つまり、友達でいてくれてありがとう

 スターライト学園の寮は、光量はかなり抑えられるが、深夜でも完全に灯りが消されることはない。一般的な学校と違い、寮に住む全ての生徒はアイドルなので、帰りが遅くなる生徒もいるからだ。
 労働基準法というものがあり、中高生の働くことのできる時間は厳しく制限される。だが、ロケ地が遠方だと仕事が終わる時間は基準に従っていても寮に戻るのが深夜になることもあるし、それ以外にも『自主的に』行われるレッスンなどは、あくまで個人の趣味の範囲ということになるので、遅い時間までやっても法的には問題はない。
 しかしながら、スターライト学園は朝から授業があり、あまり遅い時間まで起きているような状態は推奨されない。寝不足で実力が発揮できなくては本末転倒なので、トップアイドルでも休息は大事にしている。
 ともあれ、深夜でも灯りがついている寮の廊下だが、バスルームも部屋ごとにあるため、遅い時間になると出歩く者はほとんどいない。
 そんな、ほとんどの生徒が眠りについている時間の廊下で、わずかに軋み音を立てて、一つのドアが開いた。
 出てきたのは小柄な生徒だ。ドアを開けたままきょろきょろと周囲を見回し、部屋の中に向かってわずかに首を縦に振る。
 それから少しして、すらっと背の高い生徒が開かれたままのドアから出てくる。
 二つの人影はわずかな会話をして、しばし密着してから離れると、小柄な方が部屋に入ってドアが静かに閉まった。
 後には完全な静寂が戻る。
 薄暗い廊下に残されたのは背の高い人影。閉ざされたドアに、顔を向けている。
 と、その背中に小さな人影が近寄る。足音を立てず、すぐ近くまで迫ると、こう口を開いた。
「おつかー」
 声をかけられた紅林珠璃は、びくりと体を震わせてから「ひなき」と呟いて、顔をそちらに向けた。


 静かな廊下に足音が二つ。
 新条ひなきと紅林珠璃は、薄暗い廊下を静かに歩いている。
「あの先輩、前に共演した人だよね」
 ひなきが口を開く。
 他の生徒達が寝静まった深夜、声は普段より抑えている。
「そう」
「何か用事でもあったの?」
「ちょっと、相談に乗ってもらっていたんだよ。バラエティは慣れないから」
 珠璃が出てきた部屋の先輩は、以前アイカツ先生のゲストとして出演したアイドルだ。それ以降、トーク番組で何度か共演しているのを、ひなきも知っている。
「ふーん。こんな時間まで?」
「話し込んだら遅くなっちゃって。それ言ったら、ひなきはこんな時間にどうしたの?」
「ちょっと気になる噂を耳にしちゃってねー」
「噂?」
「珠璃が先輩とイケナイ関係だって」
 ぴたり、とひなきの横を歩いていた珠璃が足を止めた。
「んー、どうかした?」
 振り返ると、珠璃は呆れたような顔をしてから、歩き出す。
「ひなき、芸能界なんて怪しい噂ばかりじゃない。芸能通なのに、そんなのを信じちゃうの?」
「いやー、それが証拠がありましてー」
 と言うと、ひなきはアイカツフォンルックをポケットから取り出して画面を珠璃に向けた。
「どうかな? 我ながらよく撮れてると思うんだよね」
 ディスプレイに表示されているのは、珠璃と先ほどの先輩が廊下で抱き合う姿だ。薄暗い廊下だが、珠璃の顔だとはっきりと判別できる。
「……なんか、疲れていたみたいで、よろけたのを支えてあげただけだよ」
「首筋、キスマーク付いてるよ」
 ひなきが言うと、珠璃はため息をついた。
「やっぱり、ひなきはごまかせないか」
「ま、幼馴染みですから」
「キスマークか……困るなあ、撮影の時に隠さないと。あの人、ちょっと独占欲強いと思ってたけど、そういうとこあったんだ」
「珠璃」
「どんな噂になってるか知らないけど、だいたい間違ってはいないんじゃないかな」
 珠璃は自嘲気味に笑う。
「でも、女同士なんてこの学校じゃ黙認されてるでしょ」
 実際、スターライト学園ではいくつも噂になっているカップルがあり、ひなきの耳にも入ってくる。寮で同室になったり、先輩後輩のトレーナーシステムがあったり、何かと仲良くなるきっかけはある。そこから深い仲になることは、それほど珍しいことではない。
「外で男と付き合うのと比べたらましじゃない? 寮の中で収まってるからスキャンダルにもなりづらいし」
「んー、付き合うっていうなら止めないけどねー。でも、珠璃、違うんだよね?」
「違うって?」
「あの先輩のこと、好きでもなんでもないんでしょ?」
「小柄が顔も小さくて、可愛いほうだとは思うけど。別に、好きでも嫌いでもないってのが正直なところかな。仕事を回してくれるところは好きだけど」
「やっぱりそうなんだ」
「でも、別にいいじゃない。私は仕事が増えるし、先輩は私に気持ちよくしてもらえる。お互い損はしていないよ」
「でも、そんなの……変だよ。珠璃は、紅林可憐の娘じゃなくて、紅林珠璃として輝くために、芸能界を離れて必死にレッスンをして戻ってきたんだよね? なのに、やってることが枕営業って、絶対に間違ってる」
「これも私の力だよ。あの人にとっては親が誰かなんて関係ない、生身の私自身を求めてくれる」
 裸同士だもの、と冗談めかして言う珠璃に、ひなきは言葉を失った。
「そもそも、体で仕事を取ってくるなんてよくあることでしょ? 売れたアイドルだって、そういう噂がある人はいくらでもいる。星宮先輩と神崎先輩だって『特別』な関係だったって――」
「珠璃、二度とそれを口にしないで」
 視線をひなきの方に向けてから、珠璃はばつが悪そうな顔をした。
「……そうだね。あかりちゃんの耳に入ってもいけないし」
 星宮いちごと神崎美月の関係は、そういう噂の中でも特に有名だ。
 編入試験で中学一年の秋に入学した星宮いちごは、まだ芸歴も知名度もほとんどない状態で、神崎美月のライブに参加することになる。それから星宮いちごは急激に有名になり、スターアニスや、クイーンズカップを経て、二人はほぼ同時期にスターライト学園を去ることになる。
 星宮いちごはそれから一年後に戻ってきたが、神崎美月はそれ以来スターライト学園には戻ってきていない。
 二人が特別な関係にあり、破局をしたのが原因だという噂は、当時から囁かれていた。二人がよく夜に中庭で会っていたという目撃談も多くあり、その噂が信じられている理由はひなきにも理解できる。
 しかし、あのころ初等部から上級生達を見ていたひなきには、二人がそんな関係ではないと断言できる。
 あの二人は、アイドルとして輝くため、本当に努力をしている。そんな卑怯な手段で売れようなんて考えは、一切持っていないだろう。
 仮に尊敬が憧れに、そして愛情に変わったとしても、それはもっと高潔で綺麗な何かだ。
 ひなきは、芸能界を離れていた珠璃がその頃の二人をよく知らなかったとはいえ、軽々しくそんなことを口にしてしまうのが、たまらなく許せなかった。
 もちろん、親友である大空あかりに聞かせたくない話であるというのもあるが、有名な噂ではあるので、既に耳にしている可能性の方が高い。
 しかし、噂話で聞こえてくるのと、自分の親友から聞かされるのでは、ショックは段違いだろう。そんな思いをさせたくはない。
「でもさ、ひな知ってるよ、あの先輩だけじゃないよね?」
「ひなきは詳しいね」
「珠璃のことだもん」
「このスタイルのおかげかな。ああいう小柄な人にけっこうモテるみたいで、男の人がするみたいに強引にエッチして欲しいって人が何人かいるんだよね」
「どうして……」
「うん?」
「珠璃、どうしてそこまでするの?」
「どうしてって、ひなきなら聞かなくてもわかるでしょ」
「やっぱり、あの騒動の」
「ドラマに出るために、頑張ったのになあ。人気だってそこそこあるのに、笑っちゃうよね」
 珠璃は声を殺してくくっと笑う。
 アイカツ先生の騒動は、ひなきほどの芸能通でなくても知っている、有名な話だ。
 最初は円満だった。視聴率もよく、季節の変わり目には特番が作られるほどの人気ドラマとなり、珠璃の知名度向上にも貢献してくれている。
 だが、最近になって問題が起きた。
 売り出し中のアイドルを出演させるため、原作では男性だったキャラクターの性別を女性に変えてしまった。
 タイミングが悪いことに、原作でそのキャラクターが別の女性キャラクターと恋愛をする展開が始まったのと、オンエアの時期が重なってしまい、どちらも修正できない状況になってしまった。
 上手く対処すればそれほど大きな問題にならずに済んだかも知れないが、一部の過激なファンがドラマのほうが元だと勘違いし、キラキラッターで原作者をバッシングして炎上するなどの騒動があり、原作者が腹を立ててしまった。
 その結果、今シーズンの放送でアイカツ先生が終了することが、決まっていた。
「私はもっと他の仕事もできないと駄目なんだよ。最終回の前に、何とかしないと」
「珠璃……」
「だから、私はひなきに止められたとしても、やめるわけにはいかない」
「でも、ひなは……もう、して欲しくない……」
「どうして? 別に私が誰と何をしても、ひなきとは関係ないでしょ?」
「関係ないなんて」
「もしかして、ひなきも私のことが好きなの?」
 珠璃が口元を歪める。
「本当なら何か仕事を紹介してもらうところだけど、黙っていてくれるなら、特別にひなきにも先輩にしたのと同じ事をしてあげるよ。今から部屋に来る?」
 パァン!
 乾いた音が廊下に響いた。
「あ……れ……?」
 ひなきは戸惑って、自分の手と、きょとんとする珠璃の顔を見比べる。
 手の平がジンジンとする。わずかに傾いた珠璃の頬が、赤く染まっている。
 頭に血が上って、無意識に、珠璃の頬を叩いていた。
「友達……だから、心配なんだよ。このまま続けたら、絶対、よくないことになる」
 言葉が勝手に口から溢れ出る。
 けっこうな音が鳴ったはずだ。まだ起きている人がいたら、様子を見るためにドアを開けるかも知れない。
 二人でいるところを見られたら、まずい。特に噂になっている珠璃は問題だ。
「おやすみ、珠璃。叩いてごめん」
 頬に手を添えて立ちつくす珠璃を残し、足早にひなきはその場を立ち去る。
「Grac...」
 珠璃が何か囁くのを、ひなきは最後まで聞くことはできなかった。