今日の長門有希SS

 世の中には様々な迷信がある。酢を飲めば体がやわらかくなるとか、牛乳を飲めば背が伸びたり胸が大きくなるといった話は誰もが聞いたことがあるだろう。これらの迷信には科学的根拠がないものが多いばかりでなく、逆効果になってしまうものもある。
 もちろん全ての迷信が悪い物ではない。食事の後に寝ると牛になるというのは、実際には牛になるはずなどないが、眠ってしまって消化能力を落としてしまうことを防ぐための迷信だと言えよう。
 ともかく、迷信というのは数多く存在しているわけだ。


「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
 今回、長門が口にしたのも有名な迷信のうちの一つだった。学校にいる間からなんとなく爪が伸びていると気づいていて、部屋にやってきたところで早速爪切りを使おうと思ったのだが、その俺に対し長門が口にしたのが先の台詞だ。
「今は意味のない迷信だろ」
「……」
 長門は首を傾げる。
「その迷信ができたのはまだ電灯なんてなかった頃だ。暗い中で爪を切ると怪我をしてしまうこともあるから、それを防ぐための迷信じゃないのか」
 ぱちん、と音が鳴る。この爪切りは金属の本体をプラスチックのカバーが覆っているもので、切った爪はそこに溜まる。
「昔はこんな便利な爪切りもなかったし、紙でも敷いて切った爪を溜めていたんだろう。暗いとそれが床に落ちても気づかないから、後で踏んでしまうこともある」
「理解した」
「部屋が明るく便利な道具のある現代には意味のない迷信ってわけだ」
 だから、夜に爪を切るデメリットは、今となっては存在しないと言ってもいい。
「どっちかと言うと、爪が長い方が問題があるだろう?」
「……」
 問いかけると、無言で首を縦に振って答えた。性的な場合か、そうでないかを問わず、俺は長門に触れることが多い。若く健康的な男女が交際しているのだ、当然だろう?
「切った後にヤスリを」
「わかってるよ」
 爪を切った直後は尖った部分ができてしまうのもよくあることで、そのまま長門に触れると傷つけてしまうこともあり得る。それを削り落とすのはマナーと言える。
 なお、早い時間に爪を切っていたのは、食事をしたり風呂に入ったりしている間にその棘のようなものがなめらかになるのを期待してのことだったりもする。ヤスリをかけることによって備えも万全だ。
「でも」
 長門が口を開く。
「こんな時間に、ここで爪を切っているのは、その迷信を実現させる確率を上げているとも言える」
「どういうことだ?」
 なぜ、夜に長門の部屋で爪を切っていると、親の死に目に会えなくなると言うのか。
「ほぼ毎日、学校が終わってから家に帰らなければ、必然的に家族と接する時間も減少するから」
「なるほどな」
 親の生死はともかく、もう少し家に帰るべきなのだろう。だが長門と過ごしたいのも事実だ。
「それならいい案がある」
「なんだ」
「わたしがあなたの家で寝泊まりすればいい」
 そのような機会がなかったわけでもないし、妹や母親もいい印象を持っているが、さすがに実家に泊めるのはどうなんだ。独り暮らしならともかく。
「善処する」
「わかった」


 その翌日から、長門は通学用の鞄にお泊まりセットを忍ばせる機会が増えるわけだが、それはまた別の話だ。