今日の長門有希SS
放課後は例によって長門の部屋へ。付き合い始めた当初はこれほどの頻度で無かったような気がするが、今となっては長門の部屋に行かない日の方が少ないくらいである。
中学時代の俺が今の生活を知ったらどう思うだろうね。羨ましいと思うか、堕落していると呆れるか。どちらかというと、後者の気がするな。長門と交際するようになってすっかり変わったが、以前はそんな性格だった。
材料を買ってきて、さてこれから夕飯を作ろうという段になり、チャイムの音が響いた。こんな時間の来客は珍しい。
買ってきた物の整理を長門に任せて俺は玄関に向かう。とりあえず、新聞や宗教の勧誘だったら帰ってもらうことにしよう。
ドアを開けると、
「トリック・オア・トリート!」
カボチャの化け物が立っていた。それも二体。
両目がつり上がり、口が左右に裂け、そして中には蝋燭。オレンジではなく緑色なのは妥協の産物だろう。その下には黒い布。
ちなみに、先程の声はその口の少々下の、布のあたりから聞こえたような気がする。女性の可愛らしい声がだ。
「一体、何のつもりですか?」
「トリック・オア・トリート!」
こちらのお方はジャック・オ・ランタンのキャラを崩すつもりはないらしい。やれやれ、もう片方の、コミカルな方に聞くしかあるまい。
「眉毛、何やってるんだ?」
「トリック・オア――え? ちょっとキョンくん、眉毛ってひどいよ!」
プリプリと怒りながらばさりと布を脱ぎ捨てたのは、予想通り朝倉だ。
「わたし、そんなあだ名で呼ばれるほど眉毛太いかな……」
思った以上に傷ついたらしい。
「そのカボチャのせいだ」
「え?」
朝倉は持っていたカボチャを自分の方に向け、
「ちょっ、ちょっとこれどうして!?」
ああ、やはり本人は知らなかったのか。朝倉が頭に載せていた方のカボチャは、もう一人のお方のカボチャとは違い、眉毛があった。いや、朝倉はツリ目のつもりで作っている部分の下に丸い穴が開いているため、本来は目である部分がぶっとい眉毛になってしまっているのだ。おかげで印象がかなりコミカルになっている。
しかし、どうしてもこうしても、その犯人は一人しかいないだろう。
「もう……なんでこんな事するの?」
「トリック・オア・トリートですよ」
言いながらばさりと布を脱ぎ捨て、ニコリと笑ったのは予想通り喜緑さんだ。
「お菓子をくれないとイタズラするんです」
しかし、何もそれを身内にまで適応する事はなかろうに。
「トリック・オア・トリート」
喜緑さんは顔の前にカボチャを持ち、俺の方ににじり寄ってくる。
すいません、お菓子は用意していないんですよ。こんなイベントがあるなんて忘れてましたから。
「それはいけませんね……もしかして、イタズラされたかったんですか?」
「え……キョンくん、あたし達にイタズラ……そうだったんだ?」
こら、そこでポッと顔を赤らめるな朝倉。別にお前達にイタズラされる気も無いしする気もない。
「それでは仕方ありませんね。イタズラが駄目なら、おもてなしをしてもらわなければ」
喜緑さんは布の中からゴソゴソとスーパーの袋を取り出す。なかなか大きな袋だが、それは一体。
「中身です」
袋の中には、黄色いカボチャの中身が二つ入っていた。
「わたし達だけじゃ食べきれないから、キョンくんと長門さんに何か作ってもらおうかと思って」
朝倉がぺろりと舌を出す。最初から、これが目的だったという事か。
作らないって言ったらどうするんだ?
朝倉はニコリと笑って、
「長門さーん、キョンくんがわたし達にイタズラして欲しいって言ってるんだけど、いいかな?」
部屋の中に向かって、大声で叫んでくれた。
俺はその時、近所に聞こえて困るとかそんな事は考えておらず、ただドカドカの足音を立ててこちらに向かってくる部屋の主に対してどう釈明するかだけを考えていた。
それから数分後、俺と長門は台所で料理をしていた。朝倉と喜緑さんはお茶を飲みながら、食卓テーブルでのんびり。気楽なもんだ。
先程買ってきた食材の他に、カボチャが丸ごと二つ。皮だけを綺麗に剥いたかのように、つるんとしている。
って、これは一体、どうやって取り出したんだ? 先程のカボチャを見る限り、皮は穴を開けた以外、ほぼ無傷だったと思うのだが。
「なあ朝倉、このカボチャってどうやって取り出したんだ?」
「え? 普通にくり抜いたんだけど?」
その方法がわからないから問題なのだが……まあ、朝倉なら中身だけ瞬間移動させる事も不可能ではないって事か。
ともかく、飯は何を作るか決めてあるので、後はこのカボチャをどうするかだ。
「何かお菓子的なものが希望です」
などと気楽に言ってくれるのは喜緑さんだ。長門の部屋で料理をする機会が増えてかなり上達はしているが、別にそんな凝ったものを作れるようになったわけではない。ただ、いわゆる家庭料理を作ったり、材料を買うのがうまくなっただけだから。
「大丈夫、わたしがなんとかする」
長門が俺の顔をじっと見ていた。
何か考えがあるのか?
「以前読んだ本にカボチャのプリンとクッキーのレシピがあったから」
それなら安心だ。長門の記憶力ならば、一グラムも間違える事無くその本の通りに再現してくれるだろう。
「それじゃあ、任せたぞ」
頭の上にぽんと手を載せると、
「……任された」
ほんの僅か首を縦に振ったのが、触れている手に感じられた。
「何これ?」
出来た夕飯を食卓に並べていると、朝倉が首を捻った。
朝倉が不思議に思うのも無理はあるまい。なぜなら、朝倉の前に置いた味噌汁だけお椀の上に蓋がしてあるからだ。
先程、カボチャの中身をどう出したのか気になった俺は、一つ試してみる事にした。
「朝倉、この蓋を取らずに中身だけ飲むことが出来るか?」
どこぞの将軍様がとんちの得意な坊さんに出した難題である。俺の記憶が確かなら、その坊さんは「では、冷めてしまったので蓋を閉めたまま中身を入れ替えてください」的な事を言ってその場を切り抜けたはずだ。冷静に考えると、よくそれで将軍様に殺されなかったもんだな。
さて、朝倉はどうするのかと見ていると、
「飲めるよ」
と言うと、蓋をしたままのお椀を顔に近づけ、
「ほれでいい?」
もごもごと口を動かした。まさか、今の一瞬で?
「ちょっと見せてくれ」
俺が近付いて行くと、朝倉は顔を上に向けて口を開けた。
確かに口の中には味噌汁が入っている。侮れない奴だ、朝倉。
「ふふっ」
何やら喜緑さんが笑った。俺が不思議だと思っている事が、他の三人には滑稽に見えるのだろうか。
「あ、笑ってすいません。そうしていると、なんだか口に出した量を確認しているみたいで可笑しくて」
な、何を言ってるんですか、あなたは!
「ゴホッ……ゴホッ」
喜緑さんが妙な事を言うので、朝倉が驚いて咳き込んでいる。少々、食卓に味噌汁を吹き出してしまっている。
「あらあら……多すぎて飲みきれなかったんですか?」
もうやめて下さい、喜緑さん。
突如、ぞくりと妙な寒気を感じる。
「……」
長門が、じっとりとした目で俺を見ていた。
……俺が悪いのか?
まあともかく、微妙にトラブルはあったものの夕食も無事に終了。人数が倍になったので夕飯の量は少なかったが、長門の作ってくれたプリンとクッキーがあるので腹は満たすことができた。
二人が帰った後、忘れていったのか太い眉のジャック・オ・ランタンが、いつまでもニコニコと笑っていた。