今日の長門有希SS

 当然のことであるが、生まれたばかりの人間は自分で動くことができない。仮に歩けるようになっても、安全のために行動範囲は狭められているものであり、自由に動き回れるようになるまでにそれなりの年月を要する。
 そして、自転車に乗れるようになれば離れた場所に行けるようになるし、交通機関を使えばもっと遠くに行ける。成長することで行動の幅は広がる。
 だが、その逆に成長するとできなくなることもある。食事の好みが変われば、かつて美味しいと思った物が食べられなくなる。まあ、どちらかというと、成長することで食べられる物の方が多いが、切り捨てられるものも確実に存在する。
 そして、大抵の者は成長することで虫から遠ざかる。大人でもカブトムシやクワガタを収集する者はいるが、自らそれを捕まえに行く奴は少ないだろう。高校生にもなれば虫取り編みを持って駆け回ることは……俺たちSOS団の中では起きなくもないが、普通はやらない。
 そういうデパートなどで買える虫はともかく、そうでない虫の話だ。子供の頃は蜘蛛の巣に引っかかっても平気だったし、蟻を素手で触ったりしたものだが、今となってはそれらはできるだけ触りたくない。不潔であるということとはまた別の話で、昔に比べてそれらを気色悪いと感じるようになってしまったからだ。
 だから、高校生にもなってしまうと虫を避けるようになる。
「おわっ」
 だから、それが突然現れれば、声を出しても不思議じゃない。長門は首を傾げ「どうかした?」と不思議そうにしているけどな。
「蛾がいたからな」
 さて、俺たちがいるのはマンションの自転車置き場である。買い物が終わって長門の部屋に向かおうとしたところで俺は足下に蛾がいることに気が付き、思わず声を上げてしまったわけだ。
 茶色のそれは、一見すると落ち葉のようで、あやうく踏んでしまうところだった。別に虫の命が云々と言うわけではないが、蛾を踏んでしまうのはあまり心地のいいものではない。靴に貼り付いてしまうしな。
「蛾ではない」
 と言うと、長門は俺の足下に屈み込み、それを指でつまむ。
 長門は蛾の半分……ではなく、重なっていた落ち葉の一枚を持ち上げて俺に示す。確かにそれは落ち葉だ。たまたま二枚重なっていたのが蛾に見えていたわけか。
「なんだ、そうだったのか」
 じっくりと見ればわかるものでも、一瞬では見間違えることがある。
 今回は葉っぱが虫に見えたわけだが、その逆も起こりうる。落ち葉や枝に見せかけることで外的から身を守る虫だ。これは虫以外にも様々な動物が取り入れており、色が変わる魚介類や、迷彩柄を身に付ける人間なんてのもそうだ。これらは擬態と呼ばれる。
 ともかく、蛾でなければ一安心だ。俺は気を取り直して足を踏み出し――長門に手を引かれることになった。
「どうした?」
 長門は俺の足下に屈み込み、今度は枯れ葉の中に手を入れる。
 つまみ上げると、一枚のはずの枯れ葉が連なっている。
「カレハカマキリ」
 よく見るとそれには細い足があった。長門が言うなら、それは虫なのだろう。擬態するタイプの。
「主に東南アジアを中心に生息している」
「なんでそんなもんがいるんだよ」
「わからない」
 ともかく、俺はなるべく落ち葉を踏まないようにして、長門の部屋に向かった。


 後日、例のカマキリは喜緑さんのペットが逃げ出したものであることが判明するのだが、それはまた別の話だ。