今日の長門有希SS

 いつものように部室で弁当を食い終わり、いつもより少し早めに教室に戻っていると廊下で妙な光景を見かけて足を止めた。まあそこにいるのはよく見知った人物ではあるのだが、少々珍しい取り合わせである。
 ハルヒと朝倉、そこまでは問題ない。俺達の所属する教室の前の廊下であるし、戻ってきてからの朝倉に対するハルヒの態度は入学当初と比較すると比べものにならないほど軟化しており、この二人が談笑していても俺にとって何ら驚くことはなくなっている。
 問題は、もう一人の人物だ。この学年の人ではないため、ここにいる事すら珍しい。
 どういう事かわからず呆然とその様子を見ていると、予鈴が鳴り響いた。その人物は全身を使って大きく手を振ると、小走りにこちらに向かって駆けてきた。
「おやっ、キョンくんじゃないかっ」
 俺に気付いた鶴屋さんは、足を止めてチラリと俺の手元に視線を走らせ、
「うんうん、今日はお弁当日和だねっ」
 などとよくわからぬ事を言って何やら感慨深げに首を振る。
ハルヒ達と何を話していたんですか?」
「それは――内緒っ、なぜならその方が面白いからさっ」
 鶴屋さんは何かイタズラを思いついた子供のような笑みを浮かべている。
 何か企んでいるのだろう。しかしそれは、この人に限っては悪い事を企んでいるわけではないと、俺は無条件に確信している。
「おっと、いけないっ。それじゃあまた後でねっ!」
 チラリと時計に目を走らせ、鶴屋さんはパタパタと靴音を響かせながら再び走り出した。
 廊下を走ってはいけませんよ。まあ、もう視界から消えてしまったわけだが。
 教室に入り、ハルヒの機嫌がいつもより良さそうなのを見て、俺は鶴屋さんの企てた何事かが俺達にとって悪い方向に転がらなければ良いと心の中で祈った。


 放課後、少し遅れて部室に行くと、ここでは見慣れない恰好をした朝比奈さんがいた。
「今日は着替えなくていいって涼宮さんが」
 もはや俺の中で制服姿の方が珍しくなっている朝比奈さんが、そう説明してお茶を淹れてくれた。
 ちなみに現時点でここにいるのは、いつも通り椅子にふんぞり返ってるハルヒと、分厚いハードカバーを定期的にめくっている長門と、制服姿で歩き回っている朝比奈さん。そして、ある意味いるんじゃないかと予想していた鶴屋さんが、朝比奈さんの衣装を物色していた。
 そして俺から遅れる事数分、ドアを開けた古泉は「おや」と少しだけ驚いたような反応を見せてから、
「手短にポーカーでもしましょうか」
 と、トランプを持って俺の前に座った。何かを察知したらしいのは、さすがだと言えよう。
 それから更に数分、少々控えめにノックが聞こえる。そしてドアが開き、予想通りの人物が顔を出した。
「こんにちは。ちょっと迷っちゃった」
 朝倉だ。ハルヒが何か企画する時にたまに呼びつけられるようになった朝倉だが、そう言えばこの部室に来るのは初めてだったか。
「悪かったわね涼子。一緒に来れば良かったかしら」
 確か、朝倉は掃除当番か何かをしていたんだったか。もしハルヒがそれを待って一緒に来ていたとしたら、ハルヒのもてなしとしてはかなりの厚遇だったであろう。
「ところで、今日は何があるんですか?」
 古泉が少々戸惑い気味に口を開く。鶴屋さんがいるのを見て何かがあるのを勘付いていたようだが、さすがに朝倉が来訪するのは予想外だったのだろう。
 しかしまあ、俺にとってもここまでは予想の範疇だが、これ以降は何があるのかわからない。朝倉と鶴屋さんの組み合わせというのは、あまり無いわけだし。
「今日はこのメンバーでカラオケに行くわ!」
 ハルヒが意外と真っ当な宣言をした。カラオケならば、五人で以前にも行った事があるな。
「ちょろっと親戚筋から新しくオープンするお店のチケットをもらってねっ、せっかくだからハルにゃんに進呈したのさっ」
 おかげで昼からハルヒがご機嫌だったわけか。ハルヒの退屈を紛らわせるためには、このように安上がりな方法でも良いらしい。古泉よ、金をかけりゃいいってもんじゃないっていい見本だな。
「ま、それじゃみんな揃ったところだし向かいましょ。今日は喉が潰れるまで歌うわよ!」


 鶴屋さんのチケットは時間無制限で一部屋を借りられるものであり、しかもドリンクが飲み放題になる魔法のチケットだったらしい。高校生にとって、これはゴールドカードにも匹敵する価値のあるものである。
 おかげでテーブルの上には人数分以上のジョッキが並んでいた。どうせ後からまた頼む事になるんだし、とはハルヒの談。ついでに料理もタダにならないかと厚かましい事を言っていたハルヒだったが、鶴屋さんがフロントに電話をかけると一人一品までOKとの答えが返ってきたらしい。つくづく、鶴屋さんは計り知れないバックボーンを背負っているんだなと思い知らされる。
 美女揃いのこのメンツで来たということも含めて後で谷口に話してやったら、さぞうらやましがるだろう。しかし俺は、どこぞの御曹司のように「残念ながらあのカラオケは7人専用だったんだ」と言ってやろう。
 一曲目からハルヒが他人の事を考えずガンガン入れるのだろうなと思っていたが、予想と反してハルヒは最初を鶴屋さんに譲った。まあ、ここまでの待遇を受けられるのは鶴屋さんのおかげであり、ハルヒもそのあたりは感謝しているのだろう。
 鶴屋さんは「照れるねっ」と言いながら、ポケットから出した紙切れをチラリと見て、リモコンで数字を打ち込んだ。
 そして流れるのは、聞いたことの無いイントロだ。表示される曲名も見たことが無いものだ。
 俺だけが知らない曲かと思いきや、ハルヒや古泉も首を捻っている。他のメンツはあまり歌を知らないので参考にはならないが、どうやらマイナーな曲らしい。
 鶴屋さんはあまり慣れてない曲なのか、少々おぼつかないながらもその曲を熱唱。そして、歌い終えるとニコリと笑う。
「実はこの曲はあたしのために作ってもらったものなのさっ」
 道理で知らない曲のはずだ。にしても、どんだけ謎のコネがあるんですかあなたは。
 次に入っていた曲のイントロが始まり、ハルヒがマイクを握る。あまりのスケールの大きさに驚嘆していると、歌い出したハルヒの声に混じって、かすかに妙な音が聞こえた。
 まるでそれは、テープを逆回しにしたような、音。
「……」
 朝倉はテーブルの上にあったリモコンを取って入力する。手慣れた仕草で、こいつはクラスでも人気者だから誰か他のクラスメイトとカラオケボックスに来ることもあるんじゃないかとなんとなく思った。
 そして、モニタの上には知らない曲名が表示されていた。
 チラリと古泉を見ると、何やら乾いた笑みを顔に張り付かせている。
「なあ朝倉」
 小声で話しかけると、朝倉はぺろりと舌を出して、
「さっきの曲がうらやましくて、つい」
 どうやら朝倉は、自分専用の曲を生み出してしまったらしい。
 やれやれ。


 まあ、そんな小さなトラブルはあったものの、カラオケ大会は特に問題なく夜まで行われた。おかげでその翌日、放課後の活動では皆の声が枯れているというかなり不思議な状況だった。