと思いつつも、自分も目的地が同じなのでその中に加わっていくことになる。学校まではほぼ一本道であり、途中で寄り道をする者はいない。しかしながら人によって歩く速度が違うので、近くを歩く顔ぶれは時間と共に少しずつ変化をしている。
 駅から何分か歩いたところで、わたしは『朝倉』を見つけた。長い髪を風になびかせるその後ろ姿に声をかけるため近くに行こうと思うが、走ろうと思えるほどの体力が残っていない。わざわざ高さを変えるのが面倒だからと足の届かない自転車に乗っていたのが原因だろうか。おまけに急いでいたせいで朝飯も食えなかった。走ったら倒れそうだ。
 しかし、このまま見送るわけにはいかない。朝倉にだけは状況を説明しておかなければならないからな。
「よう」
 足早でしばらく追い続け、ようやくその背中に声をかける。
「あら、おは―よう?」
 振り返って首を傾げる。
キョンくん……なのかな」
 不思議そうな顔にどことなくその面影が見えた。整った顔立ちに、少しだけ濃い眉。あいつに妹がいればこんな感じだろう。
「朝倉でいいんだよな」
「そうだけど……ねえ、どういうこと?」
「あまり他の奴に聞かれたくない話なんだが」
「そう」
 口の中で小さく呟く。
「これで大丈夫。話してみて」
 わたしにはわからないが、朝倉との会話は外に漏れることがないはずだ。
 しかしまあ、この状況を説明するとなると難しい。自分自身、よくわかっちゃいないのだから。
 どう説明したらいいか口ごもるわたしの顔を、朝倉はやんわりと笑みを浮かべて見つめている。ああ、こういうところはわたしの知る朝倉と一緒なんだな。
 それでなんとなく肩の力が抜けて、今わたしの置かれている状況を話し始めることができた。


「で、キョンくんが女の子になったのね」
 話を聞いていたのかお前は。
「ごめんごめん。えっと、みんなの性別が入れ替わってる国からキョン子ちゃんがやってきたんだっけ」
 一応それで合っているはずだ。まあ本当のところはよくわからないんだけど。
「あなたにとってはみんな知らない人みたいに見えるんだよね? 学校で不便じゃない?」
「何かあったらお前に頼るように、って長門にも言われたからな。朝の内に話すことができてよかった」
「そうそう、気になっていたんだけどどうして長門さんは一緒じゃないの?」
「弟……いや、妹が家を出なきゃいけない時間まで手品を見せているはずだ」
 結局、女であるわたしが部屋にいたことは、長門が手品で見た目を変えたからそうなったということにしてごまかした。いや、子供とは言っても小学校の高学年でさすがにその説明だけでごまかされるほど単純ではないのだが、どこからともなく取り出したマントを被せるたびにコロコロと性別が変わるのを見ると目を輝かせて信じていた。まあ、相手が長門だというのもある。
 わたしが家を出る時には、長門の頭は体から離れて段ボール箱の中から「いってらっしゃい」と声をかけてきた。タネがあるのかないのか、それはまあどうでもいいことだ。
 本当なら長門と一緒に登校したかったところだが、手品だという言いわけにあそこまで食いつかれるとは思わなかったし、早いところ朝倉に話を通しておきたかったからこうなったわけだ。まあ、仮に朝倉のサポートがなかったとしても、相手が誰なのかわかるようにはなっているからどうにかできる。
「そう言えば、さっきから歩いてる人の顔じゃなくてちょっと上を見てるよね。長門さんに何かしてもらったの?」
「今のわたしは目を持っている」
「もしかして、情報統合思念体の目を?」
「そう言う名前だったな」


情報統合思念体の目?」
「そう」
 わたしの言葉に長門は首を縦に振る。
「あなたにわたしの力の一部を分け与える。この目を持つことで、あなたは見た者の名前を知ることができる。あなたの知る名前で」
 そんな便利な物があるならぜひ使いたいもんだね。
「そう」
 長門の口からテープを逆回しにしたような声が漏れる。
「これでいい」
「何も変わっていないように思えるんだが」
「これを」
 そう言って長門は自分の頭を指差す。
「綺麗な髪だな」
「……その上」
 頭の上には『長門ゆうき』と文字が浮いてる。
「これがそうなのか?」
「そう」
 これがあれば、性別が違ってもわたしが相手を間違えることはない。
「で、名前の下に見えている数字はなんだ?」
「わたしの寿命。情報統合思念体の目には相手の寿命を知る能力もある」
「見えなくていい、そんなもん」