カムゴル寄稿小説 KKG物語(pixivにも上げました)

「ん……あぁ……?」
 まぶたの向こうに光を感じて目を開けると、それは見慣れた俺の部屋ではなかった。
 頭がズキズキとして、記憶がはっきりとしない。自分がどこにいるのか理解できない。
「そうだ、昨日は……」
 ゆっくりと思い出す。
 昨夜、俺は新幹線で関西にやってきて、飲み会に参加した。メンツはこっちの漫画系クラスタ……まあ、よく会う連中だ。あいつらがイベントのために東京に来ることも多く、こうやって自分が遠征した時にも会うので、あまり遠くに住んでいる気がしない。
 飲み過ぎたせいか、途中からの記憶がはっきりとしない。なんとなくあだち充の話をしたような覚えがあるが……ひょっとするとそれは、別の機会だったかも知れない。
 飲んだ後はゴルゴの家に転がり込んで、サイト巡回している様子を見ながら寝る……というのがいつもの流れだが、昨日はそうはならなかった。
 そうだ、確か――


「山田、見せたい物があるんだ」
 うつらうつらとしていた時にゴルゴがそんな言葉を投げかけてきた。
「見せたい物? 明日じゃ駄目か?」
 興味がなくもないが、それより早く寝たい。
「今じゃないと駄目なんだ」
 家に帰ってきてからのゴルゴは、大勢の人と会う時と違ってサングラスではなく色の入っていない眼鏡をかけている。その奥に見える目が妙に深刻だった。
「やばい物じゃないだろうな」
「まあまあ」
 言葉を濁すゴルゴにわずかに不信感が募る。眠気もあるが、その曖昧な態度のせいであまり気が進まない。
 しかし見せたい物とやらも気にはなる。こいつのことだからきっと漫画がらみのものだろう。知っている中ではこち亀の初版セットや久米田先生のサイン色紙なんかもあるが、改めてこう切り出すということは相当レアなものだろう。
「わかったよ」
 結局は好奇心が勝った。
「で、一体何を見せてくれるってんだ?」
「実はここでは見せられないんだ」
「書庫に行くのか?」
 あまり大きな建物ではないが、ゴルゴはコレクションを集めた書庫を持っている。空調が完備されており、本の保存のために最適な環境が整えられている。こち亀の初版本ももちろんそこにある。
「書庫は書庫なんだけどな……」
「なんだよ、はっきりしねえな」
「――親父のだ」
「親父の、って」
 ゴルゴの家は漫画好きな一家で、ゴルゴだけでなくその父親も書庫を持っている。しかも、許可を取らなければ入れないほどレアな漫画が収納されているらしい。
「たまたま入った時に、すげえ物を見つけたんだ」
 そこまで言うからには、かなりの物だろう。
「いいのか?」
「だから今じゃないと駄目なんだよ」
 そう言ってニヤリと目を細める。悪戯を思いついた子供のような表情だ。
 見せると言っているくせに、どうやら今回は許可を取っていないらしい。要するにそれは、普通では他人に見せることが許されないようなものなのだろう。
 思わずごくりと喉が鳴る。一体それがどんなお宝なのか、想像もできない。
マーベラス。さっさと巡回終わらせろよ、早く行こうぜ」
 俺が立ち上がりながらそう言うと「ちょっと待ってくれ」とゴルゴは笑った。


 二人で部屋を出る。書庫というのは言葉通りの書庫で、この建物とは独立して建てられているものだ。だからそこに行くためには玄関から外に出なければならないのだが、家族に勘付かれてはいけないとのことなので足音を忍ばせる。
 別に外に出ることを知られたとしても、コンビニなどに買い物に行くと思われるだけなのだろうが、こうやって息を潜めることも妙に楽しかった。
「自販機にエロ本買いに行く中学生みたいだな」
 玄関のドアを閉めてから呟く。ゴルゴもそう思ったのか、後ろから忍び笑いが聞こえてくる。
 説明するまでもないことだが、ゴルゴは背後に立たれることを嫌う。それがわかっているので俺が前を歩いている。書庫は敷地の中にあって家からすぐ近くにあるので案内がなくても迷う場所ではない。
「何を見せてくれるんだ? そろそろ教えろよ」
「百聞は一見に如かずっていうだろ。説明するよりそっちの方が早い」
「ケチくせえな。どうせ何かの初版本でも見つけたんだろ?」
 俺の言葉に、背後で息を飲む音が聞こえた。
「お前、たまに鋭いよな」
「たまにってなんだよ。褒めてんのかけなしてんのかわかんねえな」
 初版本ね。
 大抵の出版社はあまり冒険しないもので、売れる見込みがなければ最初はあまり多く刷らない。初版が出てそれっきり重版されない漫画なんて山ほどあるが、当初はほとんど注目されていなかったのに後から人気が出た作品などは、初版がかなりレアになる。
「で、この建物だよな」
 だだっぴろい敷地というわけでもないので、作品の目星すらつかないうちに目的地にたどり着く。
「ああ。開いてるから先に入っていいぞ」
「おまっ、どんだけ準備万端なんだよ」
 最初から俺が見たがると予想していたということか。手の平の上で操られているような気分だが、気心の知れた仲だからとも言える。
 ドアノブに手をかけると、言われた通り鍵はかかっていないのですんなりと開く。
「さてと、それじゃあ拝見するとしますか」
 手を揉みながら書庫の中に入る。そこには――
「え?」
 思っていたのと違う光景に、俺は思わず硬直する。
「おい、これは――」
 振り返ると、ゴルゴは片手に握った細い物を、俺の腕に突き刺してきた。


「目が覚めたか?」
 高い位置から声が聞こえた。見上げるとヒゲを生やしたゴルゴのアゴが――見上げる? 位置関係を考えると、俺はベッドか何かに寝かされているらしい。
 起きあがろうとするが、体に力が入らない。おかしい。寝起きや二日酔いとは感覚が違う。
「お前、一体俺に何をしたんだ?」
「眠ってもらっただけさ」
「眠――」
 事も無げに言われた言葉が一瞬理解できなかった。言葉の意味はわかっているが、まるで外国語で話しかけられたように脳の処理が追いつかない。
 眠らせる。
 フィクションではよくある言葉だが、現実に聞くとにわかには信じられない。
 だが、記憶が途切れる前に、ゴルゴが注射器のような物を刺してきたのは事実だ。もみ合いになってような気もするが、記憶が混濁していてはっきりとしない。
「なんでこんなことをしているのかさっぱりわからないが、見せたい物があるってのは嘘だったのかよ」
「いや、それは本当だ」
「嘘つけよ」
 俺はゴルゴの言葉を即座に否定する。
「電気を点ける前で薄暗かったが、はっきりとわかったぞ」
 今まで入ったことのないゴルゴの父親の書庫で、とんでもないレア物の本を見ることができる――正直に言うと、俺はかなり興奮していた。
 だからあの瞬間のことははっきりと覚えている。
「壁一面の本棚には、一冊の本も入っていなかった」
「ああ、その通りだ」
 ゴルゴは俺の言葉を否定しない。
 それではどういうことだ? 聞いた話では、あの本棚を埋めるくらい貴重な本があったはずだが。あの時俺が入った建物はゴルゴの父親の書庫で間違いないはずだ。何度か泊まっているから知っている。
 訳がわからない。今のこの状況もそうだが、ゴルゴの話は矛盾している。
 しかし俺にはわかってしまう。今の目は、嘘を吐いている時の目ではない。
「まあ、どこから説明するべきか難しいんだが、一つだけ誤解を解いておこう」
「誤解?」
「ああ、俺が見せようとした物を何かの初版本だと勘違いしていたようだが、それは違う」
「でもお前、さっき初版本って俺が言った時に反応していただろ」
「直接見せたいものに繋がるわけじゃないが、かなりのレアものを見つけたのは事実だよ。手塚治虫の『新宝島』――お前も漫画系テキストサイトをやってる人間なら、その価値くらいは知ってるだろ?」
「え、嘘だろ?」
 それは、漫画文化を大きく転換――パラダイムシフトさせた作品だ。それまで短編漫画が主流だった中に突如として登場した長編ストーリー漫画。それまで漫画的な表現でモヤモヤしているだけだと思っていたテニプリのオーラが、実は観客にも見えていたことが発覚した時以上の――いや、そんなのは比較するのもおこがましいな。
 ともかく、学校の授業に漫画史があれば、間違いなく取り上げられるであろう作品だ。復刊されて再版されてはいるが、手塚治虫のデビュー作であることからもわかるように、かなり昔の作品で、初版本はかなり貴重だ。
 いや、貴重どころの話ではない。現存しているものが二冊か三冊しかないと言われている、レア中のレアだ。取り引きすればサラリーマンの年収に匹敵する金が動く。
「十年くらい前に三冊が確認されていた。今は四冊になったわけだ」
 にわかには信じがたい。それが本当ならばニュースに……ネットを騒がせるようなものではなく、テレビで報道されるべき大ニュースになっていたはずだ。
「ま、表沙汰にできるような真っ当な方法で流通してこなかったってことだろ。俺も恐ろしくてどこから入手したかなんて聞けない」
 例え盗品か何かだったとしても、そしてそれを誰にも見せることができなくても、それでも所有したい――そんなコレクターの心はわからなくもない。実行するかどうかは別としてだが。
「まあとにかく、お前に見せたいのはそれじゃないんだよ」
新宝島以上の物があるのかよ」
「ああ……というか、違うんだ」
 苦笑しながらゴルゴは続ける。
「俺が見せたいのは、そもそも本じゃない」
「は?」
 想定外の台詞だった。何か特別な本――新宝島以上の貴重な本なんてこの世にそうそうあるはずもないが――を見せられるものだと今の今まで考えていた。そもそも書庫に来るのに、本以外の物を見せられるなんて思うはずもない。
「じゃあ、なんだ?」
「新しい世界だよ」
「世界?」
 また壮大かつ抽象的な単語が飛び出してきた。
「お前、セカイ系に目覚めたのか?」
「そう言うんじゃないし、別に元々嫌いじゃないけどな。そうじゃなくて――」
 ゴルゴはじっと俺の顔を見下ろしてくる。
「お前を手術して、人生観を変えてやる」
「手術――?」
 その言葉を聞いて、背筋にぞっと冷たい物が駆け抜ける。何となく言いたいことを察知してしまったが、頭がそれを拒否する。思い過ごしであって欲しい。
「言うまでもないと思うが、もちろん性転換だ」
 当たっていた。
 このゴルゴという男は、大の性転換好きだ。性癖的に好きな作品を聞けば真っ先にらんま1/2を挙げてくる。性転換もらんまのように自由自在に入れ替わるものや、かしましのようにずっと女になりっぱなしのもの、二人の男女の中身だけ入れ替わってしまうものなどかなり細分化されるらしいが、ゴルゴはそのほぼ全てをカバーしていたはずだ。
 もちろんその中には、手術による性転換も含まれるのだろう。
「俺がいいと思うシチュエーションの一つに、こういうのがあるんだ」
 こほんと咳払いをする。
「もともと主人公は男だが、何らかの事情があって女になってしまう。まあこの事情は魔法でも薬でもなんでもいい。とにかく、主人公は女になってしまったことを喜ばない。どちらかと言えば嫌がる感じがいいな。だが、女としてセックスをしているうち、だんだんその快楽にハマって、徐々に女であることを受け入れていくんだ」
 ゴルゴはまるで好みの詩を朗読するように、陶然とした浮かべている。
「わかっていると思うが、今俺が話したのが、お前の未来になる」
「女になりたいならお前がなればいいだろ!」
「ちゃんと説明しただろう?」
 ゴルゴはわかってないなあ、といった風に首を傾げる。
「俺は、嫌がるシチュエーションが好きなんだよ。俺じゃあ、最初から受け入れてしまって駄目だ」
「な――」
 イカレてる。
「くそっ、そんなの俺じゃなくてもいいだろ! なんで俺にそんなことするんだよ! 女にした俺を弄びたいのか!?」
「それは違う。俺は、あくまで性転換をしたいんだ。性転換したお前をどうこうしたいわけじゃない」
 わけがわからない。この状況が、ゴルゴの口にする理屈が、その全てが。
「山田、俺はお前の性格をよく知っている。だから、性転換したお前に俺が何かする時、俺はお前の心に湧き上がる感情も大体はわかる。つまり、俺は性転換したお前を通して、自分自身を弄んでいるわけだ。しかもちゃんとそのシチュエーションを嫌がってくれるはずだ。つまり、お前は俺の代わりに性転換してくれ。わかるだろう?」
「……わかんねえよ」
 よく知っていたはずのゴルゴが、まるで別人に見える。そもそも人間と言うより、言葉の通じない宇宙人のようだ。
「さてと、説明も終わったし、そろそろ始めるか。安心しろよ、ちゃんと顔も美人にしてやるから」
「始める? え? 嘘だろ?」
 この場所は病院の病室や手術室ではない。倉庫のような何もない空間だ。とても手術をできるような衛生状況とは思えない。
「どこでも手術をしてくれる、腕のいい医者がいるんだよ。無免許だからお前のことを警察に通報されることもない。ま、かなり足下は見られたけどな」
 ゴルゴはニヤリと笑う。
「俺と親父のコレクション――もちろん、新宝島も売り払うことになったが、後悔はしてないさ」
 ゴルゴの分だけでなく、父親のものまで売るとなると、その金額は計り知れない。以前、ゴルゴの書庫に入った時に見ただけでも、かなりのものが――
「って、ここはまさか!?」
「今さら気付いたのか? ここは俺の書庫だよ。今となっては『元書庫』で、今後はお前の住む場所だ」
 そこまでして得たいのが、俺を通して性転換の疑似体験?
 バカげてる。しかし、こいつにとってはそれが全てを失っても手に入れたいものなのだろう。もう駄目だ。俺にはもうどうすることもできない。
 そこで俺は諦めてしまった。そのすぐ後にやってきた白衣の男に麻酔注射をされても、俺は抵抗らしい抵抗ができなかった。
 薬が効いてぼんやりとする意識の中、ベッドに寝かされたまま顔面の半分が浅黒い医者の淡々と準備を進める表情を見上げながら、ゴルゴに聞かされた未来予想図を想像していた。