今日の長門有希SS

 当然のことだが、人間には体毛がある。髪やヒゲや下半身、はたまたわきの下などが代表的なところだが、それ以外でも様々な部分に生えている。腕やすね、胸や背中、それらはまだメジャーな部類で、細かいところでは手の指や甲、それと同じのは足にも存在する。
 とまあ、体毛はあらゆる場所に生えており、厳密には人間と違うが人間を模している長門だって同じことだ。あまり濃くはないが、肌に触れるとわずかに産毛の感触がある。
 しかし、毛とは難儀なものだ。本来は野生動物のように体を守るために存在していたが、服を着るようになった今は不要だ。人間は裸で木々の中をうろついて怪我をすることもないし、暑さ寒さも調整できる。文明とは素晴らしいものだ。
 いや、裸で自然の中に身を投じることも全くないとは言えない。世の中にはそのような行為に喜びを見いだす者も存在し、俺にもその喜びは理解できなくもないからだ。
 それはさておき、人間に体毛は付き物であるが、不要ではある。いきなりなくなると困るので髪や顔の毛くらいはあってもいいが、他の部分はなくなってしまっても大きな問題ない。特にヒゲは、毎日のように剃らねばならないので、どちらかと言えばなくなって欲しい類に分類される。
 他にもなくていいような毛は体の至る所にある。今、長門が触れているのも、そんな毛のうちの一本だった。
「……」
 長門は無言で俺の肩のあたりに触れている。正確には肩から伸びている一本の毛をつまんでいる。
 人間の全身にはいたるところに毛が生えているわけだが、たまにその一本が長く伸びてしまうことがある。ホクロから生えている場合が多いが、そうでない部分からもまれにそうなることがある。長門が触れているのはそれだ。
「気になるか?」
「ちょっとだけ」
 ぴろぴろと弄びながら長門が答える。別に引っ張っているわけではないので痛くもかゆくもないが、ちょっとだけこそばゆい。
「抜いてもいいぞ」
「抜かない方がいい」
 こういう毛は縁起物と言われている。長門がそういった迷信を口にするのは珍しい。
「ホクロの場合、毛を抜くことにより刺激が加えられ、悪性腫瘍になる可能性がある」
「そうじゃない場合は?」
「その場合でも、無闇に毛根に刺激を加えるべきではない。少なくとも、今より毛が太くなる」
「嬉しくない状況だな。どうにかできないのか?」
「できなくもない」
 それができるのなら、すぐにでもやって欲しいもんだ。
「わかった」
 長門は右手の平を少しだけへこませ、俺の肩に触れる。吸盤が密着したような感触だ。
 そのまま長門が手を離すと、俺の肩の表面が外れた。
「な――」
 長門は右手を自分の顔の方に返し、左手でその表面から小さい何かをつまむ。ぷちぷちと、セーターの表面から毛玉をとるような動きをしてから、長門は右手をまた俺の肩に密着させた。
「これでいい」
「ちょっと待て。お前、俺の肩に何をしたんだ」
「毛根を取り外した。表面から毛を引っ張るのでは取れない」
「だから裏側から取ったのか」
「そう」
「他に方法はなかったのか」
 長門なら、人間の毛を生えなくさせることくらい可能だと思うが。
「自然の摂理に反する」
「肩の表面を外すのはいいのか」
 自然の摂理より、物理法則には反していると思うが。
「人間の体は、分子レベルは完全に結合しているわけではない。肩の表面だけ、分子が分離してわたしの手に密着してきた。それだけのこと。似たような事例では、人体が壁を通過する現象。壁の分子の隙間を人体の分子が通過すれば、物理的には不可能ではない」
「そうかい。まあ、別に壁抜けはやらなくてもいいからな」
「残念」
 そんなのをハルヒに見られたら、また余計なトラブルを生み出しかねない。
「二人ならば問題ない?」
「まあ、わざわざやらなくてもいいぞ」
「同じ技術を応用すれば、避妊具の分子結合の間を、体液の分子が通過するような処置が可能」
「避妊の意味がなくなるじゃないか」
「精液を通過し、精子だけをブロックすることは可能。どうする?」
 つまり、それ以外の液体は素通りするわけか。
「悪くはないな」
「わかった」


 その夜、長門が「精液と精子を間違えた」と呟き、大変なことになるのだが、それはまた別の話だ。