今日の長門有希SS

 3/29の続きです。


「あ、もうちょっと待って下さい」
 ノックの音に対し、着替え中の朝比奈さんは振り返る事もなくそう答えた。
「了解しました」
 と、くぐもった男の声が聞こえる。ノックの主はどうやら古泉のようで、長門ハルヒと違って少しだけ延命したような気がする。つーか、そもそもその二人ならノックをしないで開けているだろうが。
 さて、困った。今考えてみれば、誰も来ないうちにさっさと部室から出てしまって、長門に「一度部室に来たけど忘れ物を取りに教室に戻った」との言い訳をしてもらえば良かったような気がするが、ノックをした後で便所にでも行っていない限り廊下の外には古泉が待機しているのでそれも不可能だ。
 どこかに隠れようにも掃除用具入れなどに入ろうとしても音が鳴って朝比奈さんに勘付かれてしまうだろうし、よしんば無音で入れたとしても先程ドアを開ける物音がしたのに部室の中に誰もいないと気付いたら朝比奈さんはやはり怪しまれるだろう。
 となると、このまま堂々と居座っても怪しまれない方法……いや、そんなもんがあるはずがない。最初の時点で謝っていれば良かったのだが、気が動転していたとは言え部室の中に入ってしまった時点で対処法など無いのだ。ノックもせずに朝比奈さんが着替えている最中の部室に入って来られるのは長門ハルヒくらいなのだから。
 そう、俺が長門だったらいい。このSOS団では不思議な事が日常茶飯事であり、俺と長門の中身が入れ替わったとしてもそれほど不思議ではない。特に今回はここにいるのが朝比奈さんと古泉だけであり、俺が「自分は長門だ」と言い張れば古泉あたりがもっともらしく理由を説明してくれるだろう。そして、ハルヒに気付かれないようにとうまいこと画策してくれるだろう。
 俺は本棚から適当に一冊の本を取りだし、長門がよく座っている場所に腰掛けて本を開く。
 文字がびっしりと記されたその本は眺めているだけで頭がクラクラしそうだ。読む必要はないのだが、読んでいるふりはしなければいけないので、それなりに文字を目で追わなければいけない。
 後はこれで朝比奈さんが気付くのを待てばいい。気付かずにドアを開けてしまったとしても古泉が俺の存在に気付くだろう。そこで何か聞かれたら俺は不思議そうに首を傾けてから、初めて気付いたように体が入れ替わっている事を伝えれば良い。
 さて、問題は長門である。ここに長門が来てしまえばこの計画も破綻するのだが、そいつはこの携帯電話を使えばどうにかなる。長門にメールを送り、今日は部室に来ないで先に帰るように頼めば良いのだ。理由は活動時間が終わるまで考えておけばいい。
 長門が来ないとハルヒが不審に思うかも知れないが、そこら辺は古泉がうまい事説明してくれるだろう。何しろ長門の中身が俺だと思いこんでいるのだから。
 さて、取り敢えず長門に連絡だ。朝比奈さんが着替えを終わらせるまでの時間に終わらせなければいけない。チラリと見るともう少しで終わりそうなので、急いでメールを打たなければ――
「あら、みくるちゃんが着替えてんの?」
 と、ドアの向こうでそんな声が聞こえた。
 まずい、あの声はハルヒだ。古泉と何やらドアの向こうで会話しているようだが、あいつが入ってくるのは時間の問題だ。
 何より、ハルヒが入ってくるというのはまずい。俺の計画では朝比奈さんと古泉に最初に説明しなければならず、ハルヒに俺と長門の中身が入れ替わったなどと言っても信じてくれるはずがない。仮に信じてくれたとしたら、そこら中でコロコロと中身が入れ替わる人間が当たり前の世界になってしまう。
 携帯が俺の手から滑り落ちた。椅子に座ったまま伸ばした手が震えている。携帯に触れたものの、俺はそれを掴む事が出来ずに床を滑った。
 その携帯が、コツンと誰かの上履きに当たる。顔を上げるとそこにいたのは長門であり、長門はその携帯を持ち上げると親指だけで残像が見えるようなスピードでボタンを押す。
 いつの間にいたのか、と問いかけようとしたその時、俺の視界は誰かの手によって塞がれた。