失われた無垢

 スカイリム南東のリフテンにあるオナーホール孤児院は『親切者のグレロッド』と呼ばれる年老いたノルドの女が院長を務める孤児院だ。だが『親切者』とはたちの悪い冗談のようなもので、彼女はいつも子供達に対して厳しく当たる。
「仕事を怠ける者はもっと痛い目に遭うよ。分かったかい?」
 今日もグレロッドの怒鳴り声が響く。炊事、洗濯、掃除、それらの雑用はほとんど全てが子供達の仕事だ。グレロッドも鍋をかき混ぜることもあるが、やってもやらなくても同じようなものだ。
 グレロッドの一日は、酒を飲み、気まぐれに子供達を怒鳴りつけ、食べて寝る。ほとんどそれだけだ。上機嫌のこともあるが、大抵は何かにいらついて、子供達に八つ当たりをする。
 罵声を浴びせるのは軽いほうで、ひどい時には虐待をして憂さを晴らす。恐るべきことに、オナーホール孤児院には、そのための小さな部屋ある。
 子供達の寝るホールのすぐ横にあるドアを開けると狭苦しい小部屋があり、ドア以外の三方の壁には腕を拘束するための器具が取り付けられている。藁を敷き詰めたその小さな部屋にあるのは他に木製の手桶だけで、あとは何もない。
 そんな劣悪な環境の中に、二人の孤児がいた。
『天使』の白玉みかんと『悪魔』の黒須あろまだ。
 天使と悪魔とは、ここオナーホール孤児院で特別な孤児に与えられる役割だ。それは特に理由はなく、ただグレロッドの気まぐれだけで選ばれる。
 天使は、一人だけ優遇された存在だ。
 他の子供達には一日一食しか与えられない食事だが、天使のみかんだけはグレロッドと同じく日に三度の食事があり、おやつの時間にはスイートロールが与えられる。労働も免除され、他の孤児達に与えられるような苦痛は、天使には一切与えられない。
 ただ、天使は常に笑顔でいる事が要求される。目の前で誰かが暴行を受けていても、食事を抜かれていても、どんなことがあっても笑顔でいなければいけない。
 悪魔はその逆だ。
 与えられる食事が他の子供より少なく、他の子供よりも過酷な労働を押しつけられる。些細なことで暴行を受け、他の子供が小部屋で虐待される時は、そのついでに悪魔も小部屋に連れて行かれ、壁に拘束される。
 悪魔に与えられる虐待は厳しく、食事を与えられないまま、一日中拘束されたまま放置されることも珍しくない。そのせいかあろまは他の子供よりも虚弱ですぐ病気になり、力も弱い。無理な体勢で拘束されすぎたせいか、関節がおかしな方に曲がっており、走ることもできない。
 他の子供たちの悪魔に対する感情は、二通りである。いつもグレロッドに虐待されることを可愛そうに思って同情する者もいれば、何をしてもいい相手だと考える者もいる。子供同士でもめ事があると、グレロッドは理由も聞かずにどちらも拘束し虐待をするが、悪魔相手には何をしても無関心を貫く。
 だから、グレロッドから受けた仕打ちに腹を立てた子供が暴力を振るうことや、性に興味を持った少年に性的悪戯を受けることは、珍しいことではない。
 十六才になるとこの孤児院を出ることになるが、悪魔になった子供がそこまで生きることはほとんどなく、大抵は途中で命を落とす。あろまの前に悪魔だった子供も、天使だった少年が孤児院を脱走した際に何日も拘束され虐待され、そのせいで命を落とした。
 悪魔になったあろまの最初の仕事が、元悪魔の埋葬だ。
 埋葬とは言っても、明らかに暴行の跡がある死体を教会に持って行くわけいにはいかないとグレロッドが考えたのか、中庭の片隅に穴を掘って埋めただけで済ませた。
 傷だらけで、血と汚物にまみれた死体を穴に埋めて土をかぶせながら、あろまはそれが自分の遠くない未来の姿だろうと思った。
 子供が一人くらい消えても、この治安の悪いリフテンでは気にとめるものはほとんどいない。喧嘩や暴力、殺人も日常の出来事だ。首長は無能で、一度に二人もの子供が消えたことすら知らないはずだ。


「あろまはどこだい!」
 ある日のこと、いつものようにグレロッドが怒号を放った。
「天使が笑っていないのはあんたの仕業に決まっているよ!」
 今日も些細な理由だ。この老女のどこにこんな力があるんだと思うほど強く腕を引っ張られ、小部屋に連れて行かれながら、みかんが笑顔のまま口を動かしているのを見た。
「ごめんなさいなの」
 あろまには、そんな声が聞こえたような気がした。
「さあ、お仕置きの時間だよ」
 グレロッドはそう言うと、あろまの腕を壁の拘束具に挟んで固定する。床に転がった桶を掴んで小部屋を出て行くと、水を入れて戻ってきて、勢いよくあろまにその水を浴びせる。
 冷たいよりも、痛いという方が大きかった。
 服が水を吸ってずっしりと重くなりよろけると、拘束された腕に負担がかかり、痛みが走る。グレロッドはまた小部屋から出ていき、戻ってきて水をかける。途中から疲れたのか、グレロッドは暇そうにしていた子供たちを呼びつけた。
「あんたたち、この桶に水を汲んでくるんだ。さあ、急ぐんだ、ガキどもが」
 グレロッドは二つの桶を子供達に渡し水を汲みに行かせ、戻ってくるまでは鞭であろまのことを打ち付けた。子供から桶を受け取ると、空になった桶をまた子供に渡す。
 汗だくになるまで鞭を打ち、水をかけ、ようやく終わったのは日が落ちてからの食事の時間だ。
「あんたは悪魔だからね。ここにいるんだよ」
 小部屋の扉は開かれっぱなしだった。あろまは壁に拘束されたまま、隣の部屋で食事をしている子供達の姿を遠目に眺めていた。
 同じくらいの年齢で、昔から仲のよかったみかんの笑顔が、わずかに強ばっているのをあろまは感じる。
 自分も長くはないが、もしかすると、優しいみかんの精神が押しつぶされるほうが先かも知れない。
 そんな風にあろまは考えて、一つの決意をした。


 あれから数日後、皆が寝静まってからあろまは中庭に出た。
 子供達には自由がなく、昼頃にグレロッドに監視されて塀に囲まれた中庭に出る日課があるが、こうして勝手に外に出たのは初めてのことだ。
 あろまは中庭の隅に行くと、音を立てぬよう素手で土を掘り返す。爪の間に砂利が入り痛みが走るが、それに耐え必死になって土を掻き出す。
 やがて、あろまは目的のものを見つける。
 先代の悪魔だ。
 埋めてからどれくらい経ったのだろう、死体にはウジがわき、ところどころ腐った肉が落ちて骨が露出していた。
 あろまはその周辺に蝋燭を立てて火を付け、ナイフにベラドンナの汁を吸わせる。
「愛しの母、愛しの母、あなたの子供を私の元へ届けてください。卑しい者の罪を血と恐怖をもって清めなければならないのです」
 死体の横に跪くと、あろまはそう言ってナイフで死体を刺す。グズグズになった肉の感触が手に伝わってきて、腐臭が広がるが、あろまは一心不乱にそれを繰り返す。
「愛しの母、愛しの母、あなたの子供を私の元へ届けてください。卑しい者の罪を血と恐怖をもって清めなければならないのです」
 あろまの両親が帝国軍とストームクロークの戦いに巻き込まれて死ぬ前、まだ幸せだったころに読んだ本に載っていた、人を呪い殺すための儀式だ。
「愛しの母、愛しの母、あなたの子供を私の元へ届けてください。卑しい者の罪を血と恐怖をもって清めなければならないのです」
 人の骨、肉、心臓でできた人のかたちをしたものを、毒草の汁をつけたナイフで突き、呪文を唱える。
「愛しの母、愛しの母、あなたの子供を私の元へ届けてください。卑しい者の罪を血と恐怖をもって清めなければならないのです」
 悪魔のあろまにとって、頼れるのはもうこの儀式だけだった。
「おやおや、余計なものを見てしまったかな」
 何の前触れもなく、甲高い声があろまの耳に届いた。
 心臓のあたりにナイフを突き刺したまま、あろまが声のした方に顔を向けると、そこには一対の光るものがあった。
 真っ暗な闇の中、そこに何かがいた。
 毛むくじゃらの生物。暗い服を着て、暗い色の毛皮のそれは、輪郭はぼやけ闇の中に溶けていて、ただぎらぎらと光る目だけがはっきりとあろまに見えた。
「お嬢ちゃん、何をしているんだい?」
「人を呪い殺す儀式をしているの」
「ほうほう」
「私は悪魔で、儀式をしていた。そうしたらあなたが現れた。だからあなたはデイドラね」
「デイドラだって? ハハハ、こいつは傑作だ。お嬢ちゃんはカジートを知らないのかい?」
「カジート? それがあなたの名前なの?」
「まあ、それでいいか。ところで、あまり聞きたくはないんだけど、お嬢ちゃんはなんのためにその儀式をしていたんだい?」
「殺して欲しい人がいるの。親切者のグレロッドよ」
「そんなことだろうと思ったよ」
 カジートと名乗った生き物が目を細めた。
「だが、すまないね。お嬢ちゃんの依頼を受けることはできない。おじさんは別の人に頼まれて、グレロッドに用事があるんだ」
「そんな……」
 あろまはショックを受ける。このデイドラが願いを聞いてくれなければ、死体を掘り返したことも、泥に汚れた服も、グレロッドに気づかれてしまう。
 そうすれば厳しい罰を受けて、この死体と同じ運命を辿るだろう。
「気を落としてるところを悪いが、グレロッドのところまで案内してくれないかな。おじさんの用事はコンスタンス・ミシェルじゃなくて、親切者のグレロッドじゃないと駄目なんだ」
「わかったわ」
 カジートを連れて、あろまは孤児院の中に入った。
 暗い宵闇の中だけではなく、カジートの存在は建物の中で灯りに触れてもどこかおぼろげで、目の前にいるのにどこにもいないような、そんな不思議な印象をあろまに与えた。
 あろまは足音を忍ばせてベッドに眠る子供達の間を歩く。それでもギシギシと床板が音を立てるが、カジートは幽霊のように全く音を立てずについてくる。
 みかんの穏やかな寝顔を「これで最後かも知れない」と見ながら、グレロッドの寝室に続くドアを示す。
「ありがとう。お嬢ちゃん」
 カジートはそう言うと、あろまと一緒に部屋に入り、粗末なベッドで眠るグレロッドの横まで行くと、体を揺すった。
「あんた何者だい。汚らしいネコが」
 半ば寝ぼけながらグレロッドがベッドの上に体を起こす。あろまがいることには気づいていないようだ。
「アベンタス・アレティノが、よろしく言っていた」
 カジートはそんなグレロッドに対してこう告げた。
 アベンタス・アレティノとは、みかんの前に天使だった子供の名前だ。噂では、家に戻って闇の一党を呼ぶための何かをしているということだった。
「アレティノですって? あのろくでなし!」
 グレロッドの目が怒りでつり上がる。
「覚悟しとけと伝えて。見つけたら、ひどい目に遭わせてやる」
「おばあちゃん、悪いがそれはできないんだ」
 そう言うと、カジートは片手を軽く左右に薙いだ。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
 グレロッドが汚らしい悲鳴を上げる。カジートは軽く手を振っただけだが、グレロッドの喉がぱっくりと裂けて、そこから激しく血が噴き出している。ごぼごぼと口から赤い泡を吹き出し、壁を、ベッドを赤く染めて、どさっと床に崩れ落ちた。
 騒ぎを聞きつけたのか、あろまが気づくとグレロッドの寝室の前に子供達が集まっていた。
「やったー! グレロッドが死んだ!」
「アレティノがやってくれた!」
 血まみれで床に倒れ、苦悶の表情を浮かべるグレロッドの死体を取り囲み、子供達が歓声を上げている。
 彼女が死んで悲しむ者は一人もいない。子供達は口々に、喜びの言葉を放つ。
「グレロッド、死んだなの?」
 みかんがあろまの横にいた。
「よかったなの。これでもう、あろまがいじめられないの」
 みかんはぽろぽろと涙を流す。表情は笑顔の形に固定されたまま、しばらくは他の顔をすることはできないだろう。
 笑顔のまま泣いているみかんの頭をあろまは無言で撫でる。他の子供達よりも厳しい地獄にいた二人は、深いところで繋がっていた。
「お嬢ちゃんの願いを聞けなかったのは、先約があったからさ。すまないね」
 今までどこにいたのか、血まみれのカジートがあろまに話しかけてくる。
「だからお嬢ちゃんの黒き聖餐は成立していない。依頼料もいらない。まあ、代償なしで願いが叶って、運がよかったじゃないか」
「でも私は、人を呪う儀式をした。悪魔だ」
「ふむ、まあそういう考え方もあるかな」
 カジートは、ぴんとヒゲを爪ではじく。
「そうだ、願いが聞けなかったかわりに、お嬢ちゃんたちにいいものをあげよう」
 そう言ってカジートは荷物袋から何か紙片を取り出して、あろまとみかんに手渡す。
「これは何かしら?」
「きれいなの」
「そいつはプリチケと言ってね、それがあればパラジュクのプリパラに入ることができる。まあ、魔法のチケットのようなものかな。少なくともここにいるよりは幸せだろうし、今とは違う何かになることができる。まあ、必要なかったら捨ててくれてかまわない。おじさんが持っていても使い道のないものだ」
「ありがとうなの」
「じゃあ、お嬢ちゃんたちが幸せになれることを祈っているよ」
 カジートの姿がぼやけて、あろまは認識できなくなる。幻のように、今まで目の前にいたのが嘘だったように思えるが、自分とみかんの手にはプリチケが残されていた。
「みかんはどうしたい?」
「あろまと一緒に行きたいの」
「決まりね」
 そう言うと、あろまはみかんの手を引いて、オナーホール孤児院を飛び出した。わずかな小銭を握りしめ、街の外にいた御者にコインを握らせると、パラジュクに向かう馬車に乗った。