今日の長門有希SS
続き物なのでこちらから見てください
『ゲームスタート。最終期限・一日後』
メールの文面は、そのような簡素極まりないものだった。それ以上のヒントは何もなく、何かがその時間に始められた事だけがわかった。
差出人はよくわからない。この条項を仕掛けた奴か、それとも……
着信した時間をもう一度確認する。午前四時二十三分。今が午後八時をまわったところ。
メールを信じるならば、残った時間はおよそ八時間。
「く……」
もっと早くこのメールに気付いていれば良かった。朝倉の部屋を出てからいつも長門と行っていたスーパーや一緒に歩いた道、一緒に行った公園など色々な場所を回ったが長門の姿が見つからなかった。探し始めたのが昼前だったから、あの時に気付いていれば猶予が今の倍ほどあったわけだ。
いや、今さら嘆いても仕方がない。その時にこのメールに気付いていたとしても、長門を探し回っていただろう。それならば、タイムリミットを認識したのがどの時間であっても大差ない。
ともかく、あと八時間以内に長門を見付けなければならない。メールにはゲームが始まったとしか書かれていないが、恐らくはそう言う事なのだろう。
「キョンくーん、ご飯食べた?」
トントンとノックの音が聞こえ、妹の声がドアの外から聞こえた。普段なら有無を言わさず部屋に入ってくるのだが、気を遣っているようだ。
妹に言われ、俺は朝倉の部屋を出てから何も食っていなかった事に気が付いた。食欲は無いが、何か腹に入れておかないと途中でぶっ倒れるかも知れない。
「いや、まだだ」
飯を食って体力を付けてから探そう。決意して、部屋を出る。
「キョンくん、お風呂入る?」
飯を食ったところで妹に問いかけられる。
「ちょっと、これからまた出かけてくる。捜し物があるんだ」
「大切なもの?」
「そうだな」
妹はしばし神妙な顔をしていたが、
「頑張ってね」
と笑いかけてきた。
ふと、妹と遊んでやっていた長門の姿が思い出される。こいつは長門の事を気に入っていたし、長門だってそんな妹に対して好意を持っていたはずだ。
二人の関係は、俺から見てもまるで仲の良い姉妹のように感じられる事があった。出来ることならば、再びそんな光景を見たい。
「必ず見付けてくる」
そう、宣言した。
学校のフェンスをよじ登りながら、俺は昼間の内に探しておくべきだったと後悔した。休日でも部活動の生徒などのために学校は空いているので、その時間に来ていればこんな苦労はしなくて済んだはずだ。
しかも、学校が閉まってしまうと校内ではセキュリティシステムが働いているはずだ。迂闊に入ればセンサーが作動して、警察が駆けつける事になりかねない。そもそも鍵も持っていないし、開ける術もない。
だから俺は、校舎の中には入らずにぐるりと回る。
「いないか……」
当然のように電気は点いていない。さすがに部室の中は確認できないので、俺は諦めて帰る事にする。
もしかしたらと思っていたが、ここにもいないとなるともう思いつく場所がない。俺はまた、当てずっぽうに探すしかないのか?
いや、深夜になって街を徘徊していれば補導される恐れもある。そうなれば長門を見付けるのは絶望的になる。
携帯で時間を確認。確実にタイムリミットは迫っている。
そもそも、一日後というのが着信した時間とは限らない。今日中という可能性も否定できない。
何にせよ、もう無駄な時間を使う事は出来ない。一体誰なんだ、このゲームとやらを仕掛けたのは。
ゲーム、か。
俺はふとコンピューターゲームのRPGを思いだした。お使いのように言われた事をこなしながら、レベルを上げて目標を達成するゲーム。
不本意ながらもしこれがゲームならば、既に俺はヒントを得ているはずだ。ヒントがないゲームを設計する奴なんて相当おかしな奴だ。
目が覚めた時点で朝倉の部屋にいたところからゲームが始まっているのだろう。それがそもそもおかしいのだ。昨夜、俺はどこで寝たのか? ああ、相も変わらず長門の部屋だ。だと言うのに、朝倉の部屋に移動していた。
それならば、鍵はむしろ長門ではなく朝倉なのかも知れない。最終目的が長門なのは間違いないが、現時点では朝倉の方を優先すべきなのだろう。
俺はまだ、朝倉から十分に情報を得ていないのかも知れない。
こんな時間に部屋を訪れたら朝倉はどう思うだろうか? しかし、そんな事はもう言っていられない。
時計は十時を過ぎた。
朝倉の部屋の前に来た俺は、とりあえずチャイムを鳴らす。
「……」
返答が無い。チャイムの音はドアの外まで聞こえているから、鳴っていないわけではない。
まだ眠るにはちょっと早いだろう。もしかしたら朝倉は早寝早起きなのかも知れないが、起こしてでも話を聞きたい。
しかし、何度チャイムを鳴らしても出てこない。そうだ、携帯だ。そもそもここまで来なくても良かったはずだ。俺は携帯を取ろうとポケットに手を入れて――何か小さな物に触れた。
鍵だ。
使うことがないと思っていたが、俺は朝倉から鍵を預かっていた。これがあれば部屋に入る事が出来る。もし部屋にいなければ、それから電話すればいい。
俺は鍵穴にそれをさし込んで、ぐるりと――
「え?」
鍵が回らない。いや、そもそも途中で引っかかるようで、ちゃんと奥まで届いていないようだ。
どういう事だ?
ドアの向こうからパタパタと足音が聞こえ、ガチャガチャと物音が聞こえた。
「キョンくん、どうしたの?」
バスタオルを巻いた朝倉が立っていた。髪はぐっしょりと濡れていて、風呂の途中だった事がわかった。
「こんな時間にすまん。どうしてもお前に聞きたい事があったんだ」
「え?」
戸惑うような表情を浮かべる。
「何でもいい、隠している事……いや、俺に何か言っていない事はないか?」
「どういう事?」
朝倉は怪訝な顔から、徐々に泣きそうな、困ったような顔へ。
「もしかして、わたしが浮気とかしてるとか……思ってるの?」
などと、的はずれな事を口にした。
その時点で、どうやら俺の考えが外れていたと理解した。
「わたし……キョンくんには隠し事をしてないつもりだよ? 何か……わたしの態度に悪いところがあったの?」
と、俺の胸にすがりついてくる。
朝倉は何も知らない。これ以上こいつから何かを聞き出そうとするのは、ただ傷つけるだけだろう。
「悪い、俺の勘違いだ。お前は何も悪くない」
朝倉の体を離し、頭を下げる。
「……」
しばらく朝倉は黙って俺を見つめてから、くしゅんと小さなくしゃみをした。
「湯冷めしたら風邪引くぞ。戻ってくれ」
「うん……じゃあ、ね……」
名残惜しそうに、朝倉はドアを閉じる。
閉まったドアには、鍵が――
そうだ、これについて聞くのを忘れていた。だが、今さら聞くのも無理だし、恐らく朝倉は知らないだろう。
回らない鍵。どうやら俺は、最初から重要なアイテムを手に入れていたらしい。朝倉から受け取るべきヒントは、恐らくこれが全てだったのだろう。
ならば、後はこれを使うだけだ。
どこの鍵か。恐らくは考える必要が無いだろう。鍵の形を確認し、俺はそれが見慣れたものである事にすぐに気が付いた。
そもそも、受け取った時点で気付くべきだったのだろう。そうでなければ、もらったその日の内に合い鍵を使うシチュエーションなど普通は起こりえない。今回は運が良かっただけだ。
何と意地の悪いゲームなのだろう。
俺はそう考えながら、エレベーターで二つ上の階に移動し、見慣れた廊下を歩く。
そして俺は、長門の部屋の扉に鍵を差し込み、ぐるりと回す。
かちゃん、と音が聞こえた。