今日の長門有希SS

 放課後、全ての授業から解放された俺だが、そのまま帰ることはできない。SOS団の活動は毎日あり、これから俺は文芸部の部室に向かわねばならない。
 だが、終わったら即行かなければならないかと言うと、そうとも限らない。掃除当番や用事を済ませてから行っても、小言を言われることもなくはないが、少なくとも激怒されるわけじゃない。
 俺が教室を出たのは、十五分くらい経ってからだろうか。谷口や国木田が教室を出るまで足らない話をしていたわけだが、その頃にはハルヒの姿は消えており、俺は一人で廊下を歩いている。
 ちなみに部室に到着しても、すぐに入れるとは限らない。ハルヒの言いつけを守ってメイド服に着替える朝比奈さんを待たねばならない時もあるからだ。メイド姿の朝比奈さんを見ると授業で失った精神力を回復させることができるが、そのために寒い廊下で待たされるのはあまり喜ばしいこととは言えない。
 ともかく、着替えに鉢合わせないために俺は部室に到着した際にノックを義務づけられているわけだが、その必要がないこともある。例えばそれはドアの外に古泉が立っていた場合であり、着替え中であることが一目瞭然なので俺がノックをすることはない。もちろん、俺が待っている時の古泉も同様だ。
「ん?」
 部室の前に到着すると先客がいた。先に述べたように古泉なら無言で横に並ぶだけだが、そこにいたのは別の人物だった。
「何やってんだ」
「しー!」
 話しかけると、ハルヒは指を口の前に立てて俺を睨みつける。大声を出すなと言いたいらしいが、理由がわからない。
「どうしたんだよ」
 ハルヒの耳に顔を近づけ、小声で話しかける。ハルヒは驚いたように体を離してから、しばらく俺の顔を睨み、それから俺の耳に口を近づける。
「中でみくるちゃんが寝てるのよ」
 起こさないように、という配慮らしい。朝比奈さんはハルヒのことで気苦労が絶えないだろうし、疲れてうたた寝をしてしまうのもおかしくない。そもそも学校は睡眠によく適した空間なのだ。
「で、どうするんだ」
「もう少し寝かせてあげましょう」
 どれくらい待つつもりなのかはわからないが、たまには休んでいただくのもいいだろう。
 それからほどなくして、長門が到着した。
「……」
 俺とハルヒが話をするわけでもなく、ただ壁にもたれているのを不思議に思っているのだろう。
「朝比奈さんが寝ているから起こさないようにしたいんだ」
「そう」
 長門は俺の隣、床にぺたんと腰を下ろすと鞄から本を取り出して読み始めた。相変わらずの分厚いハードカバーだ。
「ま……けっこう眠れたと思うし、そろそろ起こしてもいいわよね」
 ハルヒがどれくらい待っていたのかわからないが、そろそろ体も冷えてきたし、頃合いと言えなくもない。読書を始めたばかりの長門にとっては、読み始める前に移動しておいて欲しかったのかも知れないが。
「じゃあ入りましょ」
 と言うと、ハルヒはノブに手をかけて回す。
「ふぇ?」
 朝比奈さんと目が合った。俺たちが待っている間に目を覚ましていたらしい。
 事態を把握できていないようで、きょとんと目を丸くしていたが、俺の顔を見つめたままぼっと赤面する。
 その理由は簡単で、朝比奈さんが今まさにメイド服に袖を通そうとしているからだ。
キョン! みくるちゃんになんてことしてるのよ!」
 なんて理不尽な、無造作にドアを開けたのはお前じゃないか。そりゃ寝ていた朝比奈さんが目を覚まして着替えをしているなんて思いも寄らなかっただろうが、俺を攻めるのは明らかにおかしい。
 口を開く前に、俺の視界が黒く染まる。顔に圧迫される感触。
 どうやら長門の手が俺の視界を遮っているらしい。ハルヒは目の前にいたわけだし、朝比奈さんの手が届くわけもない。届いたら未来人ではない妖怪の類だ。
「あなたが悪い」
 耳元でそう聞こえた直後、ぐきりと音がした。


 その日、俺は寝るまでずっと左側に顔を向けたままだった。