今日の長門有希SS

 入眠時ミオクローヌスと呼ばれる現象がある。
 ご大層な名前だが、別にそれほど大したもんじゃない。授業中とかに座ったまま居眠りをしていて、突然体がビクリとなってしまう、あれの事だ。話によると普通に横になっている時になる人もいるらしいが、幸いな事に俺は学校で居眠りをする時くらいしかなった事はない。
 高校に入って常にクラスの後方をキープしていると、この入眠時ミオクローヌスってモンをわりと頻繁に見かける。それほど、現代の高校生は夜の眠りが足りていないらしい。まあ、授業が退屈だというのもあるけどな。
 俺がそうなってしまった時は、それより後ろに座っている唯一のクラスメート――つまりハルヒにシャーペンで背中を突かれて「あんた寝てたでしょ」とか小声で囁かれ続ける事になる。出来ればそうならないように努めているのだが、まあ、努力してどうにかなるモンでもない。せいぜい寝ないようにするくらいか。
 しかしながら、今回は立場が逆だった。
ハルヒ、今、何してたんだ?」
 首を後ろに回すと、普段より少しばかりぼーっとしているハルヒにそう声をかける。
「な、何も?」
 ハルヒは意地でも認めないという様子だ。顔を少し赤らめているから、寝ていたって自覚はしてるんだろう。
 しかし、ネタは上がってるぜ。さっき、ガタッて音が聞こえたからな。居眠りしてたってのはわかってるんだ。
「別に何でもないわよ。いいから前向きなさいよ、授業中よ」
 普段はちょっかいかけて来て、答えなかったら怒るくせによく言うもんだ。
「な、何を根拠にそんな事言ってるのよ?」
 もしかしたら、ハルヒは自分で音を立てたのを気付いてないかも知れない。それなら、無理矢理言い逃れしようというのも納得だ。
「音が聞こえたぞ」
「あ――」
 途端、ハルヒの顔が赤くなる。何か言おうとするが、口をパクパクさせるだけだ。
 今までに無いくらい取り乱しているな。俺が居眠りしてた時は追求するくせに、自分が追求されるのは弱いらしい。
 ここまで取り乱すハルヒは新鮮だ。
「まあ、授業中だから控えた方がいいぞ」
「……」
 押し黙ったハルヒにニヤッと笑いかけると、俺は首を戻して黒板の方に向き直った。
 まあ、だからって真面目に授業を聞くわけではないんだが。


 結論から言うと、ちょっとハルヒをいじめすぎたらしい。
 最後の捨て台詞が良くなかったのだろうか。いや、あの物音が聞こえた時点で気にしなければ良かったのかも知れない。普段は押されてばかりだったので、ここぞとばかりにやりすぎた。
 ハルヒは俺が思ってもいなかった行動に出た。
『SOS団、本日の活動は中止! キョンはこれを見たらすぐに玄関に来なさい!』
 マジックで殴り書きしたような文字から、ハルヒの機嫌があまりよろしくないという事がよくわかる。
 やれやれ。
 踵を返して玄関に向かおうとすると、廊下の先に長門が立っていた。
「……」
 何か言いたげに、俺を見ている。
「ちょっと授業中にハルヒをからかいすぎた」
「……」
「すまん。今日は行けないかも知れん」
「そう」
 じっと俺の顔を見つめる。
 後で、こっちもフォローが必要だな。
「まあ、明日は食いたいもの何でも作るから、今から考えておいてくれ」
「……」
 長門はしばらく視線を宙に彷徨わせ、
「楽しみにしておく」
 明日も大変そうだが、覚悟しておこう。


「遅いわよ」
 怒鳴られるかと思いきや、ハルヒは俺を見付けると押し殺したような声で言った。
 いつもと違う様子。そして、逆に静かな方が怖い。
 ハルヒは俺が靴を履き替えるのも待たずに歩き始めた。
 ……どこ行くんだ?
 肩をいからせて俺の前方をズンズンと歩くハルヒ
「ちょっと待ってくれよ」
 焦って靴を履き替えるのに手間取ったせいで、追いついたのは校門の外だった。
 ハルヒは腕を組んで、黙って俺を見ている。
「付き合ってくれるんでしょ?」
「まあな」
 どこに行くつもりか知らないが、そう答えるしかない。別に俺が悪かったわけではないが、このままヘソを曲げられていても困るからな。今日は子犬にでも噛まれた気持ちでハルヒのワガママに付き合うか。
「そうよね」
 何やら勝手に納得したハルヒが再び歩き出す。何をどう納得したのかわからないが、こじれるよりはましだ。
 仏頂面で歩くハルヒを横目で見ながら、俺は一つため息をついた。


 結局その日は、街を徘徊して買い物で荷物持ちをさせられたり、喫茶店に入ったりと、普段のパトロールとあまり変わらないような事をした。あまり奢らされる事もなかったので、財布はそれほど痛くなかった。
 喫茶店で妙なトラブルがあったりもしたが、まあ、特に何事もなくハルヒの機嫌が直ったのは良かった事だ。
 そんな風に、意外とあっさりとハルヒは機嫌を直してくれたのだが、その日の話をして機嫌の悪くなった長門をなだめるのが最も大変だった。