みくりーな同居数日目

 多田李衣菜はロックを愛している。
 ロックとは音楽の一ジャンルのことだが、彼女のいう『ロック』とはもっと幅の広いイメージだ。実際のところそれほど詳しいわけではなく、ロックという言葉の響きに憧れ、そうなりたいと思っている。
 セックス・ドラッグ・ロックンロールなどという言葉がある。しかしドラッグを使うほど反社会的でもなければ、恋人がいたことのないためセックスの経験もない。
 結局のところ、イメージに憧れているだけの半端な状態ではあるが、それでも全く努力しなかったわけでもない。
 わからないなりにロックと呼ばれる音楽を聴いてみたり、経験はないが性行為について調べたりもした。
 その結果として、多田李衣菜は自慰の習慣を身につけた。
 健康な高校生である彼女は、それなりに性欲もある。興味本位に始めたものがいつしか習慣となり、週に三回程度は一人で慰めるようになっていた。


 ある日のこと、ユニットを組むことになった前川みくと同居することなった。
 期間限定の、ごく短期間の同居生活だ。寮に住んでいるみくの部屋で、李衣菜が寝泊まりする。
 一週間分の荷物を持ち込んでのみくとの同居生活は、それほど不便は感じなかった。事務所で顔を合わせた時に口論になる程度だったのが、一緒に暮らすようになって四六時中になっただけのことだ。
 しかし、この生活に慣れてきたころに、問題が生じた。
 性欲だ。
 一週間程度の短いものだし、普段と環境も変わるから緊張感でそれどころではないだろうと思っていた李衣菜だが、みくとの生活は思いの外居心地が悪くなく、すぐに順応していた。
 そうなると、二・三日に一度慰めることに慣れていた体では、我慢が難しい。
 そんな折に、みくの帰りが遅く部屋で一人きりになる機会があり、李衣菜は性欲を解消することにした。
 布団の中に潜り込み、アダルトサイトで拾ったサンプル動画をスマートフォンで再生する。
 十八才未満の彼女にとって、アダルトサイトへのアクセスは合法ではないが、ドラッグに手を出したり不特定多数の異性と体を重ねたりするような度胸はなくても、これくらいならば彼女の中途半端な『ロック』でも許容範囲だ。
 一分から二分程度の短い動画をいくつか再生して気分を昂揚させ、胸や下腹部を触り、性感を高めていく。指は入れず、周囲を触るだけのソフトなものだが、それで李衣菜は徐々に上り詰めていく。
 スマートフォンで流れる動画がぼやけて、視界がうっすらと白くなっていく。快楽が高まって、意識がふわふわとしていくのを李衣菜は実感する。
 と、そんな最中に「何してるのかにゃ」と、聞き慣れた声が耳に飛び込んできて、一瞬で視界がクリアになる。
「え――」
 スマートフォンから声の方向に首を回す。布団に潜り込んでいた李衣菜を見下ろしていたみくは、制服姿で、制服姿で仁王立ちで、怒ったような困ったような複雑な顔をしていて、とても「パンツ見えてるよ」なんて指摘できる雰囲気ではなかった


「で、何をしていたのか説明して欲しいにゃ」
 あれから、李衣菜は素早くスマートフォンを操作して動画の再生を終了させると、乱れていた着衣を直してから布団を抜け出して、床に正座をしている。
 みくは相変わらずの複雑な表情。怒っているよりも、どちらかというと困っているような色が強い。
 何をしていたのかなんて、わざわざ聞かなくても理解しているはずなのに。
「オナ……って、ました」
 口の中が乾いて、たどたどしい喋りになる。
「なんで、みくの部屋でするかにゃ……」
「その、ムラムラ、して……」
「我慢できなかったの? 一週間くらいなのに」
「いや、私、週三回くらい、シてるから……」
 その言葉に、みくは猫のように目を丸くしてから、ため息をつく。
「で、見てた動画について聞きたいんだけど、確認してもいいかにゃ?」
「あ、それは……っと」
 李衣菜はそこで、スマートフォンを操作しようとした手が止まる。
「見せられないようなものなの?」
「そうじゃなくて……その、手を洗って、いい?」
「え? あっ――勝手にするにゃ!」
 みくの許可を得て洗面所で手を洗い、李衣菜は少しだけ冷静になる。
 見られたという状況に動揺していたのだろう、よく考えるとどれくらいの頻度で自分を慰めているとか、そういう情報は伝える必要がなかった。
 もしかすると今とんでもなく恥ずかしい状況にいるのかも知れないと思う李衣菜だが、まだどこか現実味がなく、ふわふわとしている。
 タオルで手を拭いてから、再びみくの前に戻る。特に言われたわけでもないのに、また正座で床に座る。
「で、見てた動画は?」
「あ、うん」
 みくに言われ、李衣菜は素早くスマートフォンを操作して動画を再生する。
 ベッドに腰掛けていたみくだが、対面ではスマートフォンが見づらいようで、李衣菜の横に座って画面をのぞき込む。
「……高垣楓?」
「そっくりさんだよ?」
「いや、さすがにそれはわかってるにゃ。ていうかこの動画、何にゃ」
ダウンロード販売しているサイトで拾った、サンプル動画だよ」
 というと、李衣菜は動画の再生をやめて、ブラウザでショートカットを開く。
 それはDLゲッチュドットコムというサイトで、李衣菜はスマートフォン用のメニューに切り替え、リストをスライドさせる。
「このサイトはこんな風にゲームやAVが売られていて、サンプル動画があるAVもあるんだよね。例えば今の高垣楓のAVを作ってるサークルは、ピンキーWEBっていうところなんだけど……」
「もしかして……他にも落としてるの?」
「えっと、他には――」
 十時愛梨輿水幸子……と、李衣菜はぽんぽんと画面をタップして、次々に保存してあったサンプル動画を再生していく。もちろん全て本人ではなく、そっくりさんだ。
「ん?」
 近くに感じていた体温がなくなり、視線を移すと、みくは李衣菜から少し離れた位置に移動していた。
「李衣菜ちゃん、一個だけ確認してもいいかにゃ?」
「え、なに」
「もしかして、李衣菜ちゃんって、その……そっち?」
「そっち、って?」
「あの……百合とか、レズ……とか」
「いやいや、何言ってんの? そんなわけないでしょ」
「説得力ないにゃ! じゃあなんで、先輩アイドルのそっくりさんばっかりなの!」
「いやぁ……知ってる人でオナるの、なんかロックかなって」
「李衣菜ちゃんは馬鹿なのかにゃ!?」
「馬鹿とは失礼な。ロックだよ」
「なんでもロックって言えば許されると思ってるの!? 謝れ! ロックに謝れにゃ!」
「まあ、落ち着いて」
「なんでこの状況で李衣菜ちゃんが落ち着いてるのかみくは理解できない……李衣菜ちゃん、本当にレズじゃないの……?」
「違うってば。さっきみくちゃんのパンツ見えても何とも思わなかったし」
「なっ――」
 みくの顔が瞬時に真っ赤になり、慌ててスカートを押さえる。
「見えた……って、え?」
「いや、布団の横に立ってたら、そりゃ見えるでしょ」
「ううううっ!」
 みくは顔を真っ赤にして、枕を鷲づかみにするとそれで李衣菜をばしばしと叩く。
「なんなの! こうなったら、李衣菜ちゃんも見せるにゃ!」
 そう叫ぶと、みくが李衣菜に飛びかかり、布団の上に押し倒す。
 さすがにパンツを見られるのは恥ずかしい。抵抗しようとする李衣菜だが、ずっと正座していて足がしびれていたのもあり、まともな抵抗もできず、ハーフパンツを引き下ろされる。
「あっ……」
 そこでみくの手が止まる。
 李衣菜の下着は、秘部のあたりが湿ってアンダーヘアが透けてしまっている。
 明らかにそれは先ほどまでの行為の影響だ。
「ご、ごめ……にゃ」
 ハーフパンツを戻し、みくは李衣菜から離れる。真っ赤にした顔を俯かせ、視線を泳がせている。
 李衣菜としても、さすがにここまで見られるのは恥ずかしい。自慰をしたとは言っていても、実際に見られたことで「直前までこの場で性器を触って感じていた」というのをはっきりと理解されてしまった。
「……ずるい」
「にゃ?」
「みくちゃんも見せてよ」
「でも、李衣菜ちゃんみくのパンツ見たって」
「濡れてるところは見てないし」
「そそそ、そんな恥ずかしいところを見せられるわけないにゃ!」
「私はその恥ずかしいのを見られたんだけど」
「どう考えても人の部屋でオナってるのが悪いにゃ!」
「じゃあ、みくちゃんは私の帰りが遅くなったりしても、オナニーしないの?」
「しない! ていうか、したこともないにゃ!」
「え……うそ、ないの? ありえない」
「そ、そんなに驚くこと……?」
「いや、普通するでしょ。本当に? 一度も?」
「ないない。何度も言わせないで欲しいにゃ。ていうか、そんないつもシてる李衣菜ちゃんがおかしいんじゃないの? 人の部屋でもしたくなるとか、さすがにちょっと、変態ぽいっていうか……」
 その言葉に、李衣菜はむっとする。
「変態ってのは言い過ぎじゃない? だいたい、オナニーしたこともないのに、何がわかるの? 我慢できなくなるってば」
「いやいや、したことなくても、さすがに李衣菜ちゃんはやりすぎじゃないかと……」
「じゃあ、試してみる?」
 李衣菜はそう言うと、素早くみくを布団に押し倒す。両手を押さえつけて、胴体にまたがって動けないようにする。
「や、やめて……」
 怯えたようなみくの表情に、李衣菜はぞくりとする。
 変態と言われて頭に血が上って、ちょっと脅かしてやろうとしただけだ。
 それなのに。
「ごめん、みくちゃん」
 下半身を下の方にずらし、動けないように全身で押さえ込んだまま、顔を近づける。
「私、レズになっちゃったかも。今すっごい興奮してる」
 その言葉に、みくは「ひっ」と小さい悲鳴を漏らす。全身が強ばったのが、密着した体に伝わってくる。
「その顔、反則」
 耳元で囁く。いつも憎たらしい顔をしているくせに、怯えた表情がすごく新鮮で、李衣菜はAVのサンプル動画を見ている時以上に気分が高まっているのを感じる。
「李衣菜ちゃん、怖いにゃ……」
「大丈夫。痛いことはしないから」
「痛い……て?」
「穴に何か入れるとか」
「穴とか言うにゃ!」


 それからしばらく経って。
「ごめんって」
 李衣菜はベッドの上の布団の山に向かって謝っていた。
 さすがにやりすぎた、と李衣菜も感じている。自分で胸に触れたこともないみくに対して、一通りの快楽を強制的に叩き込んでしまった。
 最初に約束した通り、痛みを与えるような行為はしていない。
 ただ「もし自分にペニスがあったら、滅茶苦茶に犯していただろうな」とは思っていた。
「ひどいにゃ……」
 ようやく、布団の中から声が聞こえてくる。
「やめて、って何度も言ったのに」
「本当にごめん」
 途中からはみくも快楽に流され「もっと」と言うようになっていた事実は、李衣菜は指摘しないことにした。
「なんで……」
「ん?」
「なんであんなこと、したの?」
「えっと……」
 どう言い訳をしたものかと李衣菜は一瞬迷ったが、結局、ストレートに行くことにした。
「なんか、みくちゃんがすごい可愛く見えて」
「っ……」
 息を飲む音が聞こえてくる。
「いや、ほんと……謝って済む問題じゃないけど、ごめん」
 李衣菜は深くため息をつく。
「じゃあ、また事務所で。荷物はその、迷惑かけるけど、着払いで送ってくれればいいから」
「待つにゃ!」
 李衣菜が立ち去りかけたところで、布団をはねのけるように、みくが上半身を起こした。
「また、って、どういうこと?」
「家に帰るよ。さすがにこれは……自分でも、ないなって。みくちゃん、私と続けるの、無理でしょ?」
「無理じゃ……ないにゃ」
「いや、我慢しなくていいって。こんな事もあったし、みくちゃんが先に一人でデビューして。私は後回しでいいし、フェスに出れなくてもいいから。ほんと……ごめん」
 それだけ言って立ち去ろうとする李衣菜だが、足が止まる。
「みくちゃん?」
 李衣菜の手首を、みくの手ががっちりと掴んでいる。
「ひどいにゃ、李衣菜ちゃん」
「それは、本当にごめん」
「あんなことを教えたくせに、いなくなるなんて、ひどいにゃ」
「え?」
「あんな――あんな気持ちいいこと、もうしてくれないとか、ひどいにゃ」
「みくちゃん、ひょっとして……ハマっちゃった?」
「っ――」
 李衣菜の掴まれていた手首に軽い痛みが走る。
 みくはベッドの上で体育座りのような姿勢で顔を隠しているが、耳まで真っ赤になっている。
 それはきっと、先ほどまで布団をかぶっていたせいだけでは、ないだろう。
「じゃあ、ここにいていいの?」
「責任とってまたしてくれなきゃ、今日のことは許さないにゃ」
 そう言うと、みくの顔が持ち上がる。
 潤んだ瞳で、上気した顔。猫というより、どちらかと迷子の子犬のような顔。
 それを見た瞬間、李衣菜は、完全に落ちてしまった。
「みくちゃん、キスしていい?」
「いまさら?」
 みくはおかしそうに笑う。
 先ほど、何度もしたことだ。軽いものから深いものまで。
「でも、気分的には、これがファーストキスだから」
「ん……じゃあ、いいにゃ」
 そう言うと、みくはまぶたをゆっくりと閉じて、あごを少しだけ持ち上げる。
 李衣菜はそんなみくの頬にそっと手を添え、静かに唇を重ねた。