M氏とGJ部

 M氏は最初、GJ部にはそれほど関心を持っていなかった。
 近年、三ヶ月ごとに大量のアニメが始まっては終わる。M氏にも半分近いアニメを追うようにしていた時期はあったが、最近はそこまで見てはいなかった。一クールの間で、最初から最後まで見た数が片手で数えられるというのはよくあることだ。
 北国ではアニメ視聴が難しいのではないかと思われる方もいらっしゃるだろうが、最近はその環境も改善されている。確かに地上デジタルの局で放送されるアニメは多くはないが、衛星放送やネット配信により、多少のタイムラグはあるものの全国で見られるアニメが増えた。インターネットや衛星放送があれば九割ほどのアニメは見られるだろう、M氏は特に統計などは取っておらず根拠はないが、そのように主張していた。
 そのような中、GJ部は視聴が難しい部類であった。地上波で放送されるのは関東のみの日本テレビで、あとはネット配信である。しかしそのネット配信はニコニコ動画バンダイチャンネルなどメジャーどころではなく、日テレオンデマンドというちょっとマイナーなサイトであった。
 最初の数話は見たものの、他のアニメに比べて視聴のためのハードルが高く、気がつくと見なくなっていた。
 と、そのままフェードアウトするのはよくあることだが、M氏がGJ部にハマることになった一つの事件があった。
 GJ部は全十二話だったのだが、その十二話が放送される直前の週末に、日テレオンデマンドによりそれまでの十一話が生配信されることになった。しかもそれは一度ではなく、二十四時間耐久で、五回もループされることになる。
 シリーズを一回だけ通して配信することならよくあるのだが、そこまでループするというのはあまり例がなかった。M氏は最初の一周が終わる頃にツイッターの情報からその存在を知り、たまたまその直後に始まった二周目から見ることにした。
 とはいえ、集中して見る訳ではなく、ゲームをプレイしながらのゆるい視聴環境である。ゲームをプレイしているついでに流していただけと言ってもいい。
 そこでM氏はGJ部の魅力にとりつかれ、見始めた生配信をそのまま約十二時間視聴し、後にブルーレイや原作書籍を全巻購入することになる。なぜM氏がGJ部にそこまでハマったのか本人にもわからず、うまく言語化して説明することも難しいが、とにかくハマったのだ。
 M氏は、自分と同様に「ネット配信からハマった」というケースをいくつか目撃した。中には「自分には何の取り柄もないので、GJ部を二十四時間連続視聴することでキャラを立てよう」とした者もいたようだが、その人物がその行為を実行したことでキャラを立ててネット上での存在感を得たかどうかは知らない。
 ともかく、M氏にはネット配信を見てからGJ部にハマった、という事実がある。


 M氏がGJ部にハマってから世間を見ると「部長がイラっとする」「部長に腹パンしたい」などという風潮が目についた。
 確かに部長は横暴で、最初の数話しか視聴しなければ主人公への好意があまり見えて来ず、駄ツンデレとしか思えないかも知れない。しかし通してみれば、部長のことが理解できるはずだ。部長をスナック感覚で「腹パンしたい」と言っているのは、ファッションリョナ勢に違いがなかった。
 M氏はそのような「紛い物」が好きではなかった。世の中には腹パンでしか満たされない欲求を腹パンで満たしている本物もいるが、ネットでまとめサイト御輿を担いで「腹パン! 腹パン!」と連呼するような輩は、大抵が本当に腹パンをしたいわけではなく「腹パン」という言葉を使うだけでウケがとれると思っているだけのカジュアル腹パン勢なのだ。ファッションリョナ勢は、実際に虐待を受けた相手がどのようになるかわからないのだ。実際に腹パンされた部長を見せつけてやれば「あ……俺もう、腹パンとかいいです」と言って、それまでの誤りを悔い改めるであろう。
 そう決意したM氏は、部長が可愛そうな目に遭う三編の物語を考えた。アニメの三話で泣いている部長の姿を見て妙な興奮を覚え、自分も部長を泣かせたいと思ったのは事実であったが、使命感が強かった。
 そうしてM氏は、まずは夏のコミックマーケットで、同人誌にすることにした。三編の話にはM氏の中で強さの序列があり、一遍だけが突出して強烈であった。分量的な都合と、その一遍を世に出すのは様子を見てからにしたいと、まずは小手調べとして序列が低いほうから二つの物語を頒布することにしたのであった。


 ――


 M氏は砂漠を旅していた。
 ある日、M氏は砂漠の中にオアシスと集落を見つけ、そこに足を向けた。
 集落にたどり着くと、広場に人だかりがあった。
 その中心には、マオという名の一人の少女がいた。
 人だかりはカジュアル腹パン勢で、マオを取り囲んで「ハラパン」「ハラパン」と言いながら小石を投げていた。
 M氏は激怒し、カジュアル腹パン勢の前でこう宣言した。
「俺が本物を見せてやろう」
 M氏は集落を離れると、大量の石を抱えて戻ってきた。
 そうしてマオに向かい、その漬け物石のようなサイズの石を次々と投げつけた。
「これがお前達カジュアル腹パン勢のやっていたことだ。お前達は人の痛みがわからないようだが、石を投げられた人間がどうなるのか、その目に焼き付けろ!」
 そう叫んで振り返ると、M氏の周りには誰もいなかった。
 カジュアル腹パン勢はいなくなっていた。集落の人間に訊いて回っても「そんな輩は見ていない」「マオに石を投げていたのはお前自身じゃないか」と言われるだけだった。
 カジュアル腹パン勢なんてものがいたと主張しているのはM氏だけだった。カジュアル腹パン勢のことを覚えているのはM氏だけで、M氏はカジュアル腹パン勢を覚えているたった一人の人間として取り残されていた。
 そのうちM氏は、カジュアル腹パン勢という存在が、彼が勝手に作り出した絵空事だったのではないかと、自分自身さえ信じられなくなっていた。
「なんて有様だ」
 M氏は自分自身の行為を振り返り、絶望する。
 ファッションリョナ勢というものが存在したのかはわからない。それはどうあれ、彼自身が、マオを痛めつけていたという事実だけがあった。
 M氏には他者を痛めつけたいという欲求などなかった。ただ痛めつけられているマオを救おうとして、結果的にこうなっただけだった。M氏は精神を追いつめられながら、よかれと思ってやっていたのだが、結局、誰もが不幸に陥っていた。
 M氏が苦悶するうち、季節は夏から冬になっていた。
 そこでM氏は覚醒する。
「最後までやらないと」
 M氏は漬け物石のような石をいくつも投げつけていたが、それはほんの始まりにすぎなかった。最後までやろうとしたことを貫き通せばカジュアル腹パン勢にもわからせることができるのではないだろうか。
 M氏は完全に狂っていた。
「やり遂げよう」という最後に残った道しるべだけを頼りにして、マオに向かって呪文を唱え、集落に隕石を降らせるのであった。