今日の長門有希SS

 トラブルを生み出しては竜巻のように俺達を巻き込むハルヒであるが、ここのところ大きな問題を起こすこともなく、俺達は平穏な日常を送ることが出来ている。もちろんそれは良いことであるのだが、なんとなく物足りなさを感じるのはなぜだろうね。
 そんな風に内心で思ってしまったのがいけなかったのだろうか、部室のドアを開けると妙な光景が展開されていた。
「何やってんだ?」
 俺がため息混じりに声をかけたのは、将棋盤を挟んで座る古泉とハルヒハルヒが将棋をやるのはそれほど珍しい事ではないが、ボードゲームにかけてはかなりの弱さを誇る古泉と相対しているのは少々珍しい。
 しかし、問題はそんな事ではなかった。
「普通にやっても面白くないから、試しにやってみてるのよ」
 ハルヒは、将棋盤の上に立ったコマを持ち上げ、古泉の陣地にあったコマを取り、そのマスに移動させる。つまり、ハルヒと古泉はチェスのようにコマを立て、将棋の勝負をしているのだ。
 ハルヒがどうして将棋をやろうなんて思ったのか。それは簡単だ、なんとなく気が向いただけだろう。だから、チェスのようにコマを立てて将棋をやっているのも理由は簡単、なんとなく気が向いただけだろう。
 それ以外は取り立てて妙なところはない。朝比奈さんはメイド服で苦笑しつつ二人の勝負を見守っているし、長門は気にした風もなく本のページをめくっている。
 ハルヒに定位置を占領された俺は、その横の椅子に座って二人の勝負をぼーっと眺める。それで定位置を奪われた朝比奈さんは、俺の前にお茶を置いてからキョロキョロと部室を見回し、ハルヒが普段座っているパソコン前に腰を下ろしてカチカチとマウスを鳴らし始めた。
 勝負は、予想通りだがハルヒが優勢だ。古泉も手を抜いているわけではないのだろうが、この手のものでハルヒと勝負が成立するのは長門くらいだ。あっという間に王将が追いつめられ、
「参りました」
 古泉が頭を下げる。
「やっぱり、コマを立てたくらいじゃ変わらないわね」
 鮮やかに勝利したというのに、ハルヒはなんとなくつまらなそうだった。
 そりゃそうだ、コマを立てたところでルールは何も変えてないしな。今やったのは普通の将棋と大差ないだろ。
「そうよね、あんたの言う通りだわ」
 くるりハルヒがこちらに顔を向ける。
「うん、ルールを変えないと将棋は将棋……それなら、ルールを変えればいいのよね」
 どうやら、俺はハルヒにまた余計な事を吹き込んでしまったらしい。
「SOS団独自の将棋のルールを決めるわよ!」
 やれやれ。


「さあ、なんか案はない?」
 ハルヒがホワイトボードの前に立って俺達を見回している。先ほどまでパソコンをいじっていた朝比奈さんもハルヒに呼ばれ、ハルヒが席を立って空いた俺の定位置に座っている。
 案と言ってもなあ。いつからあるのかわからないが、将棋ってのは大昔から今のルールで遊ばれて来たゲームだ。下手にルールをいじったら面白くなくなるだろう。
「あ、あのぅ」
 朝比奈さんがおずおずと手を上げる。
「みくるちゃん、何か思いついた?」
「あたし、歩ってちょっとかわいそうだと思うんです。もうちょっと強くしてあげたいんですけど……」
 朝比奈さんらしい心温まる意見である。しかしながら、歩を強化してしまうと相当バランスが変わりそうだ。
「そうね……面白そうじゃない」
 しかし、後先考えずに面白そうなものは取り入れるのがハルヒである。ホワイトボードにマーカーで『歩の強化』と書き入れる。
「例えば、いくらでも前に進めるとかいいわね」
 それじゃ香車だろ。いくらなんでもバランスがおかしいと思うぜ。せめて2マスまでとかにしとけ。
「そんなのつまんないわ。まあ、仕方ないから具体的なパワーアップ方法は保留……と」
 ハルヒは『後で考える』と補足。
「他にない?」
「僕も一つ提案があります」
 古泉がスッと片手を上げる。
「王が負けただけで国が滅びるというのはちょっと国として脆弱ではないでしょうか? 実際の戦争ならば、王が命を落としても後継者などが亡き王の意志を継ぐと思うのですが」
 まあ、機関に属している古泉ならではの意見だな。実際、例の青い巨大な奴と戦っているからこそ、組織の戦いというのがわかるのだろう。
「確かにそれも一理あるわね」
 言いながら、ハルヒはホワイトボードに書き入れていく。
 しかし、王が死んでもしなないとなれば、何をもって勝敗を決めるんだ? お互いのコマを全滅させるってんじゃかなり無理があるだろ。
「まあ、これも保留よ」
 具体的な事は後回しにするらしい。やれやれ。
キョン、あんた文句ばっかり言ってないでなんか提案しなさいよね」
 ハルヒが口を尖らせて俺をにらみ付けていた。
 しかし、そうは言われても将棋のルールなんて完成したモンを変えるのは難しい。これ以上、コマを強化してもおかしくなるし。
「それじゃあ、成るって制度をなくしたらどうだ?」
 歩が強化される事になってるんだ。多少のバランスとして全体の弱体化も必要だろ。
「そうね……ま、ちょっとつまらなくなりそうだけど、あんたの意見も入れないと不公平だから取り入れてあげるわ」
 俺はなぜ、意見を強要された上に嫌々承認されてるんだろうな。なんとなく理不尽なものを感じる。
「あとは意見を言ってないのは有希だけよ。何かない?」
「……」
 それまで無言で座っていた長門だが、スッと顔を上げ、
「コマが相手に寝返る制度に疑問を感じる」
 と言うと、再び視線を本に落とす。
「ま、確かにそうね。あたしが大将なら、負けたら恥を忍んで自刃させるわ」
 確かにハルヒならやりかねん。そう考えると、こいつを団長にして戴いている俺達の命は本当に危うい物なのだと実感する。今が戦国時代じゃなくて良かった。
「これで一通りみんな意見を言ったわね」
 しかし、ハルヒは何も案を出していないではないか。俺達だけに意見を出させて、自分だけ意見を言わないってのはどうなんだ?
「これをまとめるのが団長の仕事なのよ! 待ってなさい、明日までにSOS団将棋のルールを作って来てあげるんだから!」
 といってその日は解散。


 その翌日、朝からテンションの高かったハルヒは本当に一日で新ルールを作ってきたらしく、パソコンで打ち直してプリントアウトすると俺達に配った。
 俺達の意見がうまく採り入れられている他、バランスを取るためにハルヒが色々とルールを追加している。この辺の熱意は、褒めてやってもいいかも知れないな。
「じゃあ、とりあえず有希とあたしでやってみるわ」
 まあ、技量を考えると長門とやるのが一番良いだろう。何しろルールを作ったのは元々の技量が高いハルヒであり、そんな奴に俺や朝比奈さんや古泉が太刀打ち出来るはずもない。
 そんなわけでしばらく長門ハルヒが対局している様子を眺める。長門はざっとルールに目を通しただけで覚えたようで、ハルヒの編み出した新ルールをきっちりと活用している。例えば、歩が正面だけでなく斜め前に動けるとか、そういうのだ。
 ちなみに二歩というルールは存在しない。まあ、そんなもんがあったら歩の強化が何の意味もなくなるから、当たり前なのだが。
 しばらく二人の勝負を見ていて、
「ん?」
 ちょっと思い当たるところがあった。これは、もしや……
「なあハルヒ、ちょっと言いにくい事があるんだが、言ってもいいか?」
「なによ? 有希と良い勝負してるんだから、どうでもいい事だったら死刑だからね」
「お前と長門がやってるゲームなんだが、確かに将棋とはちょっと違うルールになっているんだが、どっかで見たことがあるんだよな」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「チェスになってるぞ、それ」
 そう、ハルヒが練りに練った将棋の新ルールは、すっかりチェスになってしまっているのだった。