今日の長門有希SS

キョン、ちょっと来てくれる?」
 放課後の部室、いつものようにダラダラと過ごしていた時、ハルヒから声がかかった。
「なんだ、今手が離せないんだ」
 古泉と勝負の真っ最中だった。こいつはあらゆるゲームに弱く長考に入ることが多いので、どちらかといえば暇な時間が多いはずだが、今は違う。
 スピードというゲームをご存じだろうか。トランプを使って行われるゲームで、まず全ての札を半分に分けたものを二人が持つ。そこから四枚を手元に並べ、そして中央にそれぞれ一枚ずつ、合計二枚を出す。
 この、中央の二枚が山となる。手札に置かれた四枚の中に、どちらかの山にあるカードと数字が一だけ上か下にずれたカードがあれば、その上に出すことができる。もちろん相手に先に出されて山の数字が変わってしまえばそれで出せなくなるわけで、名前の通りスピードが重要な――
「あたしも手が離せないのよ!」
「わかったよ」
 カードを置き、俺は立ち上がる。古泉との勝負は何度も繰り返されているもので、一ゲームくらいやろうがやるまいがどうでもいい。
「なんだ」
 モニタを覗き込むと、何やらパズルゲームのような画面が動いている。何をしたいのかわからないがポーズすればいいだろうが。
「オンライン対戦なのよ」
「はいはい。で、俺に何をしろってんだ」
「あたしの鞄開けて」
 その言葉に驚く。まあ学校に持ってくるような鞄に大した物は入れちゃいないだろうが、そこは一種のプライベート空間だ。携帯電話のメモリを見るほどじゃないが、人の鞄を開けるのに抵抗はある。
「あたしがいいって言ってんのよ。早くして」
 本人がそう言うのなら仕方ないな。俺はハルヒの鞄を持ち上げ、開ける。
「で、何を出せばいいんだ?」
「お菓子があるでしょ」
 教科書やノートをかき分けると、確かにカラフルな包装が見えた。引っ張り出すと、それは十円で売られていることでお馴染みの、棒状の駄菓子だ。
「食べさせて」
 何を言っているんだお前は。
「手が離せないって言ってんでしょ。それに、お腹が空いて力が出ないわ」
 どこかの愛と勇気だけが友達の正義の味方みたいなことを言いやがる。
 まあ、ハルヒに反抗するのはもう無駄であると俺は理解している。包装をぴりぴりと開けると、真ん中からぽっきりと折れているのがわかる。
「折れてるぞ」
「別にいいわよ。味は変わらないし」
 ハルヒは「あーん」と口を開ける。やれやれ。
「ほらよ」
 折れた片方を指でつまみ、棒をハルヒの口にゆっくりと近づける。口腔に吸い込まれてから、遅れてハルヒが口を閉じる。
 サク。
 わずかな振動が指に伝わる。
 サク、サク。
 ハルヒが口を動かすと、徐々に棒が小さくなっていく。サク、サク。
「なんか、こうしていると思い出すな」
「あによ?」
「鉛筆削り」
 もしくは、野生動物の餌付けだ。そんなことをした経験はないが。
 やがて棒はほとんどなくなる。最後のひとかけらをどう食わせようかなと思った時、ハルヒの口は俺の指まで飲み込んだ。
「な――」
 ハルヒは俺の指を唇で挟み込み、舌でぺろぺろと表面をこする。
「舐めるな」
「粉が残ってんのよ。どっちかと言えば、粉の方が本体じゃない?」
 それについては同意する。もしこの表面の粉末が販売されたら、調味料としては優秀なのではないだろうか。
 ともかく、それで半分がなくなる。
「残りも」
「ほらよ」
「袋から出しなさい。あんた、あたしにビニールを食わせようっての?」
「内側にも粉があるぞ。こっちが本体なんだから、食って舐めればいいだろ」
「そんな貧乏くさい真似ができると思ってんの?」
 指を舐めるのは貧乏くさくないのか。
「袋についた粉は、こう、あんたが指ですくってあたしに舐めさせなさい」
 どんなだよ。


 ともかく、ハルヒの餌付けが終わり、俺は廊下に出てから戻ってきた。トイレに向かったわけではなく、ハルヒに舐められた手を洗いたかったからだ。ハルヒのだ液だけでなく、お菓子についていた油分も酷かった。
「戻ったぞ。それじゃあ、続きをやるか」
 古泉の前に座り、改めてトランプの点を切っていると、
「わたしにも食べさせて欲しい」
 そう言う長門の目の前には、ハルヒに食わせたものと同じタイプのお菓子がある。
「わたしも読書中で手が離せない。涼宮ハルヒと時と事情は同じ」
「ああ」
 横目で見ると、ハルヒは俺を睨むようにしていたが、何も言ってこない。まあ、長門を止めるくらいなら、先ほどのハルヒの行為もおかしかったということになるからな。
「ん?」
 袋を持ち上げると、開けなくてもわかった。
「折れてる……ってか、潰れてないか?」
「わたしも鞄に入れていたから」
 ぴりぴりと包装を開けると、中身は潰れているどころか、粉砕されたような状態になっていた。一つ一つがパン粉くらいのサイズまで分割されている。
「あーん」
 長門が口を開ける。どうすりゃいいんだよ、これ。
「指でつまんで食べさせて」
 じっと俺の顔を見上げてくる。わずかに見える怒りの色に、俺は反論できない。
「……わかった」
 あとでハルヒに何を言われるか……そう思いながら長門の望みを叶えることにした。