やみなべ祀新刊 カガミノオト
『おはよう、リン』
毎朝私を起こすレンの声。深い水の底から私を引き上げてくれる声。夢と現実の境目から、私が誰なのか教えてくれる声。私を幸せにしてくれる声。
『おはよう、リン』
私はリン。うん、わかってるよ。
『おはよう、リン』
ぱちりと目を開けて、寝返りと一緒に腕を回して、かちりとスイッチ。何度も何度も繰り返されていた声はあっさりとストップする。
……手が、痛い。
のろのろと体を起こす。うつ伏せになっていた体は重力に負けて片手じゃなかなか起き上がらない。
そっか。
目覚まし時計の上にあった手を離す。片手がここにあったから力が入らなかっただけで、今度はすんなり起きあがる。
腕立て伏せをしているような体勢。背中に覆い被さっていた掛け布団からもぞもぞと抜け出して、私はパソコンをチェックする。
来てる。
着信のマークに私は心が躍る。相手は見なくてもわかっているけど、念のため確認する。
レンからレンに。
私のパソコンには毎日レンからのボイスメッセージが届く。会えなくなってから、ほとんど毎日届いている。
これを聞くのが私にとって一番の楽しみ。今は近くにいないレンと、心が繋がったような気分になるから。
でも、いつ聞けばいいか毎日迷ってしまう。一度聞いたら消えてしまうってわけじゃない。何度も何度も聞き直すけど、やっぱり最初に聞く時が一番わくわくできる。今日はどんな話をしてくれるのかな、って思いながら聞くことができる。
でも、結局いつもすぐに再生してしまう。私は、レンのメッセージを聞かないでおくほど我慢強くはないから。
『やあリン、また朝に聞いてるのかい?』
再生するとヘッドフォンからレンの声が聞こえてきた。レンはいつもお見通しだ。
私たちにとって話している内容はあんまり重要じゃない。私は、レンの声が聞こえるだけで嬉しくなってしまう。
『リンに教えてもらった映画、僕も見たよ。リンが勧めてくれる映画はいつも面白いね』
教えてよかった。レンはここが面白かったここが感動したと、具体的にどう思ったのか教えてくれる。それは、私と同じ感想だ。
私たちは子供の頃からそうだった。好きな映画も好きな漫画も一緒。小さい頃は一つのオモチャを取り合ってケンカをしたこともあるけど、いつも最後にはレンは私にそれを譲ってくれたっけ。
「男の子は女の子に思いやりを持たないといけないんだぞ」
二人きりの時にカイト兄さんがレンにそう言っていた。
レンはそれを守ってどんな時でも私のことを考えていてくれた。私たちはいつも二人だった。双子の私たちは家族の中でも一緒にいる時間が特に長くて、レンはいつでも私を守ってくれていた。
『そういえば、前にリンが見たがっていたあの映画もそろそろDVDになるよね』
レンの言う映画が何のことか私はすぐにわかった。半年くらい前かな、テレビでコマーシャルを見て気になった映画があった。ボイスメッセージで何回かその話をしたことがある。
私たちは映画館に行くことがほとんどない。いつもDVDやテレビで見てばかり。
予告編を見た時は楽しそうだったのに、実際に見てみるとあんまり面白くない映画がけっこうある。あの映画はどうだろう?
『もし先に見たら感想を教えてよ。それで、僕も見るか決めるから』
私とレンは同じ。私が面白いと感じるものをレンが面白いと感じるのは当たり前だし、レンが面白くないと感じるものは私にとって面白くないものだ。つまらないなら、どっちか片方だけが見ればいい。
『桜が咲いてるね』
満開の桜の中を歩くレンの姿を想像する。にこにこ笑って、楽しそうなレンの顔。
二人で手を繋いでその桜の下を歩きたい。かなわない想いに胸がずきりと痛む。楽しそうに話すレンの言葉が頭の中を素通りする。
私がこんな気分なの、レンはわかっているのかな?
私たち二人が少しだけ違うところがあるとすれば、それはお互いに対する気持ちなのかも知れない。
会えなくて私はこんなに辛いのに、レンは大丈夫なの?
リンとレンは同じだけど違う。
違うのかな?
私の勘違いかも知れない。私は態度に出さないようにしているから、レンが私と同じでもおかしくない。
本当の心を隠している私。本当の心を隠しているかも知れないレン。
やっぱり一緒かも。
『それじゃあ、今日はそろそろ終わりっ』
途中から、私はぼうっとしてしまっていた。せっかくのレンからのボイスメッセージなのに。
『また明日ね』
ぷつんと切れた。
ヘッドフォンからはもうレンの声は聞こえない。何回か、切れたような音を出した後に『なんてね』と話を続けてくれたこともあったけど、レンは下手だから本当に切れた時とは全然違う音しか作れなくて、最初の一回しか私を騙すことはできなかった。
レンからのメッセージは本当に終わってしまったけど、途中で考え事をしてしまったからちゃんと聞けなかった。
朝ご飯を食べながら私はもう一度それを再生する。楽しそうなレンの声を聞くのは私にとって一番の喜びだから。