今日の長門有希SS

「おっと」
 学校からの帰り道、例のごとく五人で駅に向かっていたのだが、不意に手を握られ声を出してしまった。
「……何やってんのよキョン
 背後からの声に振り返ると、ハルヒは寒冷地のように冷たく、熱帯地方のように湿度の高い目で俺を睨みつけていた。
 ハルヒは俺に対し叱責をしているわけだが、俺自体は何もしていない。どちらかというと何かされているほうで、その手の先を辿る。
「……」
 長門が無言で俺の手を握っている。手というか、手首というか、そのあたりだ。ハルヒの前で指を絡めるような握り方をしてこなかったことにホッとする。
「どうしたんだ、長門
「危なかった」
「危ない?」
 手を引かれた時、近くを車や自転車などが通っていたわけでもない。登下校で通る道だが、時間が遅いせいか周囲に他の生徒すらいない。
「足下に動物でもいたのか?」
「違う」
 長門は手を引いたまま、俺の横に並び、目の前に手をかざして上下に動かす。
「これで大丈夫」
「一体、何があったんだ」
蜘蛛の糸があった」
「そうか」
 あのまま放置すれば、先頭を歩く俺の顔に触れる位置だったそうな。直前になってそれに気づいた長門が咄嗟に俺の手を掴んだわけだ。蜘蛛の巣が体や顔についたことはあるが、あれは心地のいいものではない。仮に蜘蛛そのものまで体に付着したらと思うとぞっとする。
「と、言うわけだ」
 改めて顔を向けると、ハルヒは頬を膨らませ口を尖らせていた。
「あんたが不注意なのが悪いのよ」
「普通、歩いていて蜘蛛の糸なんて見えるはずがないだろ」
「その後ろの有希には見えたじゃない」
 長門は特別だ、と言いそうになったが俺は口をつぐむ。もし言葉にしてしまえばハルヒが追求してくるのは間違いないし、下手をすれば長門がいわゆる普通の人間ではないことを察知されてしまう。
「悪かったよ。考え事をしてたんだ」
「仕方ないわね」
 ふうと一息ついてから、ハルヒは俺の隣に並ぶ。
「有希にばかりキョンのお守りをさせるわけにもいかないし、今度何かあったらあたしがなんとかするわ」
「好きにしてくれ」
 肩を落としてそう口にする俺を、長門は無表情で見ていた。


 そこから大して歩かないうちに「危ない!」と言ってハルヒが手を掴んだ。
「小石が転がってるわ。あんたのことだから、踏んで転ぶかと思って」
「今時、小学生でもそんな転び方しないだろ」
「念のためよ」
「わかったよ、ありがとな」
「どういたしまして」
 更に少々。
「待って!」
「今度はなんだ」
「枯れ葉ってけっこう滑るのよ。気を付けなさい」
 歩道には葉っぱが何枚か落ちているわけだが、そんなもので転んだことなどない。足を取られたことがないとは言わないが。
「人生で初めて葉っぱで転ぶ体験をしたいの?」
 したくはないが。
「じゃあ、あたしに感謝しなさい」
「……ありがとよ」
「それでいいのよ」
 更に歩く。横に並ぶハルヒは、上下左右とキョロキョロ視線を動かしており、非常に落ち着きがない。親戚の家での妹を見ているかのような心境になる。
「おっと」
 そんな折、また俺は手を引かれる。
 ただし今回はハルヒとは反対側の手だ。
 そこにいるのは長門で、突然の行動に俺だけでなくハルヒも口をぽかんを開けている。
「蟻を踏みそうだった」
「な……なによそれ、別に危なくないじゃない」
「一寸の虫にも五分の魂。生類憐れみの令」
 いつの時代だよ。


 と、そんな風にハルヒ長門に何度も手を引かれ、解散場所に着いた頃には真っ暗になっていた。