最強伝説黒沢凛

 ああ、それにしてもお金が欲しい。


 スターライト学園はアイドル学校である。
 難関の試験を突破した者だけがくぐることを許される狭き門。世にアイドル学校は複数あるが、スターライト学園は名門校としてトップの知名度を誇り、現トップアイドルの星宮いちごや数多くのCMに出演する藤堂ユリカを擁するなど、実績も確かなものだ。
 スターライト学園は寮を備えた広い敷地を持ち、初等部から高等部までの生徒が通っているが、中心となるのは中等部だ。初等部は既に子役として活動している者を対象に、通常の小学校では難しい学業と仕事を両立できるようにするための小規模なコースであり、高等部の場合は、そこまで残るほどの生徒となるとアイドル業が忙しくまともに学校に通えなくなるため、授業に参加する生徒は激減する。高卒の資格を得るために在籍するだけの、専門学校のような存在と言えよう。
 このスターライト学園では、全ての生徒が特待生のような扱いであるため、学費や寮の入居費は無料である。文房具や食事など雑費は各自で支払う必要があるが、大きな支出となる部分は支払う必要がない状態だ。トイレとセットになったユニットバスと収納を備えたワンルームの部屋が二人一組に与えられ、優秀な講師陣からレッスンが受けられる。仮にこの環境に金銭を支払うとすれば、かなりの金額になるはずだ。
 その代わりというように、アイドルたちのギャランティーの大半は学園に入り、運営費用に使われる。学園そのものが芸能事務所のようなものだと考えると、それも当然と言えるだろう。
 ただし、働きに応じた報酬が存在しないというわけではない。売れているアイドルに不満が生じないよう、学園に入った金額に応じて、スターライトマネーという独自通貨で給料が支払われれる。
 このスターライトマネーの価値は、学園内でしか使用できないが、おおよそ日本円と同等のレートだ。例えばドーナツは百スター、日替わり定食は五百スター、購買で販売される文房具も、一般的なものと同等の金額だ。
 ただし、これを日本円に換金する場合、その価値は激減する。具体的には十スターが一円となり、千スターであれば百円。千スターは学園内ではきちんとした食事が二回できる価値があるが、外に持ち出せば百円となりカップ麺ひとつ買うのがやっとの有り様だ。
 とはいえ、アイドル業に必要なものの大半は購買で買うことができるし、仕事に必要な交通費については学園から支給されるほか送迎などもあるので、換金が必要になることはそれほど多くはない。スターライトマネーから円への換金はできるが、その逆に円でスターライトマネーを買うことはできないので、必要がない限り大半の生徒はスターライトマネーの状態で持っている。
 こういったちょっと特殊で不便な通貨であるが、生徒からの不満は少ない。一回のテレビ出演で数万スターが支給されるわけだが、これだけで一ヶ月以上の食費が賄える。円に換算したとしても数千円分となり、そもそも中高生の小遣いとしては十分な金額である。
 そういったわけで、ギャランティーの一割程度しか手元に残らないアイドルたちであるが、あまり金のことは気にせず、今日も今日とてアイドル活動にいそしんでいるのであった。


 食堂の入り口で、黒沢凛は財布の中身を確認する。入っている残高は千スターと小銭がわずか、日替わり定食を二回食べれば素寒貧だ。
 次に仕事があるのは五日後。一日ドーナツ二個で乗りきればどうにか生きてはいけるが、それではレッスンや本番がまともにこなせない。
 先輩の氷上スミレに誘われてユニットを結成し、二人揃っての初めてのステージ。万全の体調で挑まないと先輩にも観客にも失礼だ。
 凛が視線を下に向けると、包帯が巻かれた自分の足が目に入る。
 全てはこの怪我が原因だ。先輩と一緒のダンスレッスンで、いいところを見せようと張り切りすぎて、このザマだ。本来は二人でお披露目をする予定が、先輩一人にその重責を押し付ける形になってしまった。
 ジョニー先生の指示にも従い、きちんと足を休ませたおかげで、もうほとんどよくなっている。明日にはレッスンも思う存分できるようになる。
 凛がこんな貧困に追い込まれる羽目になったのは、この怪我のせいで、本来出演するはずだったステージに立てなかったことだ。
 怪我さえしていなければ、この時点で凛は出演料としてスターを手にしていたはずだ。その後もしばらくは仕事が続くはずで、数ヵ月は食いっぱぐれる心配などいらなかったのだ。
 もっとも、凛が特別困窮しているわけではない。特に入学当初はまだ経験が浅く、レッスン中心の生活になり、なかなかオーディションに勝ち残れない者が多い。そうなると最初に支給されたスターはあっさりと底をつく。
 こういう時、大抵の生徒はトレーナーの先輩を頼ることになる。先輩も入学当初は同じような経験をしているか、周囲でスターが尽きた者を見ているので、事情はわかっていて快く貸してくれる。一年も経てばそれなりに仕事をしていて、二人分の食費を出すくらいの余裕はできているものだ。そういったマネーの貸し借りや、一食おごってくれるなどの交流を通して、新入生とトレーナーの仲が深まることもある。
 そういう風土があるので、困窮している黒沢凛は無理をせずトレーナーである大空あかりに頼るのが普通であるが、なかなかそうできないのは理由があった。
「凛、こんなところで何をしているんですか」
 聞き慣れた声に振り返ると、そこにいたのはルームメイトの天羽まどかだ。不思議そうに首を傾げる様子は、アイドルだらけのこのスターライト学園の中で見ても、特に可愛らしいと凛には感じられた。
「まどか……えっと、何食べるかなーって」
「ほんとに? 凛、お金なくて困ってるんじゃないですか?」
 その言葉にどきりとする。まどかの指摘は、まさに図星だった。
「だと思いました。だから言ったじゃないですか、余裕ができてからの方がいいって」
「ううっ」
 まどかの言葉に、凛は全く反論できない。
 数日前のこと、凛はそれまで稼いできたスターライトマネーの大半を日本円に換金した。
 凛は入学前にはダンス動画の配信で知名度を上げ、その実績もあってスターライト学園に入ることができたが、学校に入ってからは新しい動画を投稿できずにいた。
 実家にいた頃は家族共有のビデオカメラで撮影してネットにアップしていたのだが、今は手元にカメラがない。一応、スターライトマネーを使ってレンタルすることも可能だが、どうせ今後も使うことになるのだし、一台欲しいと思っていた。
 そう思い始めたのは、高等部の『地下の太陽』こと、三ノ輪ヒカリ先輩の事を知ったからだ。
 入学前、素人にしてはかなりの閲覧数を稼いでいた凛だが、三ノ輪ヒカリはそれとは別格の存在だった。表のライブにはほとんど顔を出さず、動画の配信やネットラジオを中心とした、スターライト学園でも異質なアイドルだ。
 彼女の使用する地下スタジオは賃貸で、毎月かなりのスターライトマネーを支払っているらしい。だが、彼女のレベルになると、それを上回って定期的に機材を買い足せるほどの広告収入が得られて、結果的に設備投資した以上のプラスとなっている。
 そんな折、アマゾンのタイムセールで気になっていたビデオカメラがかなり安く売られていた。お年玉の貯金と、持っているスターライトマネーを換金して合わせれば、ギリギリ手が届く範囲だった。
 三ノ輪ヒカリに触発されてまた動画を投稿したくなっていた凛は、一も二もなく飛びつき「もっとお金が貯まってからの方がいいんじゃないですか」とまどかを呆れさせることになった。
 黒沢凛は、売れていない他の新入生と違い、それなりに稼いでいたのに、散財して失ってしまったのだ。
 天羽まどかと組んでオーディションに優勝し、新入生名鑑の表紙になった。そのおかげでまどかとセットでいくつか仕事のオファーがあり、新入生代表のような形でいくつかの番組にも出演させてもらった。更には、ダンスフュージョンのトップデザイナーからプレミアムレアドレスを受け取り、ソロライブも成功させた。
 これらの実績は、トレーナーである大空あかりも知っているし、彼女と同室で、凛のユニットパートナーである氷上スミレも、もちろん知っている。
 そんな彼女たちに向かって「十分なスターライトマネーを持っていたけど、買い物で散財してしまった。怪我をしたので予定していたライブに出られず、お金が底を突いた」なんて言えるはずがなかった。呆れられるどころの話ではない。
 あの二人は善良な性格をしており、頼めばきっとスターライトマネーを貸してくれるだろう。だからこそ、頼みづらくあった。嫌みを言われるとか、説教をされるとか、そういった相手の方がまだ罪悪感がなかっただろう。
「しょうがないですね」
 煩悶する凛にため息をついて、まどかはポケットから財布を取り出すと、五千スター冊を差し出してきた。
「え?」
「これだけあれば、次のライブまでには足りますよね?」
「そう、だけど……でも」
 先輩から借りるのならともかく、同じく新入生であり親友でありルームメイトであるまどかに借りるというのは、気が咎める。
「私から借りないのなら、先輩たちに事情を説明しますか? それともカメラを売りますか? どうします、凛?」
「うう……」
 それはどちらも凛にとってはつらい選択だ。特に、まだ一度テストで動作確認をしただけのカメラを売ってしまうのは、できれば避けたい。
 選択肢はもう残されていない。
「ごめん、まどか……貸してもらってもいい、かな」
「もちろんですよ」
「ところでその、利子とか……」
「凛、私が親友相手から利子なんて取ろうとすると思いますか?」
「あ、ごめん」
 そうだ、この天使のような親友が、そんなことを言うはずがない。
「助かったよ。それじゃあ、早速……」
「待ってください、凛。そのまま買いにいくつもりですか?」
 食券を買いに行こうとした凛は、まどかに手を掴まれて足を止める。
「え? うん、そうだけど……」
「下手ですねえ、凛は。へたっぴですよ」
「へたっぴって、どういうこと?」
「五千スターなら、十二枚綴りの食券があるじゃないですか。こっちの方がお得……というか、普通に買ってライブまで足りるんですか?」
 まどかの言うとおりだった。五千スターを借りられたことで気が大きくなっていたが、残りの日数を考えると、ギリギリ足りなくなる。食べられるメニューは限定されてしまうが、食券をまとめて買っておけば、なんとかライブまでは足りる。
「そっか……ありがとう、まどか」
「いえいえ」


「お腹いっぱい!」
 あれから食券を買い、凛は日替わり定食を食べ終えた。向かいに座るまどかも同じ物を食べて、にこにこと笑みを浮かべている。
「いやー、まどか、本当にごめんね。助かったよ」
「こういう時は、謝るよりお礼を言われた方がいい気分ですね」
「そっか。ありがとう、まどか」
「いえいえ、当然じゃないですか。困ったときは、お互い様ですからね」
「そうだね。もし助けが必要になったら言って、あたしがすぐに駆けつけるから」
「期待していますよ」
 まどかはそう言うと、優雅にティーカップに口を付ける。
「次のギャラが入ったらすぐに返すよ、五千スター。それでいいかな?」
「え?」
「え?」
「人からスターライトマネーを借りて、後から借りた分だけを返す。それでいいと思ってるんですか、凛」
 カップを持ち上げたまま、まどかは首を傾げてにこりと笑う。
「そんな……」
 凛の視界がぐにゃりと歪む。
 迂闊だった。まどかは「親友から利子を取ると思うのか?」とは言ったが「利子を取らない」とは一言も言っていない。借りてしまったスターライトマネーは既に全て食券に変わっており、返すことも出来ない状況だ。
 例えば、まどかが「利子はエンジェルガネです」と言えば、凛はエンジェルガネ――夕方に天使がラッパを吹けば借金が倍になる――で支払わなければいけない。つまり五日後には五千スターが十六万スターにふくれあがる。次のギャラがそれより少なければ、また利息はどんどんと増えていく。
「まどか、あたしは一体どうしたら……」
「そうですね……一日に五回、ですね」
「五回?」
 利子の話をしていたはずなのに、何か得体の知れない話になっている。
 凛には、まどかのにこやかな笑みが、恐ろしいものに見えてきた。
「仕事で会えない日には、凛の方から一日に最低五回はメールを下さい。あと、仕事で寮に戻ってこられない日は、夜に電話を下さい。十分でいいです」
「へ……?」
 予想していなかった言葉に、凛は拍子抜けする。わざわざ陥れるような真似をしたのに、そんな簡単なことでいいのか、と。
「そんな顔してますけど、これから凛はユニットでデビューして、忙しくなるんですよ。氷上先輩とのユニット、きっと話題になって、忙しくならないわけがありません。私はそうなるって確信しています。ですから、一日五回もメールするの、ちょっと多かったかなって思ってるくらいですからね」
「まどか……」
「ですから、ちゃんと食べてレッスンして、次のライブは成功させてくださいね」
「うん! 頑張るよ!」


 それから後、凛は氷上スミレとのライブを成功させて、まどかの言った通りユニットとして売れっ子になっていくのだが、この時の約束の通りメールや電話をして、確かな友情を育んでいくのであった。