今日の長門有希SS

 静かな部屋の中で、ばさりというその音が、やけに耳障りだった。
「わたしには有機生命体の性交の概念がよく理解出来ないけど」
 どこかで聞いたような言葉が、しっとりと濡れた唇の隙間から、漏れる。
 体が動かない。
 少しだけ眉を寄せた朝倉の顔が俺の目の前に詰め寄り、
キョンくんは、こういうのが好きなんだよね?」
 片手には刃物。反対の手で、服を開き、
 俺は「それ」を目にして、文字通り、硬直した。


 さて、どうしてこのようになったのか、それを説明するにはどこから話せばいいんだろうな。直接の原因はわかっているが、それを説明するのはややこしいので後回しだ。
 昨夜から長門の部屋に泊まって、夜寝るのが遅かったから昼頃に目覚めて、朝食なのか昼食なのかいまいち分からない飯を眠い目をこすって食って、それからまたのんびりと過ごしていた。座って本を読んでいる長門の後ろに回って突いてみたり、なんとなく手を回してみたり、別に何をするわけでもなく二人の時間を過ごす。このあたりはいつも通りの事であり、そこに問題は何もないはずだ。
 二時くらいに朝倉が手土産片手にやってくる。この時間なら料理じゃなくてお茶菓子あたりだな、とその時の俺は思った。まあ、これも別に珍しい事じゃないしな。
 朝倉が持ってきたのは、饅頭の詰め合わせだった。朝倉は自分の足が太い事を気にしているらしいが、甘い物を食べるのは止められないようだ。
 食べる量としては長門の方が多いのだが、長門はなぜかすっきりとした体型を崩すことがない。少々細すぎる気もするので、多少なら肉が付いても良いと思うんだけどな。
 ともかく、朝倉の手土産を確認した長門がパタパタとお茶の準備をしに行き、
「……」
 戻ってきた。
「どうした?」
「お茶が切れている」
 饅頭を食うのに、お茶が無いのはちょっと厳しいな。いや、お茶じゃなくても飲み物ならなんでもいいんだが。
「買いに行く」
「待った」
 スタスタと長門が出ていこうとするのを引き留める。
 以前、長門が出かけて朝倉と二人きりになった時、迫られた事がある。お茶を買いに行くだけならすぐ帰って来るだろうが、その間に取り返しの付かない事になる可能性は否定できない。
「俺も一緒に買い物に行くぞ。朝倉はどうする?」
 すると朝倉は、アゴに手を当てて少し考えてから、
「いつもお邪魔して悪いから、お茶碗でも洗って待ってるよ」
 そう言えば、昨晩は茶碗を洗う時間がなかったから、昨日からの食器が洗わずに流しに置きっぱなしになっている。アレを洗ってくれれば確かに助かるが、長門はそれでいいか?
「それでいい」
 家主がそう言うのなら、それで問題ないのだろう。俺は長門を連れてマンションから出て、自転車に乗って買い物に向かう。
「ついでに夕飯の分の買い物でもするか?」
 べたりと背中に体を預け、すぐ横にある長門の顔に問いかける。あまり待たせるのも良くないが、ちょっとついでに買う程度ならいいだろ?
「……」
 言葉は返さないが、顔を縦に振るのが感じられた。
 いつものスーパーに到着すると、冷蔵庫に残っているものを思い出しながら、必要になりそうな食材をカゴに放り込んでいく。もちろんお茶も忘れない。
 それほど時間をかけずに買い物を終わらせて、自転車に乗って長門の部屋に帰る。
「あ」
 しばらく走ったところで、長門の口から声が漏れた。
「どうかしたか?」
「あそこで降ろして」
 長門が指を差しているのは家から一番近いコンビニだ。
「わかった」
 ブレーキをかけ、ピタリと停車。
「先に帰って」
「待った」
 それでは、最初に一緒に買い物に来た意味が無いではないか。
「買い忘れなら一緒に行くぞ」
「来ないで」
 しかし、なぜか長門は俺の同行を拒否する。
 どうして、俺が来ると嫌なんだ?
「……」
 長門は、少し困ったように目を伏せている。
「生理用品」
 あ……
「すまん!」
 自転車に飛び乗り、強くペダルを踏む。
 長門だって女の子だ。そう言うものを買うのを見られるのは、あまり好ましくはないだろう。
 俺は自分の軽率さに自己嫌悪しながら自転車を停め、マンションに入り、エレベーターを上がり、合い鍵を使って長門の部屋に入り、スタスタとリビングに行き、
「え――」
 長門との一件で気が動転して存在を忘れていた朝倉の存在を思い出した。朝倉は砥石を使って片手で器用に包丁を研ぎながら、もう片方の手で本のページをめくっていた。
「あれ、キョンくん?」
 本の内容に夢中になっていたのか、朝倉は俺が入ってきたことを気付いていなかったらしい。
 朝倉が夢中になっていた本とは、
「お前、どうしてその本を!」
 それは、俺の秘蔵のエロ本だった。一度は長門に見つかって処分されそうになったものだが、どうにかこうにか弁明することで延命することが出来たもので、現在はこの部屋に置いてある。
 なぜこの部屋にあるのかと言うと大した理由はない。別にその本を参考に何かをするということは、あまり――いや、滅多に無い。
 立ち上がった朝倉の手から、本がするりと落ちる。
 静かな部屋の中で、ばさりというその音が、やけに耳障りだった。
「わたしには有機生命体の性交の概念がよく理解出来ないけど」
 どこかで聞いたような言葉が、しっとりと濡れた唇の隙間から、漏れる。
 体が動かない。
 少しだけ眉を寄せた朝倉の顔が俺の目の前に詰め寄り、
キョンくんは、こういうのが好きなんだよね?」
 片手には刃物。反対の手で、服を開き、
 俺は「それ」を目にして、文字通り、硬直した。


「これ、断面図って言うんだよね?」


 ニコリと笑う朝倉の、内臓が透けて見えていた。肉が半透明になっており、子供を作ったり産んだりする器官――いわゆる子宮やらそのあたり――だけではなく、ドクドクと鼓動する心臓やら、肺やら胃やら腸やらと、つまりは人体標本のような様子だ。
「どう、興奮する?」
「しねえ!」
 あまりにグロテスクな光景に、俺は腰が抜けてへたり込んでしまっていた。
「でも、キョンくんって断面図の漫画にすごく興味があるみたいだよね」
 確かに世の中に断面図ってジャンルは存在するし、それが好きだって人間も間違いなく存在する。それは否定しない。だがな、実際に内臓が見たいかどうかっていうと話は別でな、ぶっちゃけ、見たいのは精液が中に出ている様子だ。つまり、それに関係しない器官まで見たいわけじゃないんだ。だからな、子宮やら膣やらは見えてもいいんだが、それ以外まで見えてしまうとちょっと厳しい。まあ、後ろを使う場合は腸が透けて見えるとやっぱりちょっと興奮したりもするが、別に常にそこまで見たいわけじゃないんだ。だから、つまりお前はちょっと頑張りすぎだ。正直、そこまで見えてしまうとちょっとばかり頑張らなければ俺は勃たない。長門はそのあたりを理解して――いや、なんでもない。
「ふうん」
 朝倉の体の透明度が下がっていき、徐々に不透明になる。わかってくれたか、朝倉。
「あ、そうだ。キョンくん、ここ見て」
 朝倉はそう言って、自分の腹部を指差し、
「わたし、純潔だよ」
 正直、ちょっと反応した。


 その直後、帰ってきた長門にこってりとしぼられたのは言うまでもないよな?