今日の長門有希SS

「すいません、みなさんのアドレスを教えていただけませんか?」
 ある日の放課後のこと、授業時間の関係で一足遅くやってきた古泉がそんな言葉を口にした。その手には見慣れた携帯が握られている。
「念のため聞くが、アドレスって携帯のか?」
「ええ」
 携帯を持っているのだから当然じゃないですか、と言わんばかりの顔だ。古泉と俺の関係が一般的な友人と言っていいかはまず置いておくとして、お互いアドレスを知らない仲じゃない。他の団員だって同様だろう。
 今までこいつから連絡が来たことは少なくなく、そういう時は大抵何らかのトラブルが起きている。ハルヒがらみのな。
 ともかく、少なくとも既に俺の携帯には古泉のアドレスが登録されているし、古泉の携帯にだってそうだ。まさか、毎回数字を打ち込んでいるわけでもあるまい。
「実は携帯が故障でアドレス帳やその他のデータが消えてしまいました。電源が入らなくなりまして、修理に出したら直ったのはいいものの、データがそっくり消えてしまいまして」
「ああ、そういうことか」
 それなら納得できる。携帯のアドレスは大抵、携帯を持っている時に教えあうもので、その携帯のメモリが消滅してしまえば残らない。希に紙にメモして教えることだってなくもないが、そんなものは登録した後に紛失してしまうのがオチだ。
「ネットにアドレス帳を保存してなかったの?」
「お恥ずかしながら、消えた時の備えを怠っていました」
「ふうん、古泉くんはそういうのしっかりやってそうだと思ったけど」
 言いながらハルヒは携帯を取り出し、ぽちぽちと操作する。
「ねえキョン、赤外線送信ってどうやるんだっけ」
「俺がお前の機種の操作法を知っているわけないだろ」
 携帯の操作法は機種によって異なる。同じメーカーのものなら似たような仕様になっていることもあるが、それでも全く同じにはなっていない。だから、他人の携帯を上手に操作できるのは、それが同じ機種である場合に限る。
「あたしはあんたの携帯ならそれなりに操作できるわよ」
「なんでだよ」
「団長はそれくらいできて当然なのよ。有事の際にあんたの携帯を操作しなきゃならないことだってありうるでしょ」
 有事の際には電話をかけるくらいしか使わないと思うけどな。
「あ、あったわ。じゃあ古泉くん、受信モードにしてくれる?」
「ええと、ちょっとお待ち頂けますか? 普段あまり使わない機能ですから、なかなか見つからなくて」
 よくあることだ。ちなみにハルヒから少し遅れて俺も赤外線送信機能を発見したが、古泉のほうの準備が整うまで待たなければならない。
「あ、あのぅ、あたしも赤外線っていうのがどこにあるのかわからなくて……」
 そう言うのは朝比奈さんだ。未来人でありながら――いや、ことによると未来人であるが故に朝比奈さんは機械にあまり強くなく、携帯の機能だって満足に使いこなしているとは思えない。赤外線機能が見つけられなくても全然不思議はない。
「では、朝比奈さんは僕の携帯にメールを送っていただけますか? 本文に電話番号を入れて頂けると同時に登録ができますので、それでお願いします」
「わかりましたぁ」
 さすがにメール機能くらいは使いこなせるだろう。しかし、朝比奈さんはぴたりと手を止める。
「えっとぉ、何番だっけ……」
 まあ、自分自身の電話番号やアドレスを覚えていない人間もそれほど珍しくはない。
「わからなければ、あとでワンコールしていただければ大丈夫ですよ」
「あ、そっかぁ」
 二度手間だが問題はない。どうせ登録に手間がかかるのは古泉だ。
「ところで古泉、赤外線はまだ見つからないのか」
「申し訳ありません。ここに向けて受信することはわかっているのですが、肝心の操作法が……」
「貸して」
 そう言うと、いつの間にか近くに来ていた長門が古泉の手から携帯をひったくる。カチカチと操作してからそれを返した。
「これでいい」
「赤外線の画面にはなっていないようですが」
「メモリを直した。これで赤外線機能を使う必要はない」


「消えたメモリを直接復活させる方法はなかった」
 帰り道、古泉のアドレス帳をどうやって元に戻したのかたずねると長門はそう返答した。
「じゃあどうやったんだ?」
「故障する直前の状態に携帯電話を戻した」
「なるほどな」
 その時点ならばアドレス帳は無事だ。もし直ってから追加したアドレスがあれば消えてしまうことになるが、もしそういう相手がいたとしても携帯がなくても連絡を取れる相手ということになるので、またすぐに登録できるだろう。そんな相手がいるのかは知らないが。
 ともかく、ハルヒがいる前でそんなデメリットがあることを説明するのは無理だ。そもそも直したこと自体が危険だが、長門ならなんとなく直せるだろうと納得してくれたので助かった。
「ま、これで一件落着か」
「そう」


 故障する直前に戻された携帯は解散する前に再び故障することになるのだが、その時の俺たちは気づいていなかったのだった。