今日の長門有希SS
部室で過ごす時間は朝比奈さんの淹れてくれたお茶をすすりながら古泉をあらゆるゲームで負かすのが恒例となっているが、今日はいつもと少し違っていた。
いや、古泉が弱いのはいつも通りである。違うのは、カップに入って湯気と共に香りを放っている黒い液体だ。
今まで部室でコーヒーを飲んだことがまったくなかったとは断言できないが、紅茶や日本茶の割合が圧倒的に多い。
「豆を少しお裾分けしていただいたんです」
楽しそうな様子の朝比奈さんが微笑む。もらった豆を自分だけで楽しむことはなく、わざわざそれをフィルタを使ってじっくり落とし、俺たちにも振る舞ってくれたわけだ。
「いい香りですね。さぞやいい豆なのでしょう」
キザったらしく古泉が朝比奈さんに向かって笑みを浮かべる。不本意ではあるのだが、カップを持って浮かべるそのニヤケ面が妙にさまになっているように見えて、それがやけに腹立たしい。
「確か、ブルーマウンテンだそうです」
その銘柄は一応俺も知っている。まあ、名前を知っているだけでどのようなコーヒー豆なのかという知識は全くない。こんな時は、解説が好きそうなやつに任せておけばいい。
「ブルーマウンテンは高価なコーヒー豆ですね。日本では一キロあたり数万円で取り引きされています」
ほらな。
しかし、そんなにいい豆なら砂糖やミルクを入れずにそのまま味わったほうがよかっただろうか。なんとなくもったいない気がしてならない。
「ブルーマウンテンって、何?」
ハルヒが妙な質問をする。
「コーヒー豆の種類だ」
「そんなのは知ってるわよ。そうじゃなくて、ブルーマウンテンはどうしてブルーマウンテンって名前なのかしら?」
そんなことを言ったら、コーヒーがなぜコーヒーなのかって疑問だって生じてしまうぞ。ブルーマウンテンって名前になったのもそれほど意味はないと思うが。
古泉に顔を向けると、張り付いた笑みで首を横に傾けた。妙な知識をひけらかすことが多いくせに、今回は役に立たないのか。
「ブルーマウンテンは、ジャマイカにあるブルーマウンテン山脈で収穫されたコーヒー豆に付けられる名前。高額なのは生産量が少ないため」
ぼそりと長門がハルヒの疑問に答える。あまり長門に頼りっぱなしなのもよろしくはないが、やっぱり頼りになるなと感心する。
なるほど、地名だったのか。日本なら青山って名前の山があるみたいなものだから、そんな単純な地名はないかと思ったのだが。
「小学校の頃だったかしら」
ぽつりぽつりとハルヒが話し始める。
「テレビでね、なんかタレントが山に登っていたのよ。番組自体は大して面白くなかったんだけど、最後に飲んでたコーヒーが子供ながらにすっごく美味しそうに見えたわ」
なんとなく妙な風向きになってきた気がする。
「その番組が、キリマンジャロでキリマンジャロコーヒーを飲むって企画だったんだけど……ねえ、その豆、まだ残ってるかしら?」
「えっと……あの、もう、今使っただけで全部で……」
「まあないなら仕方ないわ。それじゃ、残ってる分だけでも水筒に」
ハルヒが言い終わるより早く、長門はコーヒー数杯分の入ったガラス容器を持つとぐびぐびとそれを喉に流し込む。
「ちょっと有希! そんな風に飲んだら火傷するわよ!」
ジャマイカに連れて行かれるよりはましだと判断したのだろう。俺だって海外に飛ばされるよりはコーヒー一気飲みを選ぶさ。
「飲みたかったから」
「それなら仕方ないけど……そのまま飲むのはきつかったんじゃないの?」
確かにこのコーヒーは少々味が濃かった。苦みもあったし、そもそも温度が高かったはずだ。
「大丈夫」
ちらりと俺の方に顔を向ける。
「苦くて熱い液体を飲むのは慣れているから」
その後のことは覚えていない。