今日の長門有希SS

 続き物なのでこちらから見てください


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 部屋の中は真っ暗だった。
長門?」
 呼び掛けるが返事が無い。靴を脱ぎ、廊下の電気を点けながら中に入る。
 たった一日ぶりだと言うのにここに来るのも妙に久々に感じる。今日は一日中、長門を捜し回って街を徘徊していたせいだろう。
 がらんとしているのは、元々家具が無かったからだ。玄関に靴は……あったような気もするし無かったような気もする。今さら戻って確認するよりも、リビングに行けばわかるだろう。
「……」
 扉の前で俺は躊躇する。朝倉が消えた時、部屋から家具が無くなっていたと管理人に聞いた覚えがある。もしそんな風に、この中も空っぽになっていたら……
 いや、今さらここで悩んでいても仕方ない。何も変わっていない事を祈るだけだ。
 俺は意を決して、扉を開く。


 窓から入る月の光が、下着姿でうつぶせに倒れている長門を照らしていた。


長門!」
 とてもただ寝ているという雰囲気ではない。俺は部屋の中央で倒れている長門に駆け寄って、その体を抱きかかえた。
「……」
 カクンと首が折れる。
 まさか、そんな……
 いや、耳を近付けると微かに呼吸があった。胸に手をあてると鼓動も感じられる。それに、長門の体は、温かい。
「おい、しっかりしてくれ!」
 だが、いくら呼び掛けても反応がない。
 くそ……やっとお前に会えたってのに、どうしてこんな事に……
 その時、俺の脳裏に一つの考えが閃いた。あまりにも陳腐な方法。しかし、今はそれに賭けてみようと思った。
「……」
 抱き寄せて、俺は唇を重ねた。
 おとぎ話ならそこで目を覚ますのだろうが、長門のまぶたは固く閉じたままだ。
 どうしたら目を覚ましてくれるのだろうかと途方に暮れていると、ごそりという物音が後ろから聞こえた。
 振り返り、俺はその人物と目が合った。
「ねえキョンくん、その女、誰?」
 朝倉の裸身がそこにあった。足下にはバスタオルが落ちている。
「な……なんで、お前がここに……」
「だってキョンくん、様子がおかしかったから。お風呂に戻ろうと思ったけど、やっぱり気になって、せめて帰るところまで見送ろうと思ったら、キョンくん、エレベーターで上の階に行ってるから、だからね、わたし、すぐに同じ階に行こうって、来たらね、あなたが、鍵を使って、知らない女の部屋に、入って……キス、して」
 朝倉の様子がおかしい。逆光になって表情がわからないが、見えていなくて良かったんじゃないかという気がする。
「ねえキョンくん、その女、誰なの? わたしに浮気してるか聞いたのに、浮気してたのはあなたなの? ねえ、誰なの? キョンくんの本当の恋人なの?」
 俺は何も答えることが出来なかった。
 長門が恋人かという朝倉の指摘は当たっている。間違っているのは、朝倉が恋人だという事実なのだ。
 そんな事が言えるような状態ではない。
「そっか、だから上手かったんだね。半年前に付き合い始めた時はいろんな人にリサーチして誰とも付き合ってないってわかってたから、それから浮気してその女に手を出したのかな? わかった、その女で練習してから、わたしを抱いてくれたんだね」
 朝倉は、くすくすと笑い始めた。
「うん、そっか、それならいいよ。わたしのために頑張ってくれたんだよね。でも、もうその女はいらないよね。もう練習しなくていいんだもん。だから――」
 トン、と音が聞こえた。
「その女を殺してもいいよね?」
 朝倉は何かを振り上げて、飛び掛かってくる。俺が逃げれば、まだ意識のない長門を本当に殺してしまいそうな剣幕だ。
 咄嗟に、俺は足下にあった何かを振り上げた。
 ガチャンと金属が擦れるような音が響く。
キョンくん、どうして……?」
 朝倉は泣きそうな目をして、
「そっちが本命になっちゃったの?」
 口元は嗤っていた。
 朝倉はギリギリと体重をかけて力を込めて来る。振り下ろして来た朝倉と、それを下から受けた俺では、朝倉の方が有利な体勢だ。
 しかし、この朝倉には妙な力は無いようだ。一般の女子高生並なのだろう。
 そうでなければ、既に俺か長門の首が飛んでいてもおかしくないのだ。
「きゃっ」
 空いていた左手で鳩尾のあたりを押すと、朝倉はどてっと無様な音を立てて尻餅をついた。
「痛いよ……」
 片手をついて、ゆっくりと立ち上がろうとしている。
 俺はどうすりゃいい? とりあえずは、長門を連れてここから逃げ出すのが一番だが、出口の方には朝倉がいる。逃げるためには、朝倉が持っている武器をどうにかしなけりゃいけない。
キョンくん、邪魔しないで。じゃないとあなたを傷つけちゃうかも知れないよ。わたし、あなたを殺したくないよ……」
 のろのろと立ち上がり、手に持った武器を振り上げて近付いてくる。
「いやだいやだ、キョンくんを殺したくないよぉ」
 再び振り下ろしてきた武器を俺はまた受け止める。先程の再現だ。
 しかし今回は、違った。
 ブツンと音がして、朝倉がバランスを崩して倒れ込んできた。
「え?」
 朝倉は自分の手元を見ている。その一瞬で俺は自分の手にあった武器を投げ捨て、タックルをするように朝倉の体にしがみつく。
 ドタリという音が響く。勢い余って、俺は朝倉の体を押し倒してしまっていた。
キョンくんどいてよぉ! あの女を殺すのぉ!」
 俺の胸をぽかぽかと叩きながらだだっ子のようにバタバタと暴れる。妙な力が無くて、本当に助かった。
「あ、れ――」
 ふと朝倉の動きが止まった。糸が切れた人形のように、脱力して床に倒れ込んだ。
 一体、どういう事なんだ?
 そのまま動かなくなった朝倉を見ていると突然携帯電話が鳴った。
 ディスプレイには、あのメールと同じ名前が表示されている。しばらく躊躇してから、俺は通話ボタンを押した。
「あんたは一体誰なんだ?」
 そして俺は、その名前を呼ぶ。
「ジグソウ」
 すると受話器の向こうから「ふふっ」と笑い声が聞こえた。
「おめでとうございます、ゲームクリアです。条件はクリアしました」
 聞き慣れた声に、俺は頭をかかえる。
「何やってくれてるんですか、喜緑さん」
「ゲームです。ちょっとした気晴らしですよ」
 気晴らしで殺し合いにまで発展させないでくださいよ。つーか、朝倉と長門を元に戻してください。
「かしこまりました」
 その瞬間、携帯がずっしりと重くなる。思わず携帯を床に落とすと、ディスプレイの中からにゅるりと喜緑さんが登場した。
 今さら驚かなくなっている自分が悲しいね。
「では、事後処理をしましょう」
 まず、喜緑さんは俺と朝倉が先程武器に使っていたものを拾う。暗くてよくわからなかったが、それは糸ノコだったらしい。それはぐにゃりと姿を変え、何やらコインのようなものに変化する。
「あとは二人ですね」
 あなたは一体、この二人に何をしたんですか?
「交際していたという記憶を一時的に植え付けたのと、ただ眠ってもらっていただけですよ」
 実のところ、狂っていたのは朝倉の頭の中だけだったというわけか。俺が妙な夢を見て目を覚ましたのは、あの時に眠っている俺を朝倉の部屋に移動させたからなのだろう。
「ちょっと二人を椅子に座らせてもらえますか?」
 言われた通り、俺は二人を座らせる。
 喜緑さんは、ぱちんと手を叩き、
「はい、これから三つ数えると目を覚ましますが、体は動きません。三・二・一……はい!」
 それで、二人は目を開ける。
 ……催眠術?


 その後のことを少しだけ語ろう。
 丸一日ほど振り回されたわけだが、喜緑さんが催眠術を解いてこの騒動に終止符が打たれる事になった。
 朝倉の記憶を消そうとして一緒に長門の記憶を消したり、長門の記憶を戻そうとして一緒に朝倉にもまた俺と付き合っていたという偽記憶を復活させてしまったりはしたのだが、しばらくして別々に催眠術をかけることで二人とも元に戻る事になった。
 ちなみに元に戻った朝倉は、自分が全裸である事に気付き「キョンくんのエッチ!」と刺そうとした。俺が悪いわけではないのだから、文句なら喜緑さんに言って欲しい。
「ところで、他の人に電話をしようとしたらどうするつもりだったんですか?」
 喜緑さんはニコリと笑って。
「そのために携帯に忍び込んでいたんです」
 最悪、破壊される事もあり得たのかも知れない。電話しなくて良かったのは間違いない。


「二人で一晩過ごしたの?」
 と、二人が帰った後で長門につねられた。とは言うが、寝ている間に朝倉の部屋に運搬されたのだから不可抗力だ。
「夜中に目が覚めた時に気が付くべき」
 拗ねたように俺の顔を見る。長門にとっては、あの時点で一緒に寝ているのが別人だと気付かないで眠ってしまったところでアウトらしい。
「ゲームオーバー」
 そう言って、ぷいっと顔を横に向けた。


長門有希SAW失 完】