穴埋め小説「ムービーパラダイス」51

「あ、あのぉ……」
 何か言いたげなさくらを無視して、俺は思案する。
 さくらは俺の股間を見て顔を赤らめており、表情を強ばらせる。そしてそれが『だめ、お兄ちゃん』という表情に近づけている要素となった。
 それはつまり、この表情が股間を見ることによって生じるという証明なのだろうか。今まで拒否&非拒否の狭間で揺れるからこそ生まれたとされていた妹の顔が、性欲という至極簡単な理由で生じていたとさくらの表情が物語る。
 と言うことは、照れて拒否している妹というのは、実は兄の股間を凝視してその先の展開を期待するが故、その表情を生み出していたという。
「謎は全て解けた!」「そうだったのかキバヤシ!」
 マガジンが誇った旧看板漫画のような反応をする俺。今は誇っていない漫画だ。今で言うところの――
「謎よ、深まれ」
 深まっても困る。
 ともかく、妹が恥じらうというような光景というのは、実は性的興奮を覚えているという表情なのである。
 この表情をもっと活用できないだろうか。顔を赤らめ俺の股間を凝視している姿というのは素晴らしいのだが、いまいちリアリティに欠ける。確かに妹によからぬ情欲を抱いていれば己の股間を凝視している事に気づかないと言う可能性もあるが、気付かれる恐れがありながら凝視するとは考えにくい。
 いや、敢えてそれを気付かせて肉欲の宴に誘おうとする妹も存在する事は確かである。しかし、そのような小悪魔的妹も良いのだが、和服を着るような古き良き日本の文化では、あたかもアメリカのようなフリーセックス精神よりも、慎ましげな妹が葛藤の果てに兄と禁断の果実を手にする方が良いとされている。
 まあ、そうなってしまえばどちらの文化も肉欲フェスティバルであるのだが、そこはそれ。たとえたどり着く結果が同じだとしてもそこに至る過程がその行為の質を変える。例えばアメリカ合衆国に旅をするにしても、飛行機で行くのと豪華客船で行くのではその感動が違う。それに、船旅ならば途中で船上のラブロマンスの可能性もあり、沈没の可能性すらあるのだ。
 つまり、このように直接的な肉欲を感じさせる妹は不適切であり不的確であり不合格だ。もっと慎ましやかな雰囲気を纏い、それでいて性的魅力や背徳感などを呼び起こさなくてはならない。
 これは難しい。目線一つでそこに生じる物語が120度も違うのだ。他の要素も重要なのだが、目は口ほどにものを言う。
 それほど視線というものは重要である。重要なので、慎重に決定したい。
「あ、あの……」
 さくらは俺の股間を凝視したまま困ったような声を出す。
 嗚呼その姿のなんと萌える事か。MK5! MK5! マジで恋する5秒前!
 だが、ここで負けてはいけない。にやにやと笑いながらネクタイを片手でゆるめ、危うくこの場に押し倒して乱暴したい衝動に襲われたが、物語を完成させずに手を出すのは、海に向かい川を下っている最中の鮭を釣って寿司を握るような蛮行。
「あ……」
 さくらの表情が一気に真っ赤になる。薄紅色の着物にその顔色は反則である。
 事態を把握するため、さくらの視線の先を探る。まあ探るまでもなく俺の股間に行き着くのだが、そこでさくらの表情を一変させるような一つの変化が生じている事に俺は気がついた。
「む」
 俺の股間ははち切れんばかりにいきりたっている。そして、それはズボンを通していても、まるでズボンが無いかの如くわかるほどである。