部長ちょうかわいいG 本文サンプル 1

 四ノ宮京夜にとって、その日は平凡な休日だった。
 変わったことといえば、両親と霞が親戚の家に泊まりに行っていることだが、明日の夕方には帰ってくることになっている。
 昼頃まで寝ていた京夜は、インスタントで簡単な昼食をすませた。夕飯は母親が作ったものが冷蔵庫にあり、温めるだけで食べられるので、自分で用意する必要はない。
 今日は家から出かけずに、のんびりと自堕落に過ごそう。京夜はそんな風に思って、普段は妹に占領されているベッドに転がって漫画を読んでいた。
 ちょっとした変化があったのはそんな時だ。
 漫画を開いたままウトウトしていた京夜は、携帯電話の着信音で目を覚ました。ぼんやりとした頭で携帯のディスプレイを見て相手を確認してから、京夜はボタンを押す。
「もしもし?」
「あれあれ、もしかしてお休みでしたか?」
 電話の向こうから聞こえてくるおっとりとした声は、京夜と同じGJ部に所属している天使恵のものだ。
「ちょっと本を読んでいたら居眠りしちゃってさ。ところで今日は、何か用事でもあったの?」
「あっ、そうでした。四ノ宮君、お姉ちゃん知りませんか?」
「ん、部長?」
 部長――天使真央は恵の姉で、GJ部の部長である。京夜が入部した頃から部長で、三年の冬になった今も引き継ぎなどはなく未だに部長である。京夜が出会ってから、真央はずっと部長だったので、名前よりもそう呼ぶほうがしっくりくる。
「部長がどうかしたの?」
「朝から出かけているんですけど、おやつの時間になっても帰ってこないんですよー。今日はお姉ちゃんの楽しみにしていたケーキなので、いつもなら早く帰って森さんに催促するくらいなんです」
「ははっ、そうなんだ」
 真央らしい、京夜はそう感じた。
「電話は通じないの?」
「それが、お姉ちゃんの部屋に置きっぱなしになっていて」
「なるほどね」
 京夜も携帯電話を忘れて出かけたことはあるが、何か大事な連絡がくるんじゃないかと不安になった記憶がある。コンビニなどちょっとした用事なら携帯電話がなくても問題ないが、恵の話によると真央は朝から家をあけていて、夕方になった今も戻っていないとのことだ。恵がわざわざ京夜に連絡をしてきたのは、心配になったからだろう。
「ちょっと、探しに行った方がいいのかなあって思うんですけど」
 真央の性格をよく知る京夜は、電話がないことに気がついたとしても、わざわざ取りに帰らないだろうなと思った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ。部長はあんまり携帯電話を使わないよね。もしかしたら、忘れたことに気づいていないんじゃないのかな」
「そっか。そうかも知れないですねー」
 電話の向こう側の恵の声が、どこかほっとしたような雰囲気になったように京夜は感じた。納得したのだろうか。
 それから少しだけ雑談をしてから電話は終わり、京夜は再びベッドに横になって漫画を読み始めた。


 漫画の内容にのめり込んでいた京夜は、空腹でようやく夜になっていたことに気がついた。
 京夜の他に家には誰もいない。自分の部屋を出た京夜は、開けっ放しだったリビングのカーテンを閉めてから、夕飯を食べることにした。
 母親が作り置きしていた料理を冷蔵庫から出し、温める必要のあるものはレンジで温める。せいぜい五分や十分で準備を終えて、京夜は一人で食事をする。
 バラエティ番組を見ながらのんびりと食事をして、食器を洗ってリビングでくつろいでいると、チャイムが鳴った。
 こんな時間に誰だろう。新聞の勧誘といった来客なら、ちょっとばかり時間が遅い。宅配便か何かだろうか。
 京夜はそんなことを考えながらドアを開け、そのままの姿勢で硬直する。
「ぶ……部長?」
 玄関の外に居たのは、天使真央だった。
 見慣れたコートを着ているが、その姿は一目で「おかしい」と京夜に認識させるのに十分だった。
 まず、髪の毛がぼさぼさに乱れている。頭を洗って乾かさないまま全力疾走でもしたような、そんな印象だ。
 何より違和感があったのは、表情だ。
 うっすらと頬を赤く染め、はにかむように口角を持ち上げ、やや伏し目がちだ。視点は定まらず、京夜の足下のあたりに目を泳がせている。言いたいことがあるのにためらっているような、そういう態度にも見える。
 とにかく、いつも快活でまっすぐな真央とは別人のようだった。
「えと……」
 無言のまま目線をあわせない真央に京夜は戸惑うが、よく観察してみると肩のあたりが小刻みに震えていることに気がつく。
 もう夜で寒くなってきている。もし外にずっといたのなら、体が冷えていても不思議はない。
「入りますか?」
「……」
 真央は無言のままわずかに肩をすくめるような動きをする。どうやら肯定の意味だと判断した京夜は、ドアを開けたまま後ろに下がる。
 そのまま動かないこともありえると考えた京夜だが、真央は黙って玄関の中に入ってきた。足だけで靴を脱ぎ、京夜に続いてリビングに入ってくる。
 京夜が促すままソファーに腰を下ろすが、真央はうつむいたままだ。
「あの……」
 普段とあまりにも違いすぎて、どう対応していいのかわからない。まるで別人と接しているようだ。居心地が悪く、ソファーに座る真央の横で立ちつくす。
 そこでようやく、真央がまだコートを着たままであることに気がつき、京夜は何気なく手を伸ばした。
「っ――」
 突然、真央が動いた。ソファーには座ったままだが、体をよじらせて京夜の手から逃れようとした状態だ。
「ご、ごめ……」
 小声で謝罪の言葉を口にする真央だが、警戒でもしているように、京夜との距離は遠ざかったままだ。
 京夜は喉の渇きを感じる。
「キョロ……」
 真央は蚊の鳴くような声を漏らしながら顔を上げる。
 それで京夜は、真央の顔をはっきりと見ることができた。
 口元は引きつったように横に開き、口角が細かく痙攣している。赤く染まった頬はわずかに腫れているようにも見える。
 そしていつもはきらきらと輝いている瞳は、濁った池の水のように、底の見えない色をしていた。
 真央の態度は明らかに異常で、何かがあったことは明白だった。そしてその「何か」を、京夜はおぼろげながらに察知してしまった。
「あ、その……」
 思わず後ずさりかける京夜に真央が手を伸ばす。腕のあたりにのばされた手は、一瞬ためらうように引っ込んで、指先だけで袖をつまんだ。
「キョロ……わた、私……」
 わずかに目を伏せて、こう続けた。
「犯された」