今日の長門有希SS

 放課後、部室の前に到着した俺はドアをノックする。
「ちょっと待ってなさい」
「ああ」
 中から返ってきた声に答えて俺は壁にもたれる。今、この中では朝比奈さんの着替えが行われているのだろう。
 メイド服で給仕をするように、というハルヒのふざけた言いつけを朝比奈さんは律儀に守り続けている。部室の中で朝比奈さんのメイド服姿を見るのも、こうして廊下で着替えを待つのもすっかり慣れてしまった。
「やあ、どうも」
 遅れてやって来た古泉が隣に並ぶ。
「いい天気ですね」
「そうだな」
 古泉の言葉は顔に貼り付いた笑顔と同じくらい薄っぺらい。天気の話題というのは、初対面の相手にでもできる定番のものだ。
「今日、体育があったんですよ」
「何をやったんだ?」
「マラソンです。晴れていたので、校舎の周りを何周かしました」
「じゃあ必ずしもいい天気とは言えなかったんじゃないのか、お前のクラスにとって」
「そうかも知れません」
 本当にどうでもいい話題だ。
「お待たせ、もういいわよ」
 話しているうち、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「おや」
 古泉が立ち止まる。中にいた朝比奈さんが制服から着替えていたのは予想通りだったが、その衣装が予想外だった。
「今日はナースですか」
 メイド以外の衣装は珍しいが、今までになかったわけでもない。
「あ、古泉くんゲームとかいいから早く座って」
「はあ」
 ハルヒにそう言われ、古泉は何も取らずに俺の正面に座る。恐らく、朝比奈さんがメイド服ではなくナース姿なのも意味があるのだと思うが、一体こいつは何がしたいのだろうか。またおかしな騒動にならなければいいが。
「どうぞ」
 目の前に朝比奈さんがティーカップを置く。だが俺たちはそれに手を付けず、ハルヒの言葉を待つ。
「ん、なんで飲まないのよ」
「何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「ま、確かにあるけど、それ飲んでから聞くわ」
 思わず古泉と顔を見合わせてしまう。つまりハルヒは一服しろと言っているわけで、その意図が全くわからない。
「ほら、さっさとしなさい」
「わかったよ」
 ハルヒの狙いは未だにわからないが、言い出す前に促すとろくな事にはならない。俺たちは黙って紅茶を飲む。
 なお、部室にはハルヒや朝比奈さんだけでなく長門もいた。その長門も読書を中断して紅茶を傾けている。
「どうだった?」
「何がだ」
「お茶よ、いつもと感じ違った?」
 正直なところ、ハルヒの企みについて考えていたせいで、お茶の味なんてわからなかった。さすがに紅茶だったことはわかっているが仮に葉っぱの種類を聞かれても困る。
「あの、いつもと同じ葉っぱなんですけど」
 朝比奈さんが戸惑った表情を浮かべてそう言う。どうやら、ハルヒの意図は朝比奈さんも知らないらしい。
「そんなことはいいのよ。今回、問題としているのはお茶の味そのものじゃなくて衣装よ」
「衣装?」
 確かに朝比奈さんはナース姿で、見慣れたメイド服ではない。それが一体どうしたというのだ。
「あたし思ったのよ。メイドカフェってもうありふれちゃって目新しさがないじゃない?」
「それほどありふれた存在だとは思わないが、テレビなんかでも紹介されて今さら驚かない代物にはなっているな」
「で、それに替わる新しいカフェを模索したわけ。その一つがナースカフェ。お客さんは患者になってナースさんにご奉仕されるのよ」
「悪いが、お前が何を言っているのかさっぱり理解できない」
「だからみくるちゃんにナース服を着てもらってあんたや古泉くんで試してるのよ。で、ナースに紅茶を入れてもらってどんな気分だった?」
「いつもと同じだ」
 衣装は確かに普段と違ったが、コスプレをした朝比奈さんにお茶を淹れてもらうことに慣れてしまった俺には特別な感慨はない。相変わらずの部室だしな。
「ふうん、内装を病室っぽくすればいいのかしら」
「客をベッドにでも寝かせる気か」
「いいアイディアね、たまにはやるじゃないキョン
 こんなに褒められて嬉しくなかったことは他にない。
 しかし、そんな入院患者のような環境で喜ぶ客がいるとは思えないけどな。
「ま、空気の読めないキョンはいいとして、古泉くんはいつもと違う感じとかなかった?」
「申し訳ありません。事前に意図がわかっていれば気を付けたのですが、違いを感じ取ることはできませんでした」
「そっか。ナースはいまいちだったかしら」
 頭をぽりぽりと掻きながら、ハルヒは視線を移動させる。
 その先にあるのは朝比奈さんの制服などがかかったハンガーラックで、他にも何着か衣装がかけられている。
「バニーカフェとか……」
「カフェより飲み屋になるんじゃないのかそれだと」
 もちろん俺は未成年であり、そのような店には行ったことはないけどな。
「そっか、バニーはもともと接客用だし、意味ないわね……」
 腕を組み、ハルヒはぶつぶつと呟く。
「残った衣装は……ああ、あれがあったじゃない」


「どうぞ」
「……ありがとうございます」
 くぐもった声に俺はそう返す。目の前にいるのは朝比奈さんだが、ぱっと見てその人物が朝比奈さんであるという証拠はどこにもない。
 目の前にいるのは、いつぞやバイト代としてもらってきたカエルの着ぐるみだった。
「どうですか?」
 紅茶を傾ける俺に声がかかる。
「け、けっこうなお手前で」
 中身が朝比奈さんだとわかっていても、こう巨大な頭部が近づいてくると威圧感がある。常に無表情なのがポイントだ。
キョン、いいから味をレポートしてちょうだい」
「普段通りだな」
 ハルヒの意図が明確になっているので今回は紅茶を味わって飲むことができたが、衣装で味が変わることはなかった。
「ま、キョンみたいな唐変木には期待してなかったけどさ。古泉くんは?」
「そうですね……僕も特に味が変わったとは思いません。ですが、着ぐるみを身につけたまま普段通りの味を出せるということを考えると、朝比奈さんの技術は本当に素晴らしいと思います」
 言われてみればそうだな。
「新しいカフェはやっぱり難しいのかしらね」
 ふうとハルヒが溜息をつく。ま、行くところにいけばメイド以外にも様々なカフェが存在しているようだが、よけない知恵を付けさせる気はないので俺は口をつぐむ。
 沈黙したところでカチリと音が響いた。長門が飲み終わったカップをソーサーに置いた音だ。
「あ、そうだ。有希はどう?」
 ハルヒは俺や古泉に対して感想を聞いていたが、長門だって一緒に紅茶を飲んでいた。ずっと顔を下に向けて読書に集中していたようだし、朝比奈さんの衣装が違うことなんて気が付いていなかったかも知れないが。
「……」
 長門は本を開いたまま顔を上げ、ゆっくりと首を回す。
「どう、とは?」
「紅茶の味よ。みくるちゃんが違う衣装を着ていたら味も違うように感じる?」
「少しだけ」
「本当に!?」
 ハルヒが食いついた。てっきり普段通りだと言うと思っていたので、俺にとっても意外な答えだった。
「ね、この着ぐるみを着ていたらどんな感じ?」
「カエルっぽい味がする」
 ダメじゃん。